正月のテレビ番組

1月1、2日に放映されたBS TBSの「マヤ暦の真実」は、なんだかいい加減な番組だった。
もともと「2012年問題」にはあまり興味がないけれど、「マヤ」と付いていると、どうしても見てしまう。しかも開局10周年記念の合計4時間の歴史番組だというから結構楽しみにしていたのに。なんじゃ、これは?という感じの番組だった。

UFO、超古代文明、心霊と、三拍子そろってらっしゃる浅川嘉富氏のグァテマラ旅行が中心の番組で、とても歴史番組とは言い難いものだった。かといってオカルト番組にもなりきれていない。こちらは今でもデニケンを楽しむ余裕だってある。それなりの仕立てで来てくれればOKなのだが、これが、なんとも曖昧な作りで、その座りの悪さに、見ていてストレスが溜まって仕方なかった。
TBSは新大陸の考古学関連では昔から結構いい番組を作ってきたのに、グァテマラまで行っておきながら、マヤ文明の成り立ちや盛衰などもきちんと説明しないなんて、もったいない。「新世界紀行」のチャレンジ精神はどうしたんだ? こんな番組を「開局記念」番組だなんていうと、お得意の「シカン文明」方のクオリティーも疑われかねないんじゃないのかと思う。
番組の肝である、キチェ族の長老が語る話にしても、マヤの時代、アティトラン湖に星を写して天体観測をしていた云々など、完全におとぎ話なのだ。そもそもマヤの時代にあのエリアには都市は無かったはずだし。
マヤの時代の信仰の名残は一部あるのかもしれないが、スペイン人がやってきた時にはすでに古典期マヤの栄華は遠く、現グァテマラのマヤの都市群のほとんどは廃墟になっていた。


今、アティトラン湖の畔の村ではマシモン(サン・シモン)という、スペイン人の格好をした木偶像にタバコをくわえさせて祈っている。マヤの時代にどのような信仰があったのか、長期暦とは何なのかと、現代のキチェ族の老人に聞くこと自体無理なのだ。

この番組で面白かったのは、グァテマラの、征服者(スペイン人)の仮面をかぶった踊りが見られたことと、浅川氏が泊まったティカルの遺跡の敷地内にある唯一の宿で、ベッドにサソリが落ちてきたという下りだ。「これを見てください」と、楽しそうに語っているところがよかった(考古家はそうでなくちゃいけない)。あの宿は私も泊まったが、ティカルをじっくり見たい人には是非お勧めしたい。遺跡が混む前の早朝から見られるし、日暮れまで遺跡内にとどまれる。真っ暗な遺跡は怖いけど。
ジャングルにこだまするホエザルの叫び声を聞きながら寝るのも乙なのだ。


マヤの長期暦が終わる時に世界が終わるとか人間がどうなるとかいう話は、『チラム・バラムの書』がはじめなんだろうか。
『チラム・バラム』は18世紀頃にユカタンで書かれたものとみられているらしいが、予言的なものが多く含まれているという。
メキシコの国立民族学博物館に原本の一部らしきものが展示してあり、開かれた頁は、占星術のような図柄が描かれていた。

これまであまり興味が無かったが、ル・クレジオが編訳したものがあるようなので、今度読んでみよう。

5200年ほどで一周する長期暦はマヤ以前の文化から継承されたもののようだが、おそらく、いつ終わるかということより、「いつ世界が始まったか」が、重要であり、王族が自らの正統性を示すためにも、石碑などに長期暦を刻むのが有効だったのだと思う。
マヤの暦は終末に向かって進んでいく直線的なものじゃない。循環、反復運動が組み合わさったものなのだ。各都市の支配者たちは、「昔の王たちが行ったように、自分たちもする」ことを重視していた。
アステカ族は一種の末法思想にとらわれていた面があるようだが、それもどの程度シリアスなものだったかはわからない。文化の変容は速く、スペイン人が到来してから書かれたものの多くはキリスト教的な文脈に引きつけられていると考えた方がいいんじゃないだろうか。

3年前、ユカタン南部のヤシュチラン遺跡を訪れた。ジャングルの深奥部にあり、車が通れるような道が無く、河をボートで1時間ほどかけて辿り着く、メキシコとグァテマラの国境沿いの遺跡だ。
神殿の階段の最上部に置かれた石に、神殿の階段の前で神聖な球技を行う王の姿がレリーフで刻まれていた。面白いことに、絵の中の神殿の階段の最上部には、小さく、このレリーフを縮小した絵柄が描かれていた。
絵の中に絵を見る自身の姿が描かれているというような永遠の反復性が、彼の血筋の永遠性を象徴するようにして使われているのだが、歴史の繰り返しを重視するマヤの世界観を端的に示しているようにみえて面白かった。