「私ですよ、私」

先日、池袋の地下を歩いていると、知らない人に「あ、先生、どうも」と声をかけられた。色黒の初老の男性だ。
夕刻の雑踏の中、立ち止まって顔をよく見たが憶えがない。
戸惑っていると、「私ですよ、私」と言う。
一気に自分に自信がもてなくなってしまった。もしかして、どこかで会って忘れてるんじゃないか俺は? 誰だったっけ、この人は。
不安がふくらんだが、「先生」と呼ばれるような人付き合なんてない。
「いや...。お間違えじゃないですか」と言うと、じっとこちらの目を見て、「わかりませんか?」というような確信に満ちた反応だった。
その目を見て、さらに不安が増してきた。
ここまではっきり知っているというのだから、やっぱり会ったことがある人なのか。俺が忘れてるだけなのか。もしかして、風貌からして印刷所の人かしら...でもやっぱり憶えがない。
数秒フリーズしていると、「電気屋ですよ」と言う。
ああ、そうか、電気屋さんか...。いや、でも事務所の近くの電気屋さんとも違うし、やっぱり会ったことない。
「どちらの電気屋さんで?」
「ほら....この先の」と、指差した。
「やっぱり人違いだと思いますよ。この先の電気屋さんは...知りませんので」
彼は「そうですか? じゃ」と、去っていった。
数秒前の確信に満ちた態度の割に、あっさりと歩き去った。去り際の態度も、自分の間違いだったかという照れも悪びれる様子もなかった。どこかあきらめたような態度だった。
ほんの数十秒だったが、別れた後も妙に気持ちが悪かった。他人のそら似だろう。でも、もしかすると、どこかで会ってるかもしれない。亡くなった義母が呼んだことのある電気屋さんだったのか? いや、義母がいつも呼んでいた電気屋はよく憶えている。それに、なぜ彼は自分の名を名乗らなかったんだろう。「電気屋ですよ」という前に「●●ですよ」あるいは「電気屋の●●ですよ」というのが普通なんじゃないだろうか。それに、こちらに「●●さんでしょ?」と言ってもよかったはずじゃないか。
もしかして、「電気屋」が何かの合い言葉で、「あぁ、一度電球を換えていただきましたね」なんて返事したら、どこかに案内されていたりして...。
電車に乗りつつ、15年以上前に会った印刷所の社長、営業の人や、たった一度仕事したきり会っていない人たちの顔を思い出してみようとしたが、これがなんとも心もとない。彼が「電気屋ですよ」と言わずに、「わかりませんか?」と言ったまま、去って行ったとしたら...考えるだにおそろしい。