赤塚不二夫

赤塚不二夫の奥さんが亡くなられたらしい。赤塚氏本人は数年間眠ったままだという。彼が漫画家として持続的に仕事ができなくなってから随分と年月が経ったのだろう。そのへんの事情はあまり詳しく知らないのだが、小学生の頃は赤塚フリークだった。というか、「おそ松くん」フリークだった。ニャロメやイヤミやチビ太の絵の上手さに関しては自他共に認めるものがあった。どうしようもなく好きだったので、自分の発案で学級会の出し物におそ松くんの寸劇を演った覚えがある。厚紙でイヤミの出っ歯を作って上歯茎と上唇の間に挟んで演じたように記憶している。内容は覚えていないが、「●日間洗ってない靴下ざんす」と言って無理矢理靴下のにおいを嗅がせる場面があったことだけは覚えている。ちょっと好きだった女の子の誕生日のプレゼントにチビ太の絵をあげたことさえある。完全に世界を勘違いしていたとしか言いようがないが、いまさら取り返しもつかない。
赤塚氏の漫画というと「天才バカボン」が別格扱いのようになっている感があるが、私は「おそ松くん」や「もーれつア太郎」が好きだった。思い起こすと赤塚不二夫の漫画の多くが「人情もの」だったと思うが、上記二作は古典的な人情ものの、文字通り現代的な戯画化という面が強かったように思う。確かおそ松くんの最後の方ではハタ坊が西部劇の「根は善人」の悲劇的な悪役になるような話があった。登場するキャラクターは皆ヘンテコなのだが、おそらく、身近にいる人たちであって、パンいちでフラフラ出歩いているおっさんや、外国に旅行に行ったと自慢気に話すやつや、おでん屋の屋台の周りでうろうろしているきたない子供だったのだろう。調べてみると「おそ松くん」の連載が始まったのは私が生まれた62年らしい。60年代の東京という変化の激しい町並みの中で赤塚氏は漫画家としてのキャリアを重ねていったが、彼の描くキャラクターはどこか箱庭のような、大切に保護された、人間関係の濃く狭く懐かしい世界で大騒ぎしているような印象がありつつも、出てくるのは犬の顔をしたヤクザの親分や、難しい生い立ちをもった癇癪持ちの猫など、見たことの無いようなおかしな者たちなのだ。誰もが見覚えのある懐かしい風景の中で、お面をかぶったような、見知らぬ者たちが、ままごとのようなやりとりをしている。現実感が濃いのか希薄なのか良くわからないような、60年代という時代独特のおかしなバランスの上に立っていた世界のようにも思う。
70年代半ば頃になると「お出かけですか?」の近所のおじさんは、ナンセンスかつシュールな人物としての一面を際立たせていく。というより、彼が箒を持って立っていた板塀の家の前の小路は、子供たちにとって少しずつ見覚えのない風景になっていき、彼は自らの異様さそのものに依って立たざるを得なくなったように思う。それは描き手としてもしんどい道だったのではないだろうか。
30年ほど赤塚氏の漫画を全く読んでいない。やや紋切り型だが、私の記憶の中での赤塚不二夫の世界だ。