ボルネオ島壁画撮影行 その5

昨夜はかなりの雨降りだった。土砂降りという感じだった。

明け方からすごく大きな音でウワーンウワーンという警報音のような声が。どういう鳥だろうと思って聞くとなんと虫の声だと。どのような虫なのかきいたが、わからない、とにかく虫だと。声の大きさからすると蝉の仲間だろうか。


今日は荷物をまとめて次の拠点までボートで移動する。できるだけ荷物を軽くするため、ライトひとつとライトスタンド、レンタルした望遠レンズなどを部屋に置いていく。今までの感じだとあまり鳥などを撮る機会もなさそうだと考えた。

 


途中川の分岐点にさしかかり、細い支流の方に入る。上流へ遡上していくにつれ、川幅はどんどん狭く浅くなっていく。地元の人もほとんど入らないエリアなので倒木や蔓が川を塞ぎ、これをナタとチェンソーで切りながら進まねばならない。チェンソーがないとどうにもならないのだ。

 

 

みんな川に入って倒木を切ったりボートの方向を変えたり大変だ。私のボートは後ろでエンジンを扱っているのが最年長のイアン、舳先でオールを使って方向を変えたりナタで木の枝を切ったりする担当が若いパハリィだ。イアンは50過ぎ、パハリィは20代、もしかしたら20歳くらいかもしれない。

水量が少ないと次のキャンプ地までボートで行けないことがあるらしい。その場合1時間ほど歩くことになると聞かされてきた。ただ歩くだけではない、食料や発電機を含むかなりの量の荷物を全て運ぶには全員で二往復しても足りるかどうか微妙だ。また、歩かずとも、川に入って皆でボートを押さねばならないかもしれないとも聞いていたが、幸いこの2日かなり雨が降ったので最後までボートで行くことができた。約4時間半かかった。帰りは木を切る必要がないのできっともっと速く進めるだろう。

イルハムとサッダームはさかんに「ホリデイ〜」と言って笑っている。昨夜「この仕事は好き?」と聞いたら「楽しいよ。こんなの休日みたいだよ」と。そういう意味で「ホリデイ」を連発してたのか。
連絡を取り合っていたディカがメッカの巡礼に行ったことで、帯同できなくなり、代わりに誰が来るのか、誰と連絡すればいいのか、出発の前日まで決まってなかったので、もしかしてきついので誰も来たがってないのかと思ったがそうではなかった。

 

到着したのはTeboのキャンプ地。近くに洞窟があり、壁画もあるようだが、今回は行かない。キャンプ地にはテウェットのような建物はもちろん無いが、かつてオーストラリアの発掘調査隊が使用していたという。テントを張るための木製のウッドデッキが複数残っている。この上にブルーシートを張って、ここはみんなでくつろぐ場所で周辺の地面にテント劉を張るのかなと思っていたら4人くらい寝れそうなテントを台の真ん中に張り始めた。なんとそれは私のためで他の人はテントは使わないと。そこまで私だけ特別扱いしなくていいんだけど、元々そういう予定だからいいんだと。なんだか申し訳ない。明日はこのテントを持って移動するのか聞くと、いや、明日の場所では洞窟に寝ると。壁画のある洞窟だ。

 


天蓋とテントを張ると激しい雨が降ってきた。これがボートで移動していた時だったらかなりしんどかっただろう。
オーストラリアのグリフィス大学の発掘調査グループが2ヶ月滞在したというが、これだけ雨が降って何もかもがびしょびしょな環境で2か月は辛い。川も泥水だから頭を洗ってもスッキリしないだろう。
こちらに来てあまり生き物を間近にみていない。サイチョウが飛ぶのも、日本のよりもさらにカラフルなカワセミが飛ぶのも見たが、木にとまることはなかったのであまり良く見られなかった。


夜電灯をつけると周りに蛾がたくさん集まってきたが、大きなものもいた。電灯の隣に水をつめたビニール袋を吊るしている。何のため?ときくと、表面に油を塗っていて、虫がとまるとくっつくようになっているのだと。ハエ取り紙のようなものか。

 

鳥や虫や、いろんな声を聞きながら寝る。この生命の喧騒ともいえる環境はサハラ砂漠とは正反対だ。