タッシリ・ナジェール壁画紀行 その6

Techekalaouenのキャンプをたたんで、東のTissoukaï へ向かう。今回の旅の主な目的地だ。距離はそれほどではない。

Tissoukaï は1960年のフランスのアンリ・ロート隊の詳細な記録があり、個々の壁画の場所もほぼ特定されている。岩山が連なる場所は格子状に侵食されていることが多く、「番地」のようにして認識しやすいが、Tissoukaï はまさにそうした地形で、区画ごとに調べていくことができる。ただし、後にわかってくるが、指定の場所に該当のものが無いこともある。記録した段階での間違い、番号を転記する際の書き間違えなど、いろんなことが考えられる。

 

 

新しいキャンプ地に着く前に、今回の目当ての壁画のひとつが見つかった。不思議な絵だ。丸いモチーフの周囲に牛の頭が配されている。あまり保存状態がよくなかったが、DStretchにかけると、ロート隊による模写と同じモチーフが浮かび上がる。

 

 

これを現在西アフリカに広く分布しているフラニ族の神話的世界と関連づけて解釈する人がいる。マリのフラニ族出身の作家、アマドゥ・ハンパテ バーが自らの民族につたわる伝承と関連づけた解釈を提示しているのだ。大きな円と周囲の牛は28日の月の月齢、内側の円は光芒のある太陽、中央の三つのものは牛、羊、山羊へのお供え物、といったものだが、絵の解釈についてはやはり異論も多い。そもそも数千年も前の絵に描かれているものを現代の民族文化と結びつけて解釈するというのはどうなのか。物語が、そんなに長く受け継がれるなどということがあるだろうかと。このタイプの絵は他に無い。この問いに答えが与えられることはおそらくないだろう。

ただ、この絵には多くの遊牧民の暮らしの場面を描いたものとは少し違った趣があるのは確かだ。丸い枠に幕が張られていて、3頭の牛の頭に結びつけられている。右側にも淡く牛の頭が出ているようだが、これは上に見える重ね描きされた別時代の牛の絵と一緒に描かれたものかもしれない。丸い枠の上の二人は何か話をしているようで、右の人物は仮面と角をつけたシャーマンのようなキャラクターにも見えるが、これが実在の人物かどうかはわからない。左側から駆け寄るように描かれる人物がいる。これは丸い枠の絵と一体のもののように見える。

昼にキャンプに戻ると、トゥアレグの人たちにお茶を飲んでいけと誘ってもらった。トゥアレグのお茶は砂糖をいっぱい入れて、ポットに繰り返し注ぎなおして濃くいれた紅茶だ。小さなカップで飲む。これが苦くて甘くておいしい。2018年にやはりエッソンディレーヌのツアーでタドラールを巡ったときは、毎晩焚き火を囲んでのお茶に呼ばれたが、昨年のタッシリ行きでは我々撮影隊とトゥアレグのみなさんは飲食は完全に別で、そういう機会がなかったのが少し寂しかった。

 

 

Tissoukaï は3泊の予定で、全てのエリアを見ることになっていた。午後も牧畜時代の大きな牛の群れの絵などを見るが、面白かったのは、ラウンド・ヘッドと呼ばれる狩猟採集民時代の絵だ。お腹が大きな妊婦のような人物像はこの時代の絵によく見られるものだが、右側の奇妙な頭の四人は何だろうか。単に絵が下手なだけかもしれないが。下の写真はDStretchで補正している。

 

 

薄くなっていてよく見えない壁面も、補正すると様々な場面が浮かび上がる。弓をつかった戦闘の場面も。(上が通常の写真、下が補正したもの)

 

 

 

Tissoukaï には大通りといえるような太い道があり、そこでエリアが明確に分けられるが、その大通りの中央に遊牧民の墓がある。

Tissoukaï へ至る道の途中にラクダの遺骸もあった。くぼみにはまっているように見える。埋められたものが露になったのだろうか。