ユタ・アリゾナ壁画紀行 8日目

前夜はかなりの強風でテントのフライが飛びそうだったが、翌朝は気持ちよく晴れた。せっかくなのでもう一度シーニックロードを走る。前日はなぜか寄らなかった「ジョン・ウェイン」ポイントにも。上部が平らな岩山は一部細長く割れているのを手袋に見立てて「ミトン」と名がついている。トーテム・ポールと呼ばれる細長い岩山も遠くに見える。これはもう少し近くまで行けるのかと思っていたが、特別な許可を得ないと難しいのだろう。モニュメント・バレーにはちょっとしたペトログリフもあるのだが、これもツアーに参加しないと見られないようで、諦める。

 


ヴィジター・センターから見ると、ちょうど上手い具合にミトンが配置された風景を見ることができる。映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」で、クラウディア・カルディナーレが馬車に乗って嫁ぎ先の家に向かうシーンはほぼそのアングルで撮られたものだった。

 

 

モニュメント・バレーを後にして、また東へ戻る。コロラドに入って、アナサジが崖沿いにつくった住居跡「メサ・ヴェルデ」へ。

メサ・ヴェルデに住んでいた人たちはアナサジと呼ばれているが、これは彼ら自身による呼称ではなく、ナヴァホの言葉で「古の敵」という意味だという。現在プエブロ・インディアンと総称される人たちの祖先のひとつと考えられている。

メサ・ヴェルデは断崖沿いのシェルターに作られた住居群だ。ずっと谷の下から上がっていくのかと思っていたが、さにあらず、断崖の上部から岩肌につけられた階段などをつたって上り下りをしていたというから驚く。手がすべったら谷底に真っ逆さまなのだ。谷の上の土地をトウモロコシなどの栽培に使い、住居と分けていたというのだが。

 


現在主な住居跡はツアーでのみ見学ができ、入れる人数もかなり絞られている。私は翌日のツアーを予約していたので、この日はメサ・ヴェルデに残るペトログリフを見に行く。4キロほどの道を歩いていく。標高が高く、松や杉などの針葉樹やオークなどが生えていて、午前中にいたモニュメント・バレーの環境とは随分な違いだ。驚いたのは急に寒い風が吹いてきたと思ったら、大粒の雹が降ってきたことだ。母子で裸足で歩いている家族がいる。

 

ペトログリフはとても広い面積が露になった壁面のごく一部に刻まれたペトログリフで、なかなか面白かった。両手を上に挙げた人物像が印象的だ。「シェー」みたいなポーズの人もいる。手形がたくさん彫られている。

公式サイトには以下のような説明がある。

「あるホピ族の長老によると、このペトログリフは、2つの氏族(マウンテン・シープ・クランとイーグル・クラン)が他の人々から離れ、自分たちの起源となった場所に戻ってきたという物語を語っているのかもしれない。内側にある箱状の渦巻きにお気づきだろうか。これはおそらく、プエブロの人々が大地から出現した場所(グランドキャニオンの近くと考えられている)であるシパプを表しているのだろう」

この日は最初公園内のキャンプ場に泊まることを考えていたが、ちょっと体力的に厳しくなってきたので、メサ・ヴェルデ近くの町コーテズのモーテルに泊まることにした。これは正解だった。標高が高いので、朝はダウンジャケットを着ても少し肌寒いくらいだったのだ。私のシュラフではきっと寒くて眠れなかっただろう。