娘は秋休み

娘の学校が昨年から二学期制になったので、昨日までちょっとした「秋休み」だった。ほんの3日(平日が)くらいなのだが。3学期制だと雑務などが多くなってしまって、教員の負担が多いので、効率をよくしたいということらしい。新任わずか数ヶ月で疲労困憊して自殺してしまった小学校の女性教師のことが話題になっていたが、そもそも新任でいきなり担任をまかせるというのがどうなんだろうか。新任の場合、学校の仕事以外にレポートを書いたりしなくてはならないというし、一人で深夜まで働いていることを周囲も気にはしていたが、みんな余裕がなくて具体的にサポートできなかったと、元同僚の教員が語っていた。そこにもってきて、オソロシイ数人のクレーマー母親ときたら、ノイローゼになってもおかしくない。
そんなに余裕がないというのなら、増やせばいいんじゃないのか? 教員の数が少なすぎる、または1学級の生徒数が多すぎるんじゃないのか。学級崩壊だとか学力低下だとかあれこれ言われているが、出てくる議論といえば、授業時間を増やすか減らすか、学力テストをするかしないか、道徳の授業をするかしないか、ボランティアを強制的にさせたらどう?(ああ、いやだいやだ) みたいな話ばかりだ。このクソややこしい時代の子供をみるのに、1クラス40人は多すぎる。以前旅先でベルギーの小学校教師と話をしたことがあるが、1クラス20か25人と言っていたと記憶している。それでも多すぎると言っていた。日本は40人だと言ったら、信じられないというような反応だった。日本が教育に金をかけていないと、何かと言われるので、少し調べてみたら、OECD初等教育に関するレポートがあり、なかなか興味深い。
http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20060912eag2.pdf
日本は生徒一人にかかる費用の絶対値は多いが、全体的な教育支出をGDP比でみるとOECDの平均5.9%に対し、2003年で4.8%と非常に低い。また、初等教育の学級生徒数は、データの無い9カ国以外の全てのOECD諸国の平均は19-21人となっている。この理由として、日本の教員の給与が比較的高いことが挙げられている。また、年間の授業数が日本は平均より少なく、正味の授業時間も平均よりはるかに少ないのだが、教員の労働時間の総数はOECD加盟国で最も多い。つまり、授業時間外の労働時間が凄く長いということだ。何に時間がかかっているんだろうか。雑用かな?
昨今、何かと増やそうとしている授業時間だけれど、ちなみに、OECD加盟国で一番授業時間が短い530時間のフィンランドは2003年の調査で、全ての分野において1位または2位なのだ。(最大がオーストラリアの981時間、日本は720時間とある。オーストラリアは日本より一ヶ月以上長い計算になるけど、長い休みって一切ないのか?)
http://ja.wikipedia.org/wiki/OECD生徒の学習到達度調査
これだけ見ても時間の問題じゃないでしょ、ということがわかる。だいたい中学から高校、大学と延々と英語教育をし続けて、日常会話もままならないような語学力しかつかないっていう教育って何なのか? 学力の順位が落ちた落ちたと騒ぐ前に、どういう質の教育をしているのか、海外の事例などと比較検討して、大学の教職課程の内容なども見直すべきなのだ。
1学級の生徒数に関しては2年前くらいに中教審でも30人学級実施に賛成する意見が多く、中山文部相も最初は積極的な姿勢を見せていたようだが、小泉内閣経済財政諮問会議で総スカンをくらい、中山も「少人数が必ずいいと思っているわけでもないんですぅ」と言い出して、国として予算をつけるに至っていない。これには財務省の圧力が強かったようだ。小泉は財務省のいいなりだと言われていたが、同年の財務省財政制度等審議会では「少人数学級編成等のため教職員を増員することを教育水準の向上と同視するといった安易な発想は排す」としている。
http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/gijiroku/zaiseic/zaiseic171020.htm
教育関係の費用を切りつめるべしというのが、全体の趣旨だが、人数に関しては、主計官がこんなことも言ってる。「実は日本の教員のティーチングメソッドと欧米の先生方のティーチングメソッドは違うということを、ご認識いただきたいと思います。これは、教育の有識者から聞いた話なのですが、やっぱり日本の先生のティーチングメソッドは1対多の中でどうやって教えるかというティーチングメソッドなのですね。ですから、1対50でも、1対30でも、もしかしたら1対50の方が効果を上げられるかもしれないのです。」
財務省は金の計算だけしてればいいのだ。普段足したり引いたりしているだけの連中が、何をもって教育水準の向上とすべきか、ティーチングメソッドがどうなのかなどという発言をするのは、小泉内閣の中途半端な競争原理至上主義を利用した越権行為としかいいようがない。ちなみに、経済財政諮問会議で、小学校低学年は30人学級にすべきではと発言した鳥居泰彦中教審会長に対して「一律三十人学級という話は今の時代からするといかがなものか」と言ったのは麻生太郎だが、この人はよくわからない。国が一律で30人と決めるのはいかがなものか、というニュアンスだったようだが、学級編成の権限をなるべく地方に移管して、地方財政に沿った運営を任せればいいんじゃないの、といいつつ、相変わらず地方に税源は渡さないし、つまらない指導上の通達を出しつづけて、「後は自由になさってください」と言われても、自由になるわけがない。本気で分権化を進める気があるのか、金の話が得意なだけなのか。
べつにクラスの生徒数と学力を「同視」しなくてもいいんだけど、OECD諸国の中で「受験」を基軸とした特異な教育体系にある韓国と日本が、特に1学級あたりの生徒数が多いことを見て、子供の教育ってどんなことなのかしらと、少しは考えてみたらどうなのかと思う。別にOECD加盟国の「学力」なんてそんなに気にする必要もないと思うが、一番気にしている連中が、OECD諸国の教育事情に関する具体的な比較検討ができていないのでは話にならない。中山は教育にも競争原理を、とか言っていたが、学力試験導入の結果は足立区のようなアホな事例で、当の現場が「体裁」しか考えていないという寒い状況が露わになっている。