地震-11

東京の浄水場の問題、福島県の土壌から検出された基準値1600倍のセシウムが見つかった問題など、じわじわと影響が広がっている。
「そうだったのか」の人も含めて、テレビに出る解説者は、安全です、よく勉強しましょう、ばかりだが、異なる見解を持つ人も少なくない。
環境中に放出された化学物質の影響を専門にされている田坂興亜氏もその一人だ。転送歓迎とあったので、少し長いが引用する。

 今日(3月20日)の朝日新聞福島原発事故関連で、枝野氏の記者会見での発表が、掲載されていましたが非常に大きな間違いをそのまま掲載しているのでメールします。

 福島県で採取された牛乳とほうれん草から放射性ヨウ素が検出されたとの報道の最後に、「しかし、一年間これを食べ続けても、CTを一回受けた放射線量程度なので、直ちに健康に影響を与えるようなものではありません」と枝野氏の記者会見での発言を、何のコメントもつけずに掲載していました。この発言には、二つの重大な間違いがあります。

 一つは、牛乳やほうれん草に含まれる放射性ヨウ素131は、これを食べた場合、特に乳幼児や、成長期の子供の場合、のどのところにある、甲状腺に「チロキシン」という「成長ホルモン」として蓄積され、「体内被曝」をもたらします。その結果、チェルノブイリ原発の事故では、汚染地帯に生活していた子供たちの多くに「甲状腺のがん」を発生させてしまったのです。したがって、枝野氏の報告は、ごく微量でも深刻な結果をもたらす「体内被曝」の可能性を、(多分東京電力や、原発推進派の御用学者によって作成された段階で、故意に)無視し、CTのような「体外被曝」との比較に摩り替えられています。

 第二の問題点は、「直ちに健康に影響を与えるほどのものではない」という、表現です。微少量の放射性物質(ないしは放射線)に被爆したとき、もちろん、「直ちに」健康に被害は出ません。しかし、これまたチェルノブイリ原発事故によって放出された放射性ヨウ素を牛乳などの食品や汚染した水を飲むことによって摂取してしまった子供たちは、3年、4年後に、甲状腺のがんを起こした事実からも明らかなように、「直ちに健康被害が出ない」ということが、「特に問題にすることは無い」、ということにすりかえられています。(これもまた、原発を推進してきた電力会社、政府、また、原発受け入れ容認の立場をとることによって潤沢な選挙資金を得て当選した、 県知事、市長、町長などが放射性物質の人に与える影響を過小評価するのに用いてきた表現です。)

 以上のような事実の矮小化は、30キロ圏内のみならず、その圏外にいる、子供を持つ親たちに、「まだ安全なんだ!」という幻想を抱かせ、本当にどうしようもない危険な状態になって初めて、ことの重大さに気づくということになりかねません。ぜひ、みなさんでこのことをお伝えいただきたいとお願い致します。 その際、カッコ内の部分は、多少過激すぎるかもしれませんので、カットしてくださってかまいません。
田坂興亜

田坂氏にはICUの教授をされていたときお世話になり、授業をとったことがある。決して大げさな表現を好むような人ではない。もの静かな、実直な研究者タイプの方だ。今回の事態に対しての強い憤りが感じられる。

 田坂氏が問題にしている放射性ヨウ素内部被曝に関しては、おそらくそれに関しても数値的に問題無い、という専門家は多数いるだろう。これはもう私などの判断を超えているが、ただ、はっきり言えることは、低レベル放射線の被曝の長期的な影響に関しては、何か断言できるほどのデータは存在しないはずだ、ということだ。先日も書いたが、参考になるのはチェルノブイリ原発労働くらいで、他にはデータがとれるような事例はないはずだ。「全く問題ない」と言う人たちは、労働者の被爆線量と健康状態を追跡調査などしたことがあるんだろうか。数は少ないが、白血病や腫瘍などで労災を認められた人もいる。また、IAEAをはじめとする複数の国際機関と被災地の専門家がまとめた「チェルノブイリの遺産」によれば、環境中に放出された放射性物質の影響として扱われているのは小児の甲状腺がんに限られているが、これも調査の範囲の取り方で全く変わってくると主張する専門家もいる。要するに、ある程度以上のまとまりをもって顕在化していないものは、因果関係がわからない、よって統計の対象としない、ということにすぎない。
テレビで連日「全く問題ない」と言っている専門家の見解は見解として、「全く」「全然」というような表現はおよそ科学的でないし、「うちは子どもに茨城産のほうれん草を食べさせてますし、マスクもさせていません」などという言葉は政治家のそれであって、科学者のものではない。
放射能に対しては、私たちの身体的経験も、知覚も全く無力だ。だから、怖れをもつのは当たり前であり、それを侮るような態度をとるべきではない。

原発に関して、「全く問題無し」「絶対安全」の予断こそがこの事態を招いているということは、今日の参議院会館での後藤政志氏の講演内容からも明らかだ。
「絶対安全」を建前にする日本では、設計基準を超える激烈な事故に対する備えはそもそも検討外だった、そのため、そうした事故を指す言葉すら無かったという。また、ヨーロッパの原発には装備されている、格納容器からの緊急の排気から放射性物質の環境放出を防ぐためのフィルターなども、日本の原発にはひとつもないのだそうだ。そんな事態はあり得ないので、そうした設備も不要という見解だ。これがあれば、少なくとも、今回「ベント」によって放出された物質は大幅に低減できたかもしれない。
また、今日の『東京新聞』には福島原発の設計に関わった元東芝社員の証言が複数掲載されている。安全性の検証を担当した社員が、M9級の地震を想定した検討を行うと、上司が「原発自体が数十年しか稼働しないのに、千年に一度の事態を想定してどうする」と一笑に付したという。
千年に一度でも、万年に一度でも、ひとたび大事故が起きてしまえば、誰にも責任のとりようのない事態に至ってしまうようなものを、自分たちで安全基準を作って、それに合ったものを作ったから「基準を満たしている」だから絶対安全、と言って進めてきたのだ。