インド 地上絵・壁画撮影行 その8

今日はボパール市街から南へ下って、先史時代の壁画の残るビームベトカーに向かう。

朝早くホテルのフロントに降りると、例によって従業員が何人も毛布にくるまって床にゴロゴロ寝ている。この様子、なかなか慣れない。

ホテルにタクシーを呼んでもらうこともできたが、値段交渉も面倒なので、Uberでビームベトカー行きを手配する。が、すぐ近くまで来ていて、場所がわからないと電話がかかってきた。全く英語が通じないので、ホテルのフロントにかわってもらった。

Uberスマホの地図連動で動いているはずなのに、場所がわからないってのはどういうことなんだろう。たしかにインドの露地はゴチャゴチャしていてわかりにくい所もあるので、電話で聞いちゃった方が早いという感じだろうか。しばらくして、もう一度電話がかかってきて、ようやく来た。

運転手は30過ぎくらいの男性で、英語は全く通じなかったので、ビームベトカーまで行ってもらって、その後はリキシャなどで乗り継ごうと思っていたが、遺跡はかなり町から離れているため、駐車場には客を探している車やリキシャなどいなかった。仕方なく、彼に待っててもらい、一日チャーターする形に。

ビームベトカーはボパールの南東45キロくらいの場所にある。ユネスコ世界遺産だ。だが、入り口の案内板にはボパールの北東にあると書いてあった。

一帯は堆積岩が深く侵食されて独立した奇岩が立ち並ぶような景観で、タッシリ・ナジェールのそれ(あそこまでおかしな形にはなっていないが)にも似ている。約750のシェルターがあり、そのうち約500のシェルターに壁画があるとされているが、公開されているのはそのうちの15のシェルターだけだ。絵も古いものは3万年前まで遡ると案内板にあったが、これは本当に共有されている見方なのかどうかわからない。解説にも「前期旧石器時代」まで遡るというものと、「中石器時代まで遡る」というものが混在しているように見えた。いずれにしても、そうした狩猟採集民時代のものから、中世のものまで幅広い時代のものがあるとされている。

 

 

見学はルートが設定されているため、順番通り見ていく形になる。最初のシェルターに象に乗った人物の絵がある。インドならではの壁画だ。トンネル状になった暗い壁面にも多くの壁画が描かれている。フラッシュをたいて撮影したところ、遠くから「フラッシュはダメだよ」と、係員でなく、見学者らしきおじさんが。

最近は風化した赤い塗料の壁画はフラッシュの影響は無いという見方が大勢ですが、と言ってみた。色彩が残っているものは別として、酸化した鉄分がしみ込んだものは退色することはない。オーストラリアで日中直射日光が当たっているものも、赤土を使っているものは全く薄くなっていない。国立公園内の壁画もフラッシュ禁止にはなっていない。

だが、やはり「ダメだ」と。後ろで係員も首肯いている。しかたない。こういうこともあろうかと懐中電灯を持ってきた。「ではトーチなら光量も強くないからいいですね」というと、「それもダメだ」と。それはいくらなんでも極端では。スラウェシ島の洞窟壁画も、フラッシュはダメだったけど、懐中電灯はOKだった。ルーメン数に規制があるけど、通常のものなら問題ないと。光量がそんなに強くないと言ってみたけど、とにかくダメ、ダメージがあると。仕方ない。このおじさんの近くにいたのが不運だった。

 

 

「動物園」というあだ名がついている最大のパネルに。これは見事だった。白いペイントで描かれた様々な動物の群れと、赤い塗料で描かれた戦士像のようなものが同じ壁面に描かれている。年代的にどのくらい異なるものなのか、説明版には書かれていなかった。モチーフを見た感じでは白い塗料のものは狩猟民のもので、赤いものは中世のものなのかなという感じだ。歴史時代の絵は兵隊と飾りのついた馬に乗る地位の高そうな人の姿があるのが特徴だ。

 

 

壁画にはいくつかの様式があるが、動物の体にモザイク状の幾何学模様が描かれているものが面白かった。このスタイルで描かれたイノシシを竿に縛って運んでいる絵がある。こういうタイプのものは初めて見た。

巨大な牛のような動物に追いかけられている絵と説明されているものもある。解釈が妥当なのかわからないが、動物の四角い頭の鼻先あたりから鼻息を表しているかのような線が出ていて面白い。もしこれが鼻息だとしたら、かなり抽象化されたマンガ的表現が生まれていたことになる。

 

 

ひととおり回って、最後に最大のパネルの「動物園」でもう少し撮り足していこうとサイトに戻ると、さっき「フラッシュはダメ」と言ったおじさんが柵の内側に入って三脚を使って撮影していた。 近くにいた警備員に「柵の内側で撮影してるけど、あれはいいの?」と尋ねると、ばつが悪そうな表情で、何か口ごもる。「私もちょっとだけ入っていいですか?」と言ってみたが、それはダメと。

おじさんはずっと壁の前に陣取っていて、撮影はなかなか終わらない。さっき警備員が複雑な表情をしてたので、もしかしてと思って、おじさんに「彼らにいくらか渡したんですか?」と言ってみたところ、ややムッとして、「私は考古学写真協会(的な)のメンバーで、今日は正式に許可を得て撮影しているのだ」と。

そりゃそうですよね...。あぁ、私はなんて品の無いことを言ってしまったのか。だって、警備員がちょっと気まずい感じの表情で目を逸らすんだもん。

大いに反省しつつ待ったが、いつまでたっても壁面の前に立っていて撮影が終わらないので、「あのう....私も撮りたいんですが、ちょっとだけあけてもらえませんか」と言うと、「いいけど、フラッシュはダメだよ」と。こんだけ何度も言われて、目の前で使いませんよ。よほど粗野な人間だと思われたのかもしれない。

