変わり玉/「イヴの七人の娘たち」

変わり玉という名前で呼んでいたが、丸く、舐めていると色が変わっていく飴があった。私は瑪瑙が好きで集めているのだが、縞瑪瑙の内部構造は、この変わり玉と同じようになっている、と、よく人に説明する。先日、石神井公園の南口にある菓子屋で、変わり玉があれば娘に買ってやろうかと思い、尋ねたところ、「最近のは色が1回か2回しか変わらないんですよ」とのこと。それじゃあ、全然面白くないですね、というと、「最近の親御さんは子どもが飴を口に入れたり出したりして色が変わるのを見るなんてのは、汚らしいから嫌がるんですよ」ということだった。まあ、手がベトベトになったりするんだろうけどね...。子どもも飴の色が変わるくらいで喜ばんのだろうなあ。そうか、もう無いのか、と思っていたらば、なんと、無印良品から袋入りで出ているのを嫁が発見した。無印良品的な菓子であると捉えられているのか。要するに「懐かしいでしょ?」ということなんだろう。まあ、大した味でもないし、この歳になって色が変わったどうか頻繁に口から出して確認するのも結構面倒で、気がつくとほとんど見ないうちに最後まで舐めてしまった。これじゃあ何色なのかわからんな、と言っていると、嫁がバリンと噛み砕いて確認。4色になっていたそうだ。変わり玉を噛んで歯が欠けたりしたらシャレにならんのだが...。

数年前に話題になった本『イヴの七人の娘たち』(ブライアン・サイクス)を読んだ。ミトコンドリア内のDNAには組み替えが無く、母親の遺伝子をそのまま受け継ぐことから、ヨーロッパに現在住んでいる人たちの母系のルーツ探しをする話だ。このブログでも以前書いた「チェダー人」のDNAを調べた人が著者だが、私の記述は少し間違っていた。歴史の教師が全く一致したと書いたが、完璧に一致したのは、子ども二人だったそうだ。ただ、彼らの生活に配慮して、名前を公表しなかったという。件の教師は、タブロイド紙から高額な報酬を提示され、お願いだから原始人の格好をしてチェダー人の写真の隣に立ってもらえないかと依頼されたが、断ったらしい。この本で興味深かったのは、ポリネシア人のルーツを巡る話だった。ポリネシア人は元々東南アジアから移動していった人たちで、東はイースター島まで至ったという説と、イースター島の住民は南米大陸から渡ったのだという説があった。後者は有名なヘイエルダールが支持者で、自らコンティキ号で渡航可能であることを証明してみせたわけだが、DNAを調べて、この説は完全に否定されることになったという。元は台湾あたりから、長い時間をかけて移動し、最終的には数百キロも陸地の無い洋上を漂う当てのない航海に出、島々に散って行ったのがポリネシア人ということだ。ニュージーランド、ハワイに至ったのもポリネシア人だという。そのような冒険に満ちた航海へ駆り立てたものは何だったのだろうか。生活環境の変化か、あるいは人口増によって押し出されることになったのだろうか。
ちなみに、メキシコ最古の文明といわれるオルメカの遺品には、巨大な人頭石像がたくさんあるのだが、これらはオルメカの通常の人像と全く違う顔をしている。唇が厚く、ネグロイド系の顔ではないかと言われ、アフリカ人がメキシコに至った証拠ではないかという人もいるが、どちらかというとポリネシア人のように見える。何の根拠もないが、イースター島からさらに北東に漂流して中米に至ったポリネシア人の一団が、まれびととして受け入れられたのかもしれないと想像するのも面白い。今後中南米に住む人たちのDNA調査が進むと、様々なことがわかってくるのだろう。
また、ヨーロッパ人の多くは石器時代初期の狩猟採集民の子孫ではなく、西アジアアナトリア近辺で農耕を始めた人たちの子孫ではないかと言われていたようだが、これも完全に否定されたという。農耕は人的移動によってもたらされたというより、アイデアの伝播という形で急速に広まったようだ。現在のヨーロッパ人の多くが古い狩猟採集民の子孫であることがわかったという。ちなみに、この本が書かれた時点での日本人のサンプルからみると、弥生人の系譜に属する人がはっきりと多数派を占めたらしい。

イヴの七人の娘たち