恵方巻きとイムボルク

恵方巻きはまだやったことはないが、太巻きを一本くわえて黙って食べきるというのは、結構しんどいんじゃないだろか。
我が家は信州出身の両親と東京育ちだったので、そんな風習があることは全く知らなかった。
我が家の節分といえば、親父ではなく母親が大きな声で豆まきをしていたが、ある頃から落花生を殻ごと撒くようになっていた。回収がしやすいという合理的な観点から導入された方式だったが、廊下に落ちた落花生を猫がつつき回している様子などを見て、伝統行事もグズグズだな...と思ったのだった。

恵方巻きについては、学生時代に話だけは聞いたことがあった。黙って、皆で決まった方向を向いて巻き寿司を丸かじりするのだと。「子どもの頃、そんなことをしたような気がする」というような話だったので、そんなへんてこりんな風習が?本当かしら、と。
約20年ほど経って、近所のコンビニのおばちゃんが「恵方巻きはいかがですか−」と、大声を出している様子を見て、「これがあの話のあれか!」と感動したのだが、東京でこんなにポピュラーになるとは思わなかった。
ものは試しなので、今年は家族でやってみようか。たぶん、娘が沈黙に耐えられなくなって吹き出してしまうと思うが。

冬の節分といえば、ブリテン島やアイルランドケルト的伝統では、イムボルクという祭日になっている。女神ブリギトを祀る日だったので、キリスト教化された後は聖ブリジットの日となったらしい。イムボルクは冬至春分の日の中間の日で、一年を春分夏至秋分冬至によって分けた四つの区分の、中間の日であるクロス・クォーター・デイの一つだ。残りの三つの日は、春分夏至の日の間が火祭りであるベルティネ、夏至秋分の日の中間が収穫祭のルーナサ、秋分の日と冬至の間で、一年の初めの日が現在のハロウィンの元になっているサウィンとなっている。
ブリテン諸島石器時代の遺跡は夏至冬至・春秋分の日に関連した構造のものが多いのだが、「タラの丘」として知られる墳墓では、イムボルクとサウィンの日の朝日が石室に入るようになっているらしい。タラの丘は巨石の時代だけでなく、「ケルト」の時代にも祭祀の場所として再利用された。珍しいケースだ。
今年のイムボルクの朝日はどうだろうか、タラの丘とイムボルクに関する頁を作ったので、見て欲しいと、アイルランドのマイケル・フォックスからメールが届いた。
http://www.newgrange.com/imbolc.htm

昨年のニューグレンジにおける冬至の朝の様子も時系列的にまとめたので、見てね、と。朝日が入り口を照らしている写真がある。
おや? 確か昨年の冬至の朝は曇りで、朝日は遺跡の中に入らなかった、残念、と報告していたような。
21日の冬至の日は曇りで、翌日22日の朝はクリアな天候だったようだ。22日も冬至と言ってもいいだろう、ということらしい。朝石室に入れるのは公式な冬至の日の朝だけなので、22日には外から見るしかなかったようだ。
http://www.newgrange.com/winter-solstice-09.htm