ホワイトカラー・エグゼンプション」とかいう何処の国の話なのかさっぱりわからない名前の法律を作ろうとしてるらしい。一定程度の収入のある「ホワイトカラー」の時間外労働手当をなくす、つまり残業代を払わなくてもいいことにするということのようだ。勤務時間に拘束されない、成果主義による報酬を選択できるようにする、という趣旨だという。経団連の提言では年収400万以上の者を対象とするというので、特別な「高額所得者」ともいえない。能力のある人は、自分の裁量で労働時間を決められるようにしよう、とか言っているが、企業の超過勤務手当の負担を軽くしたいという意図が露骨に出ている。厚生労働省の説明を読むと、時間外労働短縮のためにも、というような文言があるが、パートで働いている人の一部にまでサービス残業が強制されているような現状をどう考えているのか。私が関わっている業界でも、コスト削減は人件費削減に直結している。専門学校卒の若いオペレータやデザイナーを連日のように深夜まで、あるいは泊まり込みで働かせて、超過勤務手当は一切無し、疲れて少しでも遅刻すると減給というような、酷い職場はたくさんある。「エグゼンプション」がこうした雇用の仕方にお墨付きを与えることになる可能性は少なくないはずだ。
いろんな労働の形を選択できるように、というようなことも、厚生労働省は言うのだが、もうすこし雇用を安定させることに優先して取り組むべきで、今のように失業率が高く、非正規雇用が増えているような状況で、「選択」もくそもあったものではない。
日本の会社というのは閉鎖的な空間だ。入ってみないとわからないことばかりで、小規模な企業では雇用者や人事権を握っている者の裁量が絶対的な力をもっている場合がほとんどだ。終身雇用制が崩れて、流動性が高まって結構と言う人がいるが、業種や学歴・職歴によって事態は全く異なる。継続的な雇用が保証されなくなった分、より不当な雇用条件も呑まざるをえなくなった職場がたくさんあるはずだ。

私の会社勤め経験はあまり長くなかったが、思い起こすといろんなことがあった。試用期間後に一方的に解雇された社員が超過勤務手当の不払いと不当解雇を訴えたことがあった。その人に直接仕事を割り振っていたのは私だった。裁判所に呼び出され、参考人として聴取された。数日まともに寝ていなかった私は、検事が話していることが全く現実味がなかったため、ついつい居眠りをしていた。何度か「はい、起きてください」と呼びかけられ、わけのわからないまま調書をとられた(ような気がするが、どこに行ったのかすら憶えていない)。過酷な職場で、慢性的な睡眠不足だった。いろんな意味で我慢の限界に達して辞めた。労働基準法に忠実な雇用では成り立たないことが明らかな組織だったが、組織の継続性は従業員だけでなく、関わっている様々な人たちにとって重要だった。けれど、人事権を握っていた人の対応の酷さには我慢がならなかった。20代半ばの随分昔の話だ。

判事の前で居眠りをするのもバカだと思うが、職を辞する前はほとんど人としてまともな状態ではなかったような気がする。通勤途上バイクでハム屋の配達車の側面と衝突し、自宅で朦朧としてストーブにかけたヤカンの熱湯をモロに足にかけたりもした。最後に同僚や取引先の担当者が歓送会をひらいてくれた。たいして呑んでいなかったが、お開きの直前にグッとグラスを呑み干し、そのまま「大丈夫です。皆さん、お元気で。さようなら」と言いつつバイクに乗ったものの、約5分後に新目白通りを走行中に意識が無くなりそうになり、路肩にバイクもろとも倒れたまま3時間ほど寝た。通りすがりの3人くらいの人が轢き逃げと思って「大丈夫ですか、怪我はないですか?」と問いかけてくれたのだが、「いや、大丈夫です。私はここで寝てるだけです」とか返事したように記憶している。酷い。パトカーが通らなくて本当によかった。いや、なにより他の人を事故にまき込まなくて本当によかった。飲酒運転が問題になっている昨今、改めて恥ずべき行為、いや、まともな人がするようなことではなかったと反省している。モチロン、そのような愚行までは会社のせいではない。そのままトラックに頭を轢かれたりしていたら、見送ってくれた人たちにイヤーな記憶を残すことになったわけで、そのようなことにならなくて本当によかった。「時間外勤務手当不払い」という言葉を聞くと、あの無表情で不機嫌そうな判事の「ちょっと起きて」という言葉と、「モシモシ、大丈夫ですか?」という問いかけがよみがえってくる。