インド 地上絵・壁画撮影行 その7

朝早い便でムンバイからボパールへ。

ボパールという町の名は1984年の化学工場の事故の報道で知った。史上最悪の産業災害で、死者は3000とも8000とも言われ、実数もきちんと把握されていないようだ。後遺症に苦しんでいる人の数は遥かに多いという。40年経過しているので、事故の痕跡もすっかり無くなっているのかと思いきや、工場跡には放置されているものがあり、21世紀に入っても有害物質がゆっくりと拡散しているというから驚く。地図で見ると場所は市の中心部だ。農薬工場だったというが、工場があるような場所にも見えない。

 

ボパールに来たのは、インドで最も有名な先史時代の壁画が集中している場所、ビームベトカーがあるからだ。比較的市街から近い場所にあるのでタクシーで日帰りで行けるはずだ。

昼に空港に着き、宿で荷物を下ろした後、もうひとつの目的地であるTribal Museumに向かった。インドの少数民族の文化を紹介する博物館で、とても充実しているときいていた。『夜の木』などの手刷りの絵本で日本でも話題になったゴンド画など、独自の文化的様式をもつ少数民族の建築、工芸などを展示している。ボパールに着くと、市内のあちこちの壁に民俗画が描かれている。ゴンド画を生んだ人たちの住む地はボパールの東300キロくらいの場所にあるというから、そのため、民俗文化を町おこしの要素にしているのだろう。化学工場の事故による汚染のイメージを克服したいという思いもあるのかもしれない。

宿は博物館のあるエリアに近い場所のものを選んだ。フロントに行くと、「え?ジャパニーズ?」と。どうもインドのIDを持たない外国人を泊めることがほとんどないらしく、どういう処理をしていいのかわからないので、ちょっと待ってほしいと。驚いた。Booking.comで予約したのだが。インドは人口が人口が多いのだが、IDの管理には厳格なようで、宿に泊まるのもIDの提示が必要なのだ。

なんとか手続きを終え、荷物を置いて、博物館に向かう。歩いていけると思っていたが、地図を読み違えていて、徒歩だと1時間以上かかるということに途中で気付いた。リキシャに乗った。

すばらしく良い博物館だった。期待した絵画としての民俗画の展示や販売というのはあまりなかったが、絵を独立した作品として発表・販売する前の、伝統家屋の壁面に描かれている絵などの愛らしさ。木彫りの人形の迫力。金属工芸の造形の細かさ。

様式も多様で、インド文化の幅の広さが実感される。家屋などを忠実に際限したものもあれば、おそらく現代のアーティストとのコラボレーションとみられる規模の大きな展示もあり、なかなか迫力あるものだった。

 

 

一通り見て、出口近くにいる係員に「チケットがあればもう一度入場できますか?」と尋ねると、首肯いたので、一度出てカフェで一休みすることに。受付に「このチケットでもう一度入れますね?」と言うと、それはできないと。一度出たら再入場はできないのが決まりだと。中にいた係員はきっと英語がよくわからず曖昧に首肯いたのだろう。

とにかくカフェで休もう。テラスのテーブルに座ろうとしたら、近くのテーブルの若い女性が「日本人の方ですか?」と、日本語で話しかけてきた。若い男の子に日本語の個人レッスン中なのだと。聞いているかぎり、彼女もあまり上手とはいえない感じだったが──。

私はよく友人にイラン人とかアフガン人とか言われるし、若いときは本当に生粋の日本人なんですかと真顔で聞かれたこともあるが、海外に出るとだいたい日本人(か中国人)とすぐに認識される。夏にキルギスに行く予定なので、そこでは現地人に間違われるかもしれないが。

やはりもう一度ゆっくり見たい。再び博物館に入るべくチケットを買おうとすると、さきほど再入場はダメと言った男が「本当にもう一度入りたいのか?」と。特別に再入場を認めてくれた。ありがと。

2周回っても全く飽きない。

 

 

日が暮れた後、ボパールの町をぶらぶらしていると、BARの文字が目に入る。今度はレストランというよりちゃんとバーだ。ビールを飲んで宿に戻る。

なんとなくテレビをつけるとインドのドラマが。美人の女性や愛らしい少女が悪意のある周囲のひとたちにいじめられるような話が多かった。スープにサソリを入れられたり。濃い。