インド 地上絵・壁画撮影行 その9

朝早く宿を出て、デリーに飛ぶ。デリーを夜に出る便で日本に帰るのだが、半日時間があるので、デリー観光をすることに。ネットで大きな荷物を預かってくれる場所を知ったので、スーツケースを預け、地下鉄に乗った。地下鉄に乗るにはX線による荷物検査がある。

空港とデリー市街を結ぶ特別なラインだが、とても近代的だった。乗車券はチャージ式のカードか、窓口で現金で買うQRコード入りの切符だ。車内には「COVIDと闘おう」という表示が。

 

 

デリー市街で降りて、さてどこに行こうかと迷ったが、ひとつくらい名所に行っておこうかと、フマユーン廟に行ってみることに。タクシーやリキシャ乗り場からおじさんが近づいてきた。

「どこに行くのかね?」
「フマユーン廟に。電車で行こうかな」
「ちょっとこれを見て(路線図のようなものをぱぱっと見せる)。な、フマユーン廟には電車で行くのは難しいんだよ」

あれ、おかしいな...。さっき調べたときは駅から少し歩けば行けるとあったけど。

「そうなの...。じゃあ、Uberにしようかな」
Uberはここには来ないんだ。だから私の車に乗るのがいい」

すぐ近くにUberの待ち合わせ場所を示す看板みたいなのがあるのだが...。どうしてこういうあからさまな嘘をつくのか。

結局、リキシャで行くことに。このへんのリキシャはメーターがついている。

 

 

デリーには巨大な宮殿など、おおきな歴史建造物がいくつかあるが、やや疲労がたまっていたので、イスラム建築のアラベスクが見たくなった。それなりに観光客は多かったが、霊廟なので、静謐な雰囲気でよかった。

 

 

フマユーン廟を出て、ディリ・ハアットというインド各地の民芸・工芸品の店が集まる場所に。入場料が必要なのだが、民芸品好きなので是非行ってみたかった。

入ってすぐにミティラー画を扱う店が。ビニール袋に入ってたくさん積まれたものを、ぱらぱら見るのだが、「どういうのがいいんだ? いろいろあるぞ。こういうのは? これはどうだ?」とうるさいので、早々に離れた。他にもミティラー画を扱う店がいくつかあったが、どうもゆっくり静かに見せてくれない。面倒くさくなって、ミティラー画はもういいかなと。買っても飾る場所もないし。

ゴンド画の店も多くあったが、どうもゴンド画は彩色がきつくて、マーカーみたいな色で塗られたものが多い(ミティラー画の一部もそうなのだが)。絵本『夜の木』も、かなり彩度の高い色が使われていたが、黒地にシルクで刷られているので、独特な風合いがあって好きだったのだが、売られているゴンド画はどうも軽くてあまり面白くない。もっと風合いのある紙にアーシーな色で彩色した方がいいのではと思った。

それと、これは邪推かもしれないが、ミティラー画もゴンド画も手法そのものはシンプルなので、同じ絵を量産しようと思えばたやすいだろう。これら大量の民俗画の土産物が本当に全部その民族、コミュニティ出身の人によって描かれたものなのか、やや疑わしいものがあるなと思った。

 

 

探していたのは小さな人間が大勢でいろんなことをしている、ワルリー画(以下のような)だったのだが、何故か一軒も扱っている店がなく、残念だった。あれば一つ二つ買っていたと思うのだが。ワルリー画の小さな人間がたくさんプリントされたシャツがあって面白かったのだが、これは買っても着ないだろうなと。

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Warli_painting#/media/File:A_Warli_painting_by_Jivya_Soma_Mashe,_Thane_district.jpg

 

ぐるりと回って、探していたカシミール地方のラッカーウェアの店を見つけた。私はこういう民芸品が好きだ。22歳で初めてタイに行ったとき、チェンマイのナイト・バザールで売られているラッカーウェアがとても魅力的で、いくつも買って帰った。メキシコのものも好きで、家の棚にたくさん置かれている。

ラッカーウェアは花柄の派手なものではなく、やや色の渋い伝統的な模様のものに魅かれた。店員にそう言うと、あなたの言うとおり、これはとても昔からあるモチーフだと。そして、自分の父親が作ったものだと。大きなお盆のような立派なものを買わせようとするが、そんなものを買っても置く場所がない。「いやいや、ぜんぜん大きくない」というのだが、大きいんだってば。小さなサイズの箱を二つ買った。

 

 

同じ店の半分はやはりカシミール地方の木彫り細工をあつかっていて、箱根の寄せ木細工の箱にあるような、からくり箱を売っている。

「開けてみてください」と。どうやって開けるのか全くわからなかった。「ここを押して...」と見せてくれたが、見事な仕上げで木の継ぎ目がまったく見えない。「たいしたもんですね」と、大いに関心したが、どうもセンスが好きになれず、これはパスした。

施設内にはインド各地の料理を提供する飲食店もたくさん並んでいる。「ナガランドの店」というのがある。めん類の写真がある。コンカン地方にはラーメンを扱っている店があったが、ラグナート君によるとすごく辛いということだった。「日本人はあんなに辛いラーメンを食べるのに、なんであんたは辛いものが苦手なんだ?」と。きっと蒙古タンメンみたいなやつが標準のラーメンだと思ってるんだろう。

危険なので、店員に「辛いですか?」ときくと、「いいや」と。油断できないのだが、食べてみることにした。鳥肉が入った野菜スープに麺が入っている。これが全くスパイシーでない、普通の野菜スープの味だった。特別においしいわけでもない(失礼)が、スパイシーでないということだけでこんなにも癒やされるとは。店員が私の顔をみて、奥から割り箸を出してきた。ナガランドはバングラディッシュの東側、インドの領地が細長くミャンマーの脇まで延びた場所だ。食文化も全く違うのだな。インドは広い。

あっという間に時間が過ぎていた。有名なデリーの安宿街もぶらついてみようと思っていたが、もう時間がない。慌ただしく再び地下鉄に乗って空港に。

 

 

初めてインドに行くときは少なくとも2週間以上にした方がいいと言われるらしい。よくわかった。1週間とかだと、人の数や道路の喧騒などに圧倒されているうちに過ぎてしまってなかなか良さがわからないからと。私は荒野のような所ばかりうろついていたので、なおさら時間が足りなかった。またもう少しゆっくり訪れてみたい。