タッシリ・ナジェール壁画紀行 その4

ラクダの口の中はどうなってるんだろうか。砂漠は鋭く長いトゲのある草や木だらけなのだが、平気でバリバリ食べている。

 

 

日程を見直した結果、この日に見る予定だったOuan Mellenではなく、Techekalaouenという場所に連泊でキャンプをはることに。今回の旅の主な目的はTissoukaï という壁画の集中した場所に行くことだが、ちょうどOuan MellenとTissoukaï の中間に位置するのがTechekalaouenで、そこを起点にOuan Mellenにも行くことになった。

今回のガイドはブーバカーという名の眼鏡をかけた70代のトゥアレグの男性だ。彼は英さんに、自分は若いときにノマチという名の日本人の写真家といしょに旅したことがあると話した。写真家の野町和嘉氏のことだった。1978年のことだ。ラクダ引きだったという。野町さんの時代は国内便の飛行機が無く、アルジェからジャーネットまで2000キロ以上車で移動する必要があった。ジャーネットからタッシリへ出発するまで、日本を出てから40日経っていたというから、たいへんな旅だ。それと比べたら、山登りの道が雨で流れたから厳しいな、なんて言ってる我々は楽なもんだ。今年はパリからジャーネットへの直行便も復活したので、タッシリを訪れる人ももっと増えるだろう。

野町氏の写真集『サハラ 砂漠の画廊』の後書きには名前は書いてないが、「ラクダひきの青年」とあり、一緒に写る写真も掲載されている。これが45年前のブーバカーかもしれない。

 

 

Techekalaouenに昼前に着き、荷物を下ろす。連泊はテントを張ったりたたんだりする手間が減ってありがたい。

Techekalaouenにも壁画サイトがいくつもある。最も見事だったのは、帽子をかぶり、目を覆面で覆った人物が踊るような大きな絵だ。このタイプの人物画はタッシリのあちこちで見られるが、狩猟採集民の時代の最晩期のものと考えられているらしい。牧畜民が入ってきたのは6500年前くらいとされているので、それ以前ということになるのだろうか。

体が縦に二色に塗り分けられている。バハ・カリフォルニアの人物画のようだ。フォルムが美しい。狩猟採集民の時代の絵は、太い線で描いた素朴なものと、このように体のラインを強調したものとある。後者のスタイルで描かれるガゼルなどの動物も美しい。

小さな人物画もあり、これらも体の模様までしっかりと見てとれる。とても保存状態の良い絵だが、1960年にアンリ・ロート隊が作った複写を見ると、今は肉眼ではほとんどわからないものがたくさん描かれている。

 

 

バッタの絵があるのも面白かった。肉眼で見えるのは2匹だったが、ロート隊の複写では4匹描かれている。

 

 

Techekalaouenには他にも牧畜民の絵で状態の良いものがある。身振り手振りをまじえて話をする人たち、何らかの作業をする人の絵が。黒いツブツブのあるものを扱っている人が複数いる。なんだろうか。

 

 

夕方、一度キャンプに戻った後、体力的に余裕のある人は少し離れた場所に壁画を見に行くことになったのだが、私は参加しなかった。足の裏の先の方、ちょうど二つの盛り上がった部分の谷間の所が猛烈に痛くなってきたのだ。まだ歩き初めたばかりだというのに、これは困った。こんな場所が痛くなるなんて経験がない。

今回は新しいトレッキング・シューズを買ってきたのだが、そのソールの形状の問題なんだろうか。たしかに4000円代の安い靴だったが、出発前に何キロか試し履きをしたときは悪くなかった。私は足の幅が広く4Eくらいないときついので、なかなか合うものがない。昨年はニューバランスのトレールラン用のシューズで歩き、履き心地は悪くなかったのだが、上面がメッシュだったので、砂ががんがん入ってきて困った。今年もこれで行くかどうか迷った揚げ句、ネットで4Eのトレッキング・シューズを買ったのだ。

おそらくこのままだとマメが出来て、潰れて...ということになるだろう。何か痛みを軽減するものはないか。バンドエイドはすぐにズレてしまう。考えた末、持参していた靴擦れ用のパッドをキネシオテープで痛い場所に貼ることに。これは靴の後ろ側のかかとの上が擦れることを防ぐためのもので、靴の内側に貼るためのものだ。本来の用途ではほとんど役にたたなかったが、幸い足裏に使えた。痛みがなくなるわけでもなかったが、無いよりははるかにましなので、これでしのぐことに。先が思いやられる。