卒業アルバム

仕事場につかっている家は、築50年ほどの家で、元は産婦人科の医院だった。開業医だったのは嫁の祖父で、大家族であったが、いろんな事情で跡継ぎがなく、廃業した後は少しずつ住む者が減っていき、とうとう昨年いなくなってしまった。本来縁の薄い私が毎日通っているのもおかしな話なのだが。いろんな事情で家の全体を継ぐ者がいなかったこともあり、長年、家を根本的に整理・整頓した人がいない。住み込みの看護婦やまかないさんなどもいたようなので、使われなくなった部屋に30年ほど前のものが放り込んであったりする。あきらかに60年代から70年代初頭くらいの流行と見える服や、火鉢、古い家電、民芸品やら人形やら、家を出た人たちが残していった物がいろいろとある。それらを少しずつ整理している。カメラなども、オリンパス・ペンが二、三台、キャノンのレンジファインダー・カメラなど、70年代のカメラが次々に出てくる。皆、それなりに高価なものだったはずだが、レンズにはしっかりとカビが生えていて使えない。物置にはソニーが初めて制作した、白黒のポータブルテレビがあった。日本の工業デザイン史に残る製品だ。今見てもなかなかいい姿をしている。チャンネルを外して、昨年、特撮テレビ番組関連の本の装幀の素材に使った。ベータのビデオ・デッキの箱もある。
書棚を整理していると、古い「家庭画報」や「暮らしの手帖」、手芸の本などが出てくる。先週、古い医学書などの間から、一冊の卒業アルバムが出てきた。昭和33年の立川市第三小学校の卒業アルバムだ。封筒には「●●ちゃんアルバム」と、筆で持ち主の名前が記してあった。親族の名ではない。嫁も知らない名だ。封筒に名を書いた者も定かでない。なぜ、ここに残ってしまったのだろうか。印刷ではなく、台紙に紙焼きがのり付けされたアルバムだ。校庭で写した集合写真の他、臨海学校や日光で写した修学旅行の写真、運動会の写真などもあるが、一枚のキャビネサイズの紙焼きの中に、数枚の紙焼きがまとめて写っている。つまり、何枚かの紙焼きを並べて、それを複写したものが一枚のキャビネ・サイズの紙焼きになっているので、個々の写真はほとんど切手ほどの大きさしかない。大変に質素なアルバムだ。集合写真は男子と女子、別々に集めて撮られているものが多い。女子の多くはおかっぱかおさげ、男子の多くが坊主頭だ。
私はこのアルバムが気になって仕方ない。もちろん処分などできない。この時代、写真機を持っている家は少なかったに違いないので、とても貴重な写真であるはずだ。嫁の叔父・叔母たちも高齢だが、なんとか調べて、本来の持ち主に返したいと思っているが、皆、知らないと言ったらどうしようか。同窓会などを調べて連絡してみようかと思うのだが。