 

 

ビームベトカーを出て、11世紀に建造が始まったという、古いヒンドゥー寺院Bhojeshwarに行く。だいたいピームベトカーとこの寺院は日帰りツアーのセットなのだ。この後、ボパールで最も有名な観光地サーンチーの仏教遺跡に回って宿に戻る計画だったが、あらためてタクシー代の交渉をすると、ボパールまでの距離と値段に比べて随分高い金額を言ってくる。ちょっとおかしくない? ボパールまでが●キロでこれから回る距離は●キロくらいなんだから、●ルピーくらいのはずでしょ、と言うも、なんだか言ってることがわかりません、みたいな感じで、ともかく●ルピーだと言って譲らない。回りに他のタクシーやリキシャがいれば、じゃ、いいです、とも言えたのだが、いないんだから仕方ない。待ち時間もあるし。

Bhojeshwar寺院の入口に近づくと、小さな女の子たちがわらわら寄ってきて、頼んでもいないのに、あっと言うまに額を黄色く塗られ、何か梵字をかかれてしまった。みんなパレットと絵筆を持っている。「はい、10ルピー」と口々に言うので、仕方なく、一人の子に渡すと、「私が書いたのに!」と一人の子が泣きそうな顔で抗議。だけど、ここでその子にも10ルピー渡そうなものならパニックになるので、「そっかごめん、じゃあこの子からもらって」と、もらえるはずがないことを承知で言って、中に入った。

 

 

Bhojeshwarはセクシーな彫刻のあるヒンドゥー寺院だった。セクシーといっても有名なカジュラホ寺院のような、男女交合の彫刻というようなものではないが、様式はとてもよく似ている。女性の体のラインを強調した彫刻で、年代も同じくらいなので、この時代特有のものなのかもしれない。

 

 

お供え物は花が多かったが、ココナツの実やチョウセンアサガオの実もあった。チョウセンアサガオを供えるとういうのは、どういう意味があるのだろう。毒性が強いが、一種のドラッグでもある。

寺院を出たところで、また子どもたちがいたら、さっきの子に写真を撮らせてもらって10ルピー払おうかと思ったが、自動車が来たときしか集まって来ないようで、いたのは出口の横の父親がやっているらしき露店に仰向けになって寝てる子だけだった。

近づくと、その子の弟らしき小さな子が、「姉ちゃん、来た来た」とばかりに寝ていた姉をたたいて起こす。サッと起きてパレットと絵筆を持つも、私の顔にはもう塗られているので、?と。パレットと絵筆を持ってる写真撮らせてくれる? 10ルピーで、と頼む。

2、3枚撮らせてもらったが、その後は弟といっしょに自分の親父の露天でこれを買え、いやなら、こっちを買えとうるさい。お菓子屋なのだ。インドは料理は辛く、デザートはものすごく甘い。買ってもおそらく食べ切れないだろう。

 

 

昼ご飯を食べて、サーンチーに向かう。こちらは車をチャーターして、ご飯どきになったら運転手の分も客が払うのが普通になっているようだ。ガイドも同様だ。拘束しているときにご飯の時間になるのだから、払うのが当たり前、ということなのだろう。

サーンチーは紀元前3世紀、アショーカ王の時代に作られた最古の仏教遺跡だ。ずんぐりしたお椀型の仏塔もいいが、その四方にある入り口に立つトーラナと呼ばれる鳥居に似た門にはびっしりと彫刻が施されていて、写真で見て前から興味があったのだ。壁画と民俗博物館のことしか考えてなかったが、出かける直前に、あ、これもボパールにあるのかと。なんとか一日で回ることができた。

トーラナは紀元前後に建てられたものだというが、彫刻の緻密さはすごかった。仏陀の物語と仏陀が亡くなった後の仏舎利を巡る争いなどがテーマになっているという。

 

 

政府の要人のような(外国から来た要人かもしれない)人のグループが来ていて、周囲に警備がついていた。要人のグループと関係があるのかわからないが、その塊といっしょに、とても目立つ白い僧服のようなものを着て飾りをつけた、長髪でヒゲを生やした男性が、手を合わせたりしていた。インド人ではなく、東アジア人らしく見える。彼の連れらしき人もいる。要人が移動した後もその場にとどまっていたので、無関係なのかもしれない。

彼は日本人だった。日本語で同行者と二、三言葉を交わしていた。容貌はかつてのヒッピーカルチャーを思わせるような、昔の喜多郎のような感じだ。旅行者ではなく、ヒンドゥー教の信仰に入っている人、またはインド思想・宗教を背景にした何らかのグループを組織している人、という感じだった。仏教徒が聖地を巡礼しているとしたら、長髪や真っ白い僧衣はないのではないか。

私はインドにとても興味はあったし、若いときにインド思想に影響を受けた欧米のロックバンドやミュージシャンの音楽をたくさん聴いたし、インドに行った人の体験を聞くのも好きだったし、インドの民衆画も工芸品も大好きだし、インドの石も大好きだ。インド思想に興味がある人は知り合いに少なからずいるし、彼らに話を聞くのも好きだけれど、日本人で、あるラインを越えて、風貌や身なりが「それらしい」感じになっている人、さらには人に対してそれらしいものを疑いなく差し出そうとする人は昔から苦手なのだ。さらにいえば、それらしいとしか言いようがない話や世界観・宇宙観を商品として差しだしてくる人ほど苦手な人はいない。

彼がどういう人なのか全くわからないので、勝手な話だが、私はちょっとモヤモヤした気分になって、そそくさと立ち去った。

 

インドに来てほとんど荒野で写真を撮っていたが、今日は初めて観光地を巡った。宿に戻ったときはもう日が暮れかかっていた。

昨日と同じバーに行ってビールを飲む。