病院通りを歩く

昨秋に『巨石』の原稿を書き始めてから、日中は仕事でパソコンの前に座り、深夜と週末は原稿書きでパソコンの前に座り、と、ほとんど動かなかったため、すっかり体がおかしくなってしまった。もともと腰痛持ちで、血行が悪い。かかりつけの鍼灸の先生に「筋肉が飴みたいにべったり粘ってますねぇ」と言われた。どうすればいいのか?
なので、久しぶりに朝、一駅分歩くことにした。以前も長く歩いていたのだが、イギリスで遺跡を探しながら河原を走っていた時にねん挫していたので、止めていた。
西武線清瀬駅まで歩くのだが、清瀬は病院の多い町だ。私の家のすぐ近くにはハンセン病の広大な施設があるが、清瀬もかつては結核などの療養を主とした病院が多かったようだ。キリスト教団体が運営する病院も多い。
以前、清瀬まで歩いていたとき、私が「ゲッタウェイじじい」と名付けていたじいさんと度々すれ違った。このじいさん、足が悪く、杖をついてゆっくり歩いている。70歳くらいだろうか。身なりは割にきちっとしている。歩道ですれ違うとき、当然こちらから避けて譲るのだが、すれ違って数歩歩いた頃、でかいダミ声で「ゲダウェーイ!(Get Away!)」と言うのだ。発音もそれらしい。最初は自分に言っているのかどうかわからなかったが、他の人とすれ違っても同じことをしている。皆、びっくりして振り返るのだが、何だかわからない。時にはさらに何か罵るようなことをぶつぶつ言っている。数度これを経験し、なるべくすれ違わないようにしていたが、ある朝、気がつくと件のじいさんがすぐ先から歩いてくる。今更道路の反対側に渡るのも何なので、これ見よがしに歩道を外れて大きく避けてすれ違ったが、やはり、数歩先で「ゲダウェーイ!」。つい、ムッとして、「今何て言ったの?」と言ってしまった。「いえ、何でもありません」。「『どけよ』って言ったでしょ」。「いえ、足が悪いので道を譲ってもらえませんか、という意味のことを言ったんです」。応答はいたってまともだったので、頭はしっかりしていると思った。
「『ゲダウェーイ』は、『譲ってください』じゃなくて、『そこを退けよ』っていうことでしょ」。「いえいえ、そんなつもりじゃないんですよ」。話し方は「ゲダウェーイ」を言うときのダミ声とは打って変わって、大人しい声だ。
「みんなあんたに気を遣って、道を譲ってるんだから、「どけ」はないでしょ。止めなさいよ、そういうのは」。
ああ...、いやな朝になってしまった。なんで俺は足の悪い爺さん相手にこんなことを言ってるんだろうと後悔しつつ、さらに歩いたが、背後から、「あなたの名前は何て言うんですかぁー。名前を名乗ってくださーい」とデカイ声で叫んでいる。心底こりごりして、次からこの爺さんとすれ違う時間を避けて行くようにした。
それきりこの爺さんと会っていない。今日、久しぶりに清瀬まで歩きつつ、そういえば「ゲッタウェイじじい」はどうしてるだろうか、と、気になっている。