ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記6

カピバラ渓谷最終日。この日はまず市場に連れていってもらった。毎日、朝早くから公園に入ってしまい、日暮れ時に戻ってくるので、暮らしぶりのようなものがよくわからない。市場で売っている食材なども見てみたかった。海外で市場を覗くのは楽しいものだ。
廃タイヤを加工して大きな器にしてあるものがある。動物の餌などを入れるにもいいんだよ、と。ラテンアメリカの国の市場などに行くと、気安く写真を撮らせてくれ、明るく笑ってくれることが多いのだが、どうもこのへんのブラジルの人は意外にもシャイな感じで、あまり積極的に写ってくれない。廃タイヤの店のおばさんに「あなたが入っている写真が撮りたいンです」というと、とたんにガチガチに緊張して、直立不動になってしまった。

粉ものや豆などの乾物を打っている店が並んでいる。マニオックの粉を売っているのが特徴か。こちらの人は豆もよく食べる。必ずといっていいほど付け合わせで出てくる。果物や野菜はそれほど見慣れないものは無かった。パッション・フルーツをジュースにして飲むのだが、これが日本で見るすべすべの紫色の皮のものと違って、黄色でゴツゴツした肌だ。酸っぱいので、そのまま食べることはしないという。肉屋には半身に割いた肉が吊るされていたが、尻尾がついたままになっていた。何の肉かわかりやすいようにということだった。



公園のメインのゲートを入り、西へ移動した。Baixao das Mulheres Trailに入る。
先ず、Toca dos Coqueirosに。ここは岩絵は風化してしまっていて鮮明なものはあまり無いのだが、1996-97年の発掘で公園内最古の人骨が出たことで知られている。9870年前という年代測定値が出た女性の骨(ズズと名づけられた)は、平たい石を敷き詰めた上に埋葬されており、この場所が谷を一望する場所であることからも、有力者であったことが伺われた。頭蓋骨が「アメリカ人博物館」に展示されている。ブラジル(南北アメリカ)最古の人骨はLuzia womanと名づけられた、ミナスジェライス州で発見された女性の人骨で、これが11500年前のものとされている。ズズはそれに次いで古い人骨だ。




さらに、Toca do Baixao das Mulheres II, I, IIIの順で回る。

IIは大きな鹿の絵が印象的だ。角も繊細に描かれている。このサイトは1978年に大雨が降った際、それまで入り口付近を覆っていた大岩が水に動かされて発見されたのだという。絵はかなり高い位置にあり、これは絵が描かれたときにも高い位置にあったと考えられている。付近には大木があり、木の上から描かれたのではないかとも考えられている。





Iは1973年に発見された。大きく翼を広げた鳥の絵は公園のあちこちに見られるものだが、北米のサンダーバードとの関連も指摘される。何か丸いものを二人の人物が一緒に持っているような、受け渡しているような、あるいは奪い合っているような絵もある。これもあちこちでみかけるモチーフだが、何かの遊びなのか、生首である可能性も否定できないのでは。




IIIは絵はこれといったものは無いが、シェルターの壁面に独特な流紋があり、面白い。



さらに、Toca da Roça do Clóvisに。小さなサイトだが、ジャガーの絵で有名だ。非常に素朴なタッチなので、ジャガーと言われなければわからないが。




さらに南東の公園の入り口方向に車で移動し、水場のある岩山に登る。乾期でも枯れない天然の水場の横を通り過ぎると、ツバメが水浴びしていた。
Toca do Caldeirâo de Bernardina、Toca da Igrejinha do sitio do Mocóという小さなサイトを見ながら、公園のメインゲートに近い村Sítio do Mocóの西の、村を見下ろ岩山の上に。Sitio do Mocoにはメキシカンな感じの教会があるが、ちょうどその裏山になる。






ここまで見て、Sitio do Mocoの町のレストランで昼食。ごく小さな村だが、このレストランは内装も新しく、美味しいので評判がいいようだ。

昼食後はSitio do Mocoから南西のGuarita Jurubeba門から公園に入りなおし、さらに西へ。Serra dos Caldeiröes Trailと呼ばれるエリアに。Toca da Ema do Sítio do Brás Iに。ここは規模の大きい、絵のバリエーションも豊富なサイトだ。壁画の一部は崩落して堆積物に埋まっていた。埋没していた地層の年代は9200年前。絵はもっと古いということになる。









Toca da Ema do Sitio do Bras IIには比較的新しい住居の跡がある。人を殺してしまったことで集落に住めなくなった男が住んでいた家だ。近代のものだが、歴史的遺物として修復されて保存されている。






さらに、Toca do Mangueiroに。



Toca da Roça do Sitio do Bras 2から1へ。2は、長い蛇のようなうねる線が特徴だ。



Toca da Roça do Sitio do Bras 1の方は絵よりも石彫=ペトログリフが多く残っている。形は所謂アステリスクタイプの星形、樹型、絵の中にもしばしば描かれる三本指の形などだが、意味はわかっていない。





カピバラ渓谷の岩絵見学はこれで終わり。54サイトを巡ったが、これでも全体の半分も見ていないことになる。似たものが多く、モチーフが非常に小さい場合が多いので、オーストラリアの岩絵のようなダイナミックなところがないが、人間の所作などに具体性があり、面白かった。

ジャガーなどの肉食獣は難しいとしても、アルマジロかアリクイが見たかったと言うと、ペドロがアルマジロの殻を拾って見せてくれた。ジャガーに食われたあとなのだそうだ。

最後に、Historic Jurubeba Trailを通り、古い農家の廃墟などを見ながら移動し、Museu do Neco Coelhoに。これは20世紀前半までここに住んでいた農園主コエーリョ家の跡で、建物は残っていないが、土台とかまど跡、遺品類が展示されている。


なんとも慌ただしく、ハードな滞在だった。体力の低下を痛感したが、それにしても疲労感が半端でない感じだったので、もしかすると黄熱病ワクチンの副反応の影響もあったのかもしれない。このエリアの黄熱病について質問したら、患者が出たという話は聞いていないという。接種しない方が万全の体調で来れたかもしれない。