インド 地上絵・壁画撮影行 その5

ラトナギリの宿をあとにする。この日は先日センターにいた考古学専攻の女性スネーハ・ダバッガオンさんも同行することに。

南に下る道沿いに大きな鳥居が。インドの古い仏教寺院にはトーラナという門があって、これが鳥居の起源ではという説もあるようだが、これはどうみても鳥居としかいいようがない姿だ。門の向こうには寺院らしきものもない。帰国後に写真を拡大してみたら、何か説明板のようなものがついている。近くに行って見てみればよかった。衛星写真を見たが、この門のむこうには家が一軒と建材屋があるだけだ。途中、センターの二人の友人のような若い男の子も同乗した。

 

 

また同じ食堂で朝食を。はじめてワダパウを食べたが、コロッケサンドみたいなものだった。やはり少し辛い味つけにはなっているが、パンが柔らかく、あぁ、朝はこのパンにバナナを挟んだものと牛乳だけで十分幸せなのにと、思うのだった。

 

 

Kasheliの大きな像の刻画の場所に戻るディテールを十分撮ったかどうか気になっていたので、撮り足して、その後はスマホのscaniverseで3Dスキャニングした。ある程度以上離れているものはスキャンできないので、近よって少しずつスキャンしていくのだが、大きなものをスキャンするとどうしても重複する部分で齟齬が出てくる。もっと明瞭な形をしているものであればそうでもないのかもしれないが、刻画は難しい。三回とって保存。帰国後にチェックしたが、うち二つは全くズレてしまっているところがあり、使えなかった。残るひとつも少しおかしい感じがするが、模様を確認するという意味では十分使える。

 

 

センターの二人とはこの後別れて、我々はさらに南へ。ラグナート君、ほんとうにありがとう。良い研究者になってください。

 

KasheliからKudopiまでは100キロ以上ある。途中の町で新たなガイドをピックアップすることになっていたが、その前に昼食。ジテンドラが勧めるエビのカレーを頼んだ。エビカレーは日本のインドカレー屋でもよく食べるやつだが、いい出汁がでていておいしかった。ただやっぱり私には辛い。

そうこうしているうちにガイド氏が到着。幼稚園か小学校低学年くらいの娘さんを連れている。これからバイクで娘を家に連れて帰る。方向は同じだから、途中までついてきて欲しいと。

彼とあれこれやりとりしたあと、車に戻ったジテンドラが「ラグナートはとても頭のきれる男だったな。あいつはどうかなぁ、ん?」と笑いながら。そういうことを言うんじゃないよ。

車は細いラフロードに入っていく。ガイド氏の自宅へ行く細い道との分岐で、しばし待つことになった。娘を後ろに乗せて荒れ地の向こうにずっと走っていくバイクを見ながら、「こんな先に家があるのか? こんな道をあんなに小さな子を後ろに乗せて...」とジテンドラがつぶやく。

ガイド氏が戻ってきてさらに進み、最後は道をはずれてオフロードに入る。木の枝がガリガリひっかかるような所を抜けいく。二、三度車の腹を岩でこすった。ラグナートが一時間半くらい歩くから、と言っていたが、なんと、サイトの横まで車で来てしまった。これなら最終日の午前中に十分行けただろう。車でどこまで行けるか、季節にもよるのかもしれない。

 

Kudopiは最初は遠いから無理だろうとあきらめていたが、来れてよかった。とても面白いサイトだった。広い面積にさまざまなタイプの絵が彫られている。昨日見たNiwali村などのような方形の大きなものはなかったが、技法と表現はRundhe村のものなどに通じるものがあると感じた。動物の刻画もあるが、もっと抽象的なものも多い。研究者が牛の足型と呼ぶ三日月を太らせたような丸い形もたくさんあり、その中にあきらかに人間を抽象化した図案が入っているものもある。下の丸いものの中には一見わかりにくいが両手をあげている一対の人間の姿がある。これは1920年代のデザインだと言われたら、私は信じると思う。

 

 

こうしたものとKasheliの象の絵やその中に刻まれている動物の線刻画と同じタイプのものもある。同時代のものなのか、それともこの場所が宗教的に重要な場所で、時を超えて使われ、時代の異なる絵が隣あって残っているのだろうか。

 

 

岩の表面はデザート・バーニッシュと呼ばれるような黒化をみせていて、彫られた部分は明るい色のラテライト本来の色に近いものが出ている。絵を刻んだ者も、この色の濃淡の効果を考えて作っているのだろう(だとすると、私が前日に書いた、全体の表面を剝いでから彫り上げたという考えは無効になるのだが)。彫られた部分も長い時を経て、だんだんと黒くなっていく。隣り合った所に素朴な動物の刻画と洗練された抽象的な意匠のものがある場合、それぞれの彫られた部分の黒化の具合を化学的に分析して、年代の違いを推測するようなことはできないだろうか。年代の特定は無理でも、同時代に彫られたものかどうかは判断できそうな気がする。

 

 

コンカン地方最後のサイトを満喫した。さ、車に乗って...と思ったとき、車の近くにバドワイザーの空き缶が転がっているのに気づいた。これはどう見ても昨夜私が飲んだやつ。宿は基本持ち込み禁止なので、外のゴミ箱にでも捨てようと思っていた。車から転がり落ちちゃったかと拾い上げて持って入ろうとしたとき、ジテンドラが「あ、それはいいから」と受けとって、なんと、また外に放り出した。

「いやいや、それはダメだよ。ここにゴミを捨ててくなんて」と言うと、「ダメかい?」と苦笑いして拾い上げる。ガイド氏が笑いながら「ほら、日本人だから...」というよなことを言ってる。「日本人はゴミを拾う」みたいな映像がきっとインドでも紹介されてるんだろう。そういう問題じゃないから。世界遺産に登録しようとしている所に空き缶捨ててったらダメでしょ。それに、ここにバドワイザーが捨てられてるのを見たら、ラグナートくんは絶対に「あ、ヤマダが飲んだやつを捨ててった。なんてやつだ」と思うはず。

インドに初めて行って、最初に思ったのは、人が多い、車やバイクが多い、そしてゴミが多いということだ。都市だけでなく、田舎もゴミ捨て場はすごい状態だった。川にも大量にプラゴミが流れ込んでいる。ゴミ問題はきっと大変なことになるだろう。

 

Kudopiを後にして、マルヴァンという、港町に着いた。海岸沿いはコテージタイプのリゾートホテルが並ぶ。そのうちの一つを予約してもらっていた。

海岸に出ると、多くの人が海に入って水遊びをしている。水着を着ている人は誰もいない。服を着たままで海水に浸かっている。牛の親子が悠々と波打ち際を歩いていく。海岸を牛が歩いていくのを見るのは初めてだ。不思議な光景だった。

 


砂浜に座ってぼんやり夕陽を眺めていると、大きな草の塊がぶつかってきた。びっくりして見てみると丸い草の玉がタンブルウィードみたいに砂浜を滑るように、跳ねるように飛んで行く。こういうやつでもう少し小さいやつを山東さんの動画で見たことがある。追いかけてつかまえた。すると、インド人たちが集まってきて、「見てたぞ。生き物みたいな動き方するな。それはなんだ?」と。インドに初めてきた私に尋ねられても。こういうリゾートに来るのは都会の余裕のある人たちばかりなんだろう。