高い所は怖い

ラジオを聞いていたら、漫画家の吉田戦車の『吉田観覧車』の朗読をしていた。全国各地の観覧車を巡る話のようだが、彼は酷い高所恐怖症だということで、怖いけど観覧車が大好きだというアンビバレントな話なのだった。私も高所恐怖症で、しかも子どもができてからさらに酷くなっている。子どもができてから悪化するというのはよくあることらしい。自分だけでなく、人が崖などに近づいているのを見るのも駄目だ。イギリスやアイルランドには切り立った断崖の名所が多くあるが、裸で体半分乗り出して「ヒャホー」とか言っているアホな観光客がいるのを見ていると、足がジワーっと落ち着かなくなってくる。落ちるのか落ちないのか、落ちるなら早く落ちてくれ! というような気分になる。いや、もちろん誰も落ちようとはしてないのだが。
子どもの頃から、木登りや、自宅の屋根の上に登るのは怖くなかったが、橋や学校の屋上から下を見るのが駄目だった。城の石垣などの端に立つのもきつかった。もちろん崖など論外だ。憶えているかぎり観覧車で怖いと思ったことはなかったのだが、娘が幼稚園のときに葛西の臨海公園の観覧車に乗り、下を見るのが怖いことに気づき愕然とした。なるべく下を見ないようにして、「おっ、あんなところにディズニーランドが見えるなぁ」などと遠くを見て気を紛らせたのだった。ところで我が家では「ディズニーランド」というものは存在しない、あるいは知らないことにしていたので、これは失言だった。私も嫁もディズニーっぽいものが苦手で、娘が幼稚園で「誰々が『ディズニーランド』っていう楽しい所に行ったらしい」というような話を聞いてきても、「そんなものは知らないなぁ」ととぼけていたのだ。連れて行けなどとゴネられてはかなわないから、無いことにしていた。私のつぶやきを聞きつけた娘は「えっ?ディズニーランド?」と素早く反応していたが、「いや、そんなことは言ってないぞ。気のせいだろ」とシラをきったのだった。
高所恐怖症なんだと知り合いの編集者に話したら、「高所恐怖症の人って、もしかすると自分は衝動的に飛び降りてしまうかもしれない、って、潜在的に自分の理性に自信がもてない人なんじゃないの?」と言われた。どうなんだろう。確かに、あぁーっと落ちていくイメージがある。木登りや家の屋根などはつかまりながら自分で登っていったもので、自分の現状を自分で維持できるという気分がある。でも橋などは.....ちょっと乗り出していたら、後ろから誰かに押されるかもしれない、押されなくても、誰かの肘が当たって落ちてしまうかもしれない、突風が吹いてバランスを崩して、そのまま落ちていくかもしれない、欄干が崩れてもろともに落ちていくかもしれない.....こんな感じだろうか。自分でもよくわからない。
怖いけれど、登ってみたい、眺めてみたいという吉田戦車の気持ちはわかるような気がする。私もかねてからハンググライダーとかパラグライダーとか、やってみたいという気持ちが強かった。映像などを見るといいな、自分もやってみたいな、と思う。サン・テグジュペリリチャード・バックも好きだった。映画『ザ・ライト・スタッフ』も大好きなのだ。でも、おそらくハンググライダーに乗ったら怖くて目を開けていられないだろう。
昨年、『巨石』の取材旅行に行ったとき、ストーンヘンジとエイブベリーの上空をヘリコプターで飛んで撮影しようと考え、事前に現地のヘリ会社に連絡した。これらの遺跡の配置を示すには航空写真が不可欠だし、どうせなら借り物でなく自分の写真を載せたかった。結果的にヘリ会社と日程が合わずに実現しなかったが、交渉中、果たして自分は耐えられるのかという不安をぬぐえなかった。「自分は所謂遊覧飛行ではなくて、撮影をしたいんだけど、そういうサービスもしてますか?」「ええ問題ないですよ」「そういうときは、一般的にどういう風に撮影するんでしょうか? 窓ごしですか、それともドアを開けてでしょうか?」「写真のことは詳しくないですが、どちらも可能だと思いますよ」「あの、もしドアを開けてのり出して撮影するとしたら、命綱的なものというか、ドアから落ちないように固定するような設備はあるんでしょうか?」「........我々はスケジュール管理をしている代理店なので、詳しいことは申し込んだ後でパイロットと相談してもらえますか」「できれば申し込みをする前に、条件を聞いておきたいんです。そちらからパイロットに聞いてみてもらえませんか?」「......(なんだこいつ?)......」「もしもし?」
.....などとメールでやりとりしているうちに予約が一杯になってしまったのだ。残念だったが、ちょっとほっとしたのだった。