やはり明け方はかなり冷え込んだ。防寒ズボンを履いて寝袋に入ったが、それでも少し寒い。一晩寝て少しは調子も良くなるかと思ったが、そうはいかず。足に力が入らないので、テントから出るのも簡単じゃない。それと、風邪のせいもあってか、食欲が全くないし、のどを通らないような感じがある。エリカには悪いが用意してくれたものをほとんど食べられなかった。
ただ、せっかく来てただ寝ていても仕方ないので、なんとか撮影に出る。トレッキング用のポールを持ってきててよかった。ほとんど倒れないための杖として。
イスラムがどこに面白い絵があるか熟知しているので、効率よく案内してくれた。それにしても、山の上は岩塊でいっぱいだ。多くが表面が黒く焼けているので、絵がはっきり見える。
ここの絵はイシク・クル湖近くのものと似ているものもあるが、あきらかにスキタイ的な様式というのは見当たらなかった。山羊の絵が多い。角が極端に強調されて、高く延びているもの、後ろに大きくカーブしているものなど。最もこの場所に特徴的なのは長く延びた波線だ。何を意味しているのかわからないが、カザフスタンでも、イシク・クル湖周辺でも見た憶えがない。
山の上は場所によってはほんの少し雪も残っていた。ここは夏の1ヵ月半くらいしか滞在できない場所だ。それは昔もかわらない。放牧や交通のルート上にあった場所ではない。どういう意識でここに来て絵を残していったのだろう。牛に写真のついた道具(乗り物ではないと思う)を牽かせている絵もある。
カザフスタンで見た太陽神と同じキャラクターとみえるものもある。様式はもう少し簡素だが、ほぼ間違い無いだろう。
頭の上に大きなかさ状の形があるものがあり、エリカがこれはキノコ戦士の絵だと。マジックマッシュルームをきめて戦っていた戦士たちの絵なのだと。
岩はまだ延々と上まで続いているし、少し離れた場所には小さな湖も見える。元気だったらそこにも行ってみたかったが、いかんせん少し歩いて写真をとっては休み、また少し移動しては休み、きつくなったらその場にひっくりかえって横になる、という調子だったので、遠くまで行く気力がわかなかった。
テントに戻って休んでいると、エリカが隣の考古学チームに相談して、血圧計を持っている人を呼んできた。
血圧は問題無いな....と。風邪と高山病のダブルパンチなのだということは自分でもわかっていた。ただ、とにかく疲労感がはんぱないのだ。
エリカが明日の夜はここに泊まらずにもう下山した方がいいと言う。たしかに馬に乗れなくなったり、馬から落ちたりするような具合になっては大変ではあるし、たいへんな迷惑をかける可能性もある。ペトログリフもかなり撮影して、出発前にこれは見てみたいと思ったものもおそらくだいたいカバーしている。彼女の意見に従って下山しよう。
それにしても、夜用を足しに少し離れた草むらまで行って、尻を拭いた後、立てないのだから情けない。あやうく後ろに倒れるところを必死でこらえて前に倒れ、最悪の事態は避けられた。酸素が薄いというのはたいへんなことなのだ。