オレゴンの博物館

近くのセブンイレブンで1リットルの牛乳やお茶を買う度に気になることがある。袋に長いストローが入っているのだ。気づいたときは断るのだが...。いったい、1リットルの牛乳をストローで一気に飲むやつがいるのか? 牛乳はまだしも、お茶にストローって、あんたは緑茶をストローで飲む人を見たことあるのか?
ノーベル賞を取った日本人が4人も出て、朝昼のテレビでも盛んにやってるけれど、奥さんがカレーを作って待ってたとか、お風呂に入っていたときに思いついたのか、出たときに思いついたのか、とかばかりじゃなくて、どういう成果だったのか、もうちょっと説明してほしい。クラゲが発光しているということはわかったけど、クラゲ自身について、光る意味はどのようなものなのか?
誰かが勝手に作った「止まれ」の標識のために、違反切符を切られた人が5人いたというが、どうして、もともと「止まれ」の標識もなかったような、路面にも「止まれ」の文字も書かれていなかったような場所で違反者を張っていた警察官がいたのか? など、疑問は多い。



今、セプタリアン・ノジュールとサンダーエッグについて資料を集めているが、オレゴンのRice Northwest Museumという博物館にとんでもなく大きなサンダーエッグがあることを知り、写真を借りられないか問い合わせたところ、丁寧な返事をいただいた。このサンダーエッグは直径が1メートル以上もある、大きなエッグだ。オパールが詰まっている。写真が送られてきたら、紹介したいと思う。
オレゴンは州の石がサンダーエッグなのだが、瑪瑙やジャスパーもバラエティーに富んでいて、アメリカのユニークな貴石が集まっている。特に、Biggs Jasper、Deschutes Jasperは他に例の無い独特な模様のジャスパーだ。


これらの石を20年ほど前にカイヨワの「石が書く」で知って以来、ずっと実物を見てみたいと思っていたが、日本のミネラルショーなどでも、カボッションに加工されたものなど以外はほとんど入って来なかった。インターネットショップの黎明期に、このジャスパーの大きな標本を売っている店を見つけて、狂喜乱舞したのだった。後に、随分とぼられたことに気づいたのだが。
オレゴンには、素晴らしく美しいプルーム・アゲートもたくさんあるが、今はほとんど掘り尽くされてしまっている。



これらの石を見つけたのは、1950-60年代のrock hound=石追いの人たちだ。有名な人が数人いるが、いずれもこの10数年で次々に亡くなっているようだ。彼らは新しい石の産地を探して、単独で山に入っていった人たちだが、当時は現在ほど瑪瑙やジャスパーに値段がついていなかったので、おそらくさほど潤うこともなかったのではないだろうか。
彼らについて若いrock houndが語ったものの中に、しばしば、「今どきのCut Throat的(人の喉をかっ切るような、情け容赦ない)な石屋と違って、本当に石を愛していた人だった。自分が見つけたものを独占しようというような欲は微塵もなかった...というような言葉を目にする。そうか、やっぱり俺にBiggs Jasperをふっかけたのは、「今どきの石屋」だったんだな、と、納得する。
主が亡くなった後の石屋の家には、ストックを少しずつ売って生計を立てていた家も少なくなかったと思うが、ネット・オークション初期(もしかすると今でも)には、そうした廃業同然の古い石屋のストックを安く買い付けて、ネットで売るという商売が盛んだったようだ。
眠っている古いストックを探し歩く新しい石屋の日記を読んだことがあるが、廃業同然の石屋の倉庫でいい石を見つけて、安く手に入れた経緯が記されていた。
「その家にはろくな石がなかったけど、これだけは価値のある石だったわ。最後まで、その石を我が子のように手放そうとしなかった年老いた夫人から、私は手に入れたのよ。彼女、別れ際にも「その石はもう採れないのよ、分かってる?」と言ってけど、もちろん、わかってるわよ。」と、得意げに書いていたが、持ち帰ると、早速10枚ほどにスライスして、ebayに出したのだった。こうしたことは、骨董屋や古本屋などにもよくあることなのだろうが、大切にもっていた家族への敬意も全く感じられない、なんとも読後感の悪い日記だった。
オレゴンの名石を探索した初期の石追いたちを直接知っている人たちも、おそらく後10数年もしたら少なくなるにちがいない。誰か今のうちに彼らの人生をきちんと取材して本にでもしてくれないだろうか。「オレゴンの石追いたち」はおそらく、とても面白いドキュメントになると思うのだが。

Cut throatな石屋に騙された後、やはりオレゴンで石屋をやっている若い夫婦とネットで知り合った。とても感じのいい、良心的な石屋で、アイルランド移民だったのだが、私がアイルランドの音楽や遺跡が好きだというと、随分と親切にしてくれた。ちょうどその頃、アイルランドは未曾有の経済発展のさなかにあり、知り合って1年ほど経った頃、「私たちは故郷に帰ります」と、全て畳んで帰国したようだった。オンラインショップも閉鎖し、メールも通じなくなって、それきりになった。IT景気に湧くまで、アイルランドの高校卒業生の大半は海外に職を求めて出て行かざるをえなかったらしい。それが、海外企業の誘致で故郷が急速に活気づいて、Uターンラッシュだったのだ。長年イギリスに苦しめられてきたアイルランド人が、今や、イギリス人を安く雇用する状況になって、溜飲を下げている、と、CBSニュースでやっていたのは10年前くらいだろうか。
彼らがどんな経緯でオレゴンで石屋をやるようになったのか、帰国した後、どうしているのか、ときどき気になる。会ったこともない、顔も知らない人たちなのだが。