市営プール/ポランスキーのマクベス

lithos2006-08-06

暑い。たまらず7歳の娘と市営プールに。昨夏、水に顔をつけるのがやっとで、「手を離さないでー!!」と大声を出していた娘も、今は「あ〜ぁ〜、河の流れのようにぃ〜」と歌いながら仰向けに泳ぐまでに水をナメきっている。きもち悪いので、止めてほしい。
市営プールは必要以上にピリピリしていて、「柵に近づかないように」と、競泳用のコースと一般用を分ける金属のフェンス際で泳がないように大声で注意しつづけていたが、子どもがいっぱいの混み合ったプールで、監視員の声などほとんど聞こえない。近づいてほしくなかったら、少し手前にコースロープでも張ったらどうかと思うのだが。上からは「注意しなさい」と言われているんだろうが、その注意が効果がなかったら、かわりにどうすればいいのかと考える当事者意識は、時給のアルバイトだけだったら、なかなか持てないんだろうな。

仕事をしながら聴くのにいいのではないか、と思い、昔LPで持っていたToni EspositoというイタリアのパーカッショニストのRosso Napoletanoというアルバムを買い直した。紙ジャケのCDだ。昔買ったときも何の予備知識もなかったが、ジャケ買いしたのだった。小さな窓のついた部屋にマスモス社のAstro Baby(ロケット型の容器に色のついた液体が入っていて、油の玉が浮かんだり沈んだりしているやつ)のような映像が映っているというものだ。思った通り、なかなか軽快でカラフルな音という印象で、何かしながら聴くにはちょうどいい感じだった。改めてジャケットをみてみるとポール・バックマスターが参加していた。この人は60年代末からロックのアルバムにストリングスのアレンジャーとして度々クレジットされる人だ。エルトン・ジョンデヴィッド・ボウイーのアルバムのアレンジで有名なようだが、私にとってはサード・イアー・バンドという、ユニークなバンドがロマン・ポランスキーの映画『マクベス』の音楽を担当したときのメンバーとして印象ぶかい。サード・イヤー・バンドは古楽器や民族楽器を使って現代音楽のようなことやっていたバンドで、バンドのメンバーが宴の楽士として映画に登場するというので、10代半ばに友達に誘われて高田馬場早稲田松竹まで観に行ったのを覚えている。バンドはほんの一瞬しか映らないのだが、映像の美しさに惹かれ、その後も機会がある度に観た。オープニングで三人の魔女が切り落とされた手首を砂に埋めて「きれいはきたない、きたないはきれい(逆?)」という場面の、見渡す限り延々と砂州というか干潟の続く風景は非常に印象的なのだが、昨年、思いがけず、ロケ地を訪れることになった。
ノーサンバーランドというイングランド最北東の地方の小さな島ホーリー・アイランドは、中世の装飾写本『リンディスファーンの書』が作られたリンディスファーン修道院があった場所として知られる。ブリテン島のキリスト教布教の最も古い拠点の一つだ。ブリテン諸島で中世の装飾写本というと、アイルランドの『ケルズの書』や『ダロウの書』など、大陸のケルト的装飾とブリテン島のピクト人の装飾などが融合した見事な祈祷書が有名だが、『リンディスファーンの書』はやはり大陸起源のケルト的文様と、北方起源の動物組紐文様が見事に反復的装飾として様式化された非常に美しい書物だ。
このホーリー・アイランドと本土とは干潮時のみ通行可能な細い道でつながっているが、この道の周辺の広大な干潟が「きれいはきたない」の場面に使われた場所だった。しかも、ホーリー・アイランドにある岩山をそのまま城塞に仕立てた古城が映画のマクベス城として使われたものであることにも気づき、思いがけない喜びだった。
映画で魔女が手首を埋めていた広大な干潟は、映画ほどではないにしても、不思議な魅力のある景色だった。干潮を待ちきれずに水没した道を走ろうとした車が途中でエンストし、延々と手で押していたのが忘れ難い。
マクベス』はDVD化されていない。ポランスキーの作品中でもあまり人気がないようだ。