最近、前世紀の世界恐慌との相似についてあれこれ言われてきたが、元厚生次官襲撃の報を聞くと、金融・経済だけにとどまらない相似が浮かび上がってくるようでなんとも気味悪い。もうひとつ要素をあげるとすれば、軍部ということになり、元航空幕僚長の問題をして、五・一五、二・二六を想起させるという人がいる。この場合は比べるべくもない浅さだろうと思っていたが、政治の質の低さを見ると、「歴史は繰り返す....二度目は茶番として」という言葉がえもいわれない気持ちの悪いものに思えてくる。ものみな「低き」に流れているように思えて仕方がない。
もうひとつあげるとすれば、宗教なのだろうが、これもまた低き、茶番としかいいようのないものの花盛りで、20年代初頭に流行した心霊ブームと、くだらない相似をなしていると言えなくもない。心霊ブームは当時の軍部にもおよび、青年将校大本教の筆先や審神者(さにわ)に傾倒した者も複数いた。当時の「心霊」は、どこか「科学」と曖昧な同居をなしている部分があった。コナン・ドイルが降霊術にはまり、妖精を写したという写真に本気になってしまったのも、同時代だ。イギリスで心霊主義が盛んになったのはさらに四半世紀も前に遡るが、陳腐化の際にあったという意味では、ここ20年ほどの日本のカルトの推移を見ると、似ていると言えなくもない。かつて三島由紀夫の肩越しに二・二六事件で銃殺刑に処された磯部浅一が見えると言った美輪明宏は四半世紀を超えた今、毎週テレビで「見える見える」と隣のデブを担いでいる。これほど低きに流れるか? と、言わざるをえない「心霊主義」なのだが、影響力を考えれば、100年前とは比較にならないものがある。今や「心霊経済」は大変な規模なのだ。
大本教は新聞社を買収するなど大いに勢力を拡大したが、終末論=「たてかえ」が不発に終わると、大陸進出を試み、内田良平らの右翼と連携して「昭和神聖会」を作る。発会式には九段の軍人会館が使わている。
皇居は「スピリチュアル・スポット」なので、エネルギーを感じました...などと言う人は、四半世紀前はいなかった。おそれるべき陳腐化なのかもしれない。