ユタ・アリゾナ壁画紀行 5日目

朝起きて車を見ると、もうタイヤはぺちゃんこになっていた。これで長い距離走ったらホイールもダメにしてしまうので、すぐ向かいにタイヤ屋があって本当にラッキーだった。

7時半頃にタイヤ屋の前に駐車し、店員が店を開けに来ると同時にパンクをすぐに見て欲しいと頼む。

 


幸い他に先客もなく、すぐに作業にかかってくれた。若い整備士が「ところでさ....こんなユタの田舎町に何しに来たの?」と。「ロックアートの写真を撮りにきたんだ」「へぇ...」なんてやりとりしているうちにじいさんの整備士がタイヤを直してくれて、「あんた、みやげが欲しいか?」と。なんと、すごく小さなビスが刺さっていたのだ。てっきりオフロードでとがった木の枝とか、石の破片とか、牧場の柵の針金とか踏んだかと思ったが、こんなものとは。ごく小さな穴が空いて、ジワジワ抜けていたったんだろう。これ、もしかして最初から刺さってたんじゃないか?という疑念も湧いてきて、なんだか腹立たしくなってきた。

修理に40分ほどかかって、急いでナイン・マイル・キャニオンに。

この渓谷沿いの道はユタで最も壁画が集中している場所として有名で、いろんな人が詳しく壁画の場所について記録している。道の起点から何マイルのところにどんな絵があるのか、情報を整理してきた。約30キロほどの間に壁画が点在している。携帯は圏外だが、事前にポイントだけGoogle Mapに打っておいたので、それをみつつ走ることはできる。

 

 

ユタの夏なんてカラカラに乾いていて、虫なんていないだろうと思っていた。が、なんと最初に車を降りたら、ワッと蚊が集まってきた。数は10や20じゃきかないと思う。こんなにいっぺんに多くの蚊を見るのは初めてだ。もう抵抗のしようがなく、これは後々大変な痒みに耐えねばならないと覚悟。少しして、親切な老夫婦が虫よけスプレーを貸してくれたが、長持ちはしなかった。話をきくと、川に例年よりも水が多いせいで蚊が大量発生しているのだと。いつもの夏はこんなに川に水はないのだという。

ナイン・マイル・キャニオンにあるのはほぼペトログリフだ。時代はフリーモント時代のものが多いようだが、モチーフはいろいろだ。

岩山の斜面を少し高い所まで上がっていく必要がある所もいくつかあった。私の他にも壁画の写真を撮りに来ている人が何組かいる。孫を連れた老夫婦も。「みなさい、これは何百年も前に先住民が彫った絵なんだよ」と。アメリカで何百年というと、「私たちの祖先がここに来るずっと前に」ということを意味する。日本で戦国時代の話をするのとはちょっと感覚が違うのだ。

 

私が最も見たかったのは「星を配置するコヨーテ」というなんとも魅力的な名前の絵なのだが、これは岩山のはるか天辺のあたりの壁面にあり、肉眼では全く見えない。かといって山に登って近づいていくと、絵のある壁面の下にせり出した岩に隠れてしまう。200ミリレンズに2倍のエクステンダーを付けてようやく絵柄がわかるという感じだった。この絵について、帰国後にFacebookにあげたところ、以下のような伝説をもとにしたものだと教えてくれた人がいる。

「偉大なる精霊が、袋の中の星から星座の星々を配置していたが、コヨーテが忍び寄って袋を盗み、逃げるときに袋を投げて天の川を作った。」

こういう細かい点々が星だとしたら、他にも天の川を表したようなものはある。

 

 

フクロウの絵のある壁面も面白かった。フクロウは目にバツ印が入ったような姿で、ユーモラスだ。熊の手形もある。

 

ラスマンズ・ケイヴとよばれる深いシェルターに珍しく多色壁画があるが、かつてこの土地の地主だった者が、絵を見に敷地内に入る者を疎ましく思い、あろうことか絵の上に「私有地につき立ち入り禁止」と文字を入れてしまった。本当にひどい行いなのだが、これもまたひとつの名物のようになっている。

 

何かの説明図のような、天体現象を示したかのような図もある。

 

走ってはマーカーがある場所で停まって絵を探し、また走りということを続けて、山の奥の方まで行くと、雨が降ってきた。結構しっかり降っている。全くの想定外だった。乾期のはずでしょう。昨年の天気データも見たが、ほとんど雨は降ってなかった。

雨のために、ほんのチョロチョロと流れる川をまたいで渡る予定だったバッファローの壁画のある場所は、サンダルを履いてザブザブと川に入る必要があり、その素足で薮を進むのもちょっと辛かった。

最後に「グレートハント」と呼ばれる、このエリアで最も有名な狩りのシーンを描いたペトログリフを見る。雨降りで写真を撮るコンディションとしては全く残念だったが、止むまで待つ時間的余裕はなかった。それに、この道は何ヶ所か低くなっているところがあり、「水があふれたら渡らないように」と注意書きがしてある。最後の方はざんぶりと水をはね上げて進むような感じだったので、雨量によっては戻れなくなる可能性がある。さらに奥へ進んでラフロードに入ると、ファミリー・パネルと呼ばれる、精霊の家族像のようなかわいい絵があり、それも見たかったのだが、リスクがあるので、戻ることにした。

少し降りてくると雨も止み、そんなに心配することもなかったかと思ったが、仕方ない。この日はずっと南のモアブの町まであと250キロ近くも走らねばならないのだ。アーチーズ国立公園の麓を通るので、タイミングがあえば夕日でも見ようかとも思っていたが、もうそんな気力は残っていなかった。なんとかモアブの町の外れにあるRVパークのティピー型のテントが据えてあるグランピングの宿に到着。そういう宿に泊まりたかったわけでもないが、モアブは観光地でモーテルもとても高い。予約が可能なところで最も値段が安かったのだ。それでも一泊18000円もするのだからいやになる。

テントの脇にはバーベキュー台と焚き火用のスペース、テーブルに椅子などがセットされている。ビールを飲み、焚き火をしてパンク修理から山道を走る慌ただしい一日を終えた。