新盆/死者の日

lithos2006-07-13

昨年の9月に亡くなった義祖母の新盆の供養を行った。昨夕玄関先で迎え火を炊き、今日は経をあげてもらった。
私の父はこうしたことに全く興味がない、というか、忌避していた面があったので、小さな仏壇はあったが、線香ひとつあげていなかった。父は中学生の時分に父親を亡くし、多くの弟・妹がいたので苦労したようだが、父親の法事など、一切しなかった。「そんなことをしても何の役にもたたない」という感じであった。面白いことに末弟の叔父も似たようなキャラクターで、祖母の法事で坊主が経をあげた後で「では、少しお話を」というようなことを言った際、「まあ、役にたつかどうかわかんないけどね」と、むっつりと言ってのけたのだった。普段静かな、学究肌の叔父だったので、笑いを抑えるのに苦労した。
なので、私の両親の出身地である諏訪と、妻の家系の出身地である北九州と、作法などがどのように違うのか、よくわからない。今日はホウヅキで飾っていたが、地方によっては長いそうめんでぐるりと仏壇の周りを縁取って飾ることもあるらしい。
死者の霊を迎えて、一緒に過ごし、帰ってもらう、というのはメキシコの「死者の日」も同じだ。11月の1日と2日、ディア・デ・ムエルト(英語でDay of the Dead)の日には、町に実物大の髑髏の砂糖菓子などが並ぶ。学生の時分に観たエイゼンシュテインの「メキシコ万歳」という映画で、小さな子が笑いながら髑髏の菓子にかじりつく場面は鮮烈だった。
現在死者の日はハロウィーン化というか、派手になっていて、死神や死体などのホラー系コスチュームなどを着て町を歩くような感じになっているようだが、オアハカなど、地方の町には昔ながらのスタイルが残っているという。この時期にメキシコを訪れたことはないが、是非一度行ってみたい。
ヨーロッパ人が入ってくる前からメキシコに住んでいた人たちは髑髏が大好きだった。マヤやアステカなどの古代文明には髑髏が溢れていた。顔の半分が髑髏になっている彫像などがあるが、生者の世界は死者の世界によって成り立っているというのが、基本的な世界観だったようだ。死者の世界を髑髏という直裁な形で示す伝統がどのように継続したのか、マヤやアステカなどの文明と共に絶え、新たに復活したのか、詳しいことはわからないが、この伝統を最高の諧謔に仕立て直したのが風刺画家のホセ・ガダルーペ・ポサーダだった。登場人物が全て骸骨という風刺版画の数々は奇抜で可笑しくて哀しくて陽気で実に楽しい。著作権の無いものなので、本にできないものかと、ずっと考えているのだが。現代企画室がかれこれ20年前に「インディアス群書」のラインアップに、ポサーダの世界という企画をあげていたが、結局出ることがなかった。
ポサーダ以来の可笑しき髑髏たちは、今、メキシコの民芸のメイン・アイテムだ。チープな木彫りの骸骨たちのパーティーや結婚式や葬式や棺に入ったギター弾きなどが日本でも「チチカカ」などで売られている。私はこれが大好きなのだが、どうしても欲しいものがある。髑髏の飾りものを作り続けてきたリナレス家の古い髑髏の飾り物だ。確か、グレイトフル・デッドのジャケットかポスターにも登場していたように思うが、オキーフの絵のように、色とりどりの花模様で飾られた髑髏の置物だ。現在もリナレス家は髑髏の置物を作っているようだが、残念ながら、「スクリーム」などのホラー・ムービーの流行後は、完全にそちらの傾向にシフトしていて面白くない。