Tamritで朝6時に起きて6時半に朝食。
疲れてはいるが、なかなか熟睡できないのが辛い。標高が高いので、明け方はかなり冷えるのだが、テント無しで寝ている人が数人。
キャンプから近い場所に平らな岩盤に彫られた象の刻画がある。刻画はかなり低い角度から光があたらないとなかなかわかりにくいが、早朝だったので、比較的わかりやすかった。
Tamritのキャンプを出発して、東に2キロほど歩き、Timenzouzineというサイトに入る。ここにも大きな象の刻画があるが、こちらは線刻も比較的浅く、なかなかわかりにくい。横たわって頭をいじってもらっている様子を描いた壁画がある。ケジラミかなにかとってもらってるんだろうか。横になっている人には乳房があるように見えるが、他は男性かもしれない。後ろには子どもがいて、面白いのは指さしてなにか言っている風な人物が描かれていることだ。どういう場面なのだろう。わざわざ絵にするくらいだから、何か頓智のきいたものなのか。それにしても上手い。シンプルなフォルムには大正時代のデザインだと言われても通るような、「モダン」さが感じられる。
さらに北東に進み、Titeras N'Eliasという奇岩地帯に入る。水と砂に削られて風化した石柱が立ち並ぶ独特な地形だ。これまでブラジルのカピバラ渓谷やオーストラリア北部など、堆積岩層が深く侵食されてできた場所をいくつか見てきたが、このように細長い柱が並ぶような形は初めてだ。風が運ぶ砂に削られてできた形なのだろう。
Titeras N'Eliasにはいろんな時代の壁画がある。印象的だったのは、楕円の凹面に描かれた集団の絵で、左側に描かれた大きなグループが右側の数人の方に対面していて、左のグループの前面にいる二人くらいは手を延ばしてなにか差し出しているようにも見ええる。どういう出来事を描いたものだろうか。
いわゆるRound Headと呼ばれる初期の狩猟採集民の時代の絵もある。完全なものはないが、両手を前に差し出すこの時代に独特なポーズも見える。
さらに北東に進み、アンリ・ロート隊が多くの壁画の複写を行ったIn Itinenへ。この地名は現在もっとTamritに近い場所に使われていて、混乱があるようだ。キャンプ地に午後3時過ぎに到着した。ロバ隊は既に着いている。
アンドラスも英さんも今回初めて訪れるというのは意外だったが、当時の記録から複写を行った場所の特定が出来たという。
In Itinenは枯れ川をはさんで二つのエリアにわかれているが、キャンプ地から川を越えていく。リップルマークの入った岩が転がっている。かつて海の底だったわけだが、これだけ深く侵食されていて、リップルマークのきれいに残った大きな岩があるというのもちょっと不思議な感じがする。
最も有名な大きな絵を見る。イヘーレン様式の牛や羊の群れとともに移動する人たちの絵だ。線が細くよく見ないと絵柄がわかりにくいが、シャープな角の形や牛の体の模様など、はっきりと残っている。
大きな牛(オーロックスか)に弓矢を向ける女性の絵も印象的だった。タッシリには弓矢で戦う女性像も多く、「アマゾネス」と呼ばれている。どういう社会だったのか興味深い。
アンドラスのツアーは夕方にジュースをそれぞれが持参したスピリッツで割って飲むのが楽しい。が、夕食はイギリス製のお湯を入れてふやかすタイプのインスタント食。名前はパスタ、チキン・ティッカなどいろいろついてはいるが、基本全部ドロドロ。
この日の歩行距離22キロ。