丸木俊

lithos2007-01-10

内田莉莎子著・丸木俊絵『ロシアのわらべうた』という絵本が出た。1969年に発表された本を復刻したものだ。タイトル通り、ひと見開きにひとつロシアのわらべうたが紹介され、故丸木俊が絵を描いている。歌はどれもとてもシンプルなものだが(ものによっては楽譜もついている)絵がとてもいい。
丸木俊は夫の水墨画家・丸木位里とともに原爆の図で知られるが、戦前外交官の子の面倒を見る仕事でモスクワに滞在していたことがある。この絵本にも民芸品なども描かれているし、模様や動物の描き方などに、現地に暮らした人ならではの民俗に対する親しみの深さが感じられる。
丸木俊はやはり戦前に当時日本の委任統治領だった南洋のヤップ島に単身で長期滞在している。無人島を買って一人で絵を描いて死ぬまで暮らそうと本気で考えていたらしい。ゴーギャンの絵に描かれる女性さながらに、腰ミノ一丁で立ち、陽気に笑う写真を見たことがあるが、天衣無縫の迫力のある写真だった。
北海道の小さな寺の娘として生まれた赤松俊子(後の丸木俊)が東京に出て来て、似顔絵を描いたりしながら貧しい画学生として暮らしていたとき、池袋周辺には無名の若い芸術家たちのアトリエ村ともいうべきものがあり、「池袋モンパルナス」と呼ばれていたという。私の事務所の近くの話だ。宇佐見承の同名の本を近々、読んでみようと思う。赤松俊子はモスクワに行き、ヤップ島に行き、ふたたびモスクワに行くが、ドイツのロシア侵攻を前にして帰国する。後の夫の位里の郷里の広島を原爆投下直後に訪れたことが、この人の画家としての人生のかなりの部分を決定づけることになる。
原爆の図は現在埼玉県東松山市の丸木美術館に展示されている。1967年に建てられた美術館の隣にはかつて夫妻が住んだ家がある。アクセスの悪い場所にあるが、川辺の静かな場所で、ゆっくり絵を見るにはいい環境だ。原爆の図は当初政治団体主導の原水爆廃絶運動とともに全国を回った。そのため、社会主義国の核保有は正統化できるとかできないとかの例のくだらない対立なども含め、運動論とともに語られてきた面がある。当初から純粋な芸術表現ではないとかどうとか、あれこれ言われてきたようだ。そのへんの経緯はあまり詳しく知らないし、さほど興味もないが、素直に絵として見て、「原爆の図」の最初の数作はとんでもない力のある、美術史に残る作品だと思う。大学などで教えられるような日本美術史でどのような扱いを受けているかはわからないが。
原爆の図、アウシュビッツ南京虐殺水俣沖縄戦と、どこか頑な使命感をもって描かれてきた一連の重く黒々とした夫婦合作の作品群と並行して、画家丸木俊として残した絵本の絵などの色彩豊かで柔軟奔放、どこかエロチックな絵の存在があるので、私はこの人に興味を持ち続けているように思う(でないと、窮屈でいけない)。
丸木美術館には夫丸木位里の母親、丸木スマの絵も展示されている。この人の絵がとても面白い。実は私は息子夫婦の絵よりも好きだ。70代になってから、生まれて初めて絵をかいたという人だ。絵筆どころか字もほとんど書いたことのない人だったという。これが好きなようにかいてみたらば、形も色づかいも、天性のものがあった。気の向くまま描いて、かなりの数の絵を残した。大根やキュウリなどの野菜、花、鶏や猫、周囲の景色など、素朴な題材が驚くほど大胆に、魅力的に描かれている。絵描きとして身をたてようなどという欲もてらいもないので、自由そのものだ。マチスの絵を見て「この人の絵はわしのに似ているのう」と言っていたという話が微笑ましい。

丸木美術館
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm
  
ロシアのわらべうた  ふたりの画家―丸木位里・丸木俊の世界  池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち (集英社文庫) 


丸木スマさんの絵