中国・広西チワン族自治区壁画撮影行 その4

この日は朝から小雨が降っていて、昨日以上に暗かった。

昨日、壁画の撮影は十分できたと思っていたが、この日に行く予定だったベトナム国境というのがどうも面白そうに思えない。山の上に上がってベトナムを眺めるというのだが、おそらく霧で何も見えないだろう。

迷ったが、もういちど壁画サイトに行くことにした。二度と来ることは無いだろうから、十分に撮っておこうと。

鄧氏に言うと、では午前中に国境の商店街だけ見て、戻ってきて昼の船に乗りましょう、それでも時間は十分あるから、ということになった。

3日も同じ車に乗っているといろんな話をするのだが、鄧氏が中国の発展自慢を始めるとちょっときつい。

「発展には競争が必要です。中国は厳しい競争社会。競争が国を強くします。競争から落ちていく人たちがいるのは、これは仕方ないです。昔は中国に少数民族たくさんいました。今はマンゾクとフマンゾクだけね。」

「中国は共産主義社会じゃなかったの?」

「中国は資本主義。日本は社会主義ね」。

日本は一億総中流、最も成功した社会主義国家だと、かつてそう言われたけど、もう社会主義とか言えるほど格差の無い社会ではないんだよ。

また、台湾の学生運動アメリカから金をもらってやっていたことだと言う。実際そういう証言ありますと。聞いてていやになるが、ここで反論してみたところでどうにもならないので、そう考えるんだ、ま、その話は止めとこうよ、と。

こういう考えは彼独自のものというより、SNSなどを通じて今の中国で広く共有されているものなんじゃないだろうか。アメリカは中国の発展を嫉んでいろんな工作をしていると。

 

 

国境の町憑祥浦寨辺境貿易区に着いた。まだ店がほとんど開いていない。もう10時半だが、店が開くのは午後かららしい。

開いている物産店を見ると、徳天瀑布で見たような、木工芸品、サンダル、香水、そしてコーヒーといったところだ。ベトナムコーヒーというのがどういうものか試してみることにした。

メニューにはドリップか顆粒かとある。顆粒っていうのはいわゆるインスタントなんだろう。ドリップを頼んで、鄧氏に頼んで砂糖を入れないように伝えた。砂糖が入っているのがデフォルトのようで、中国内で売られているラテなどもかなり甘いらしい。

出てきたものはなんともいえないものだった。濃さはエスプレッソくらいだが、なんだかちょっとドロッとしている。インスタントコーヒーを少しのお湯で溶いたような。しかも砂糖無しと頼んだのに甘い。量はちょっぴりだったが、結構飲み干すのに苦労した。

 

 

鄧氏が「あのホテル、見えますか? あのホテルは女の人買えるところです」と。以前は日本の観光客もずいぶんその目的で来たのだそうだ。

「ちょっと女の人いるか様子見てきます。」といって出かけていった。見てどうする。

「やっぱりまだ時間が早いので、誰もいませんでした」と。

木彫りの店を覗くと、金を咥えたカエルや金が山盛りになった器を差しだしている神様(?)とか、金運にからんだものが多い。あまりにあからさまでちょっと引く。

 

 

石の加工品も売っている。中国人が好きなヒスイにくわえて、モス・アゲートのカボッションがあるので、これは中国の石ですかと尋ねると、輸入された石だと。ブラジルかもしれない。

再び花山の壁画を見に行く。ビジターセンターでチワンの伝統的な楽曲を演奏していた。三弦の楽器だ。

 

 

今回は壁画サイトには鄧氏は同行せずに私だけ行くことに。動画もいくつか撮影した。壁画が人が来ることで、おそらく二酸化炭素の影響だろうが、表面にカルシウムの被膜ができて色が薄くなっているということもあるが、剥落しているところも多い。数年前にこれを接着剤などで補修する大規模な工事が行われた。

 

 

もうこれで必要十分と思えるだけ撮って(暗いのでどうしてもISOが高くなってしまうのが残念だったが)今回は同じ船で戻る。昨日の女性ガイドは熱心だと鄧氏が言っていたが、たしかにこの日は男性ガイドで、壁画の前での解説も比較的短かった。
行き帰り、船の上から高山の壁画も撮り直したが、拡大して詳しく見ると花山では見なかった(と思う)タイプのものがあった。竿の先に羊角鈕鍾というタイプの鐘が棚に二つついたものだ。踊る人たちの中に描かれているので、祭りの場面だろうか。

 

 

船着き場に戻ると鄧氏と運転手氏が待っていた。車で行ける所まで言って、反対岸から私が乗った船の写真を撮ってくれていた。

 

 

町に戻って遅い昼飯を食べる。フォーは少し飽きたので、いわゆるビーフンを食べようと思うが、意外に炒めた麺はあまり店がない。ようやく見つけた店で、間違ってビーフンでなく、普通の焼きそばを頼んでしまったが、味は悪くなかった。やはり量が多い。14元。

 

 

南寧に戻ってツアーは終了。

明後日の朝早く空港に行く必要があるが、鄧氏によれば、今はタクシーはほとんど配車アプリで呼ぶので、それが無いと厳しいと。Uberカザフスタンで使ったYandexのようなものだろう。じゃあそれをインストールするから教えてというと、しばらくして、それを使うには中国の電話番号が必要だと。電話番号無くてもやりとりできるのがネットのいいところじゃないか。なんでwe chatとかのアカウントじゃダメなのか。どうしてそう何から何までクローズドにするのか。もう町中に流しのタクシーっていうのもほとんど走ってないらしいし、海外から旅行で来た人は不便。

ホテルに着いて、フロントに話をしたら、タクシーの予約できますよというので、朝の5時に手配してもらった。