イベントのお知らせ

今年4月に刊行された『ハイン 地の果ての祭典』(アン・チャップマン著、大川豪司訳、新評論)の関連イベントです。
9月14日(木)、東京池袋のジュンク堂書店にて、「消えた部族・セルクナムと祭典「ハイン」の世界」と題して、イベントを行います。
9/14(木)19:30開演 入場無料・要予約
私が案内人になって、写真、音源、映像をたっぷり使って、失われた部族セルクナムとその文化について紹介します。
詳細は以下に。お越しいただいた方の中から抽選で、昨年チリで発行されたセルクナム族の精霊の切手をプレゼントいたします。
https://honto.jp/store/news/detail_041000022897.html

ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記7

7月15日は朝早くSao Raimundo Nonatoを出発、Teresina 経由でTeresinaの北東約200キロの場所にあるSete Cidades国立公園に。Teresinaまで8時間、さらに3時間以上かけてPiripiriを経由して行く。10時間以上運転というのはエルビオにはすまなかったが、どうせ一日移動なので、一気に行ってしまったほうがありがたい。Sete Cidadesの公園の入り口のすぐそばにある古いホテルに泊まる。
ブラジルは産油国だが、水力、風力、太陽光発電も盛んで、水力、風力は世界1、2の規模の発電所がある。テレジナとサオ・ライムンド・ノナトの間、往復で巨大な風力発電のプロペラを運ぶトレーラーとすれ違った。自動車燃料もエタノールが多く使われている。



夕食をとりながらエルビオと英語で話しつつ日本語の挨拶などを教えていたら、隣のテーブルで食事していた家族の、十代後半くらいの女の子が話しかけてきた。自分は英語を習っているので通じるかどうか試したいと思って、と。日本にも興味があり、私が話した日本語に気づいたようだ。アニメも好きだし、いつか日本に行きたいと思っている、と。
いろいろ話した後、「日本人は一日10時間も12時間も働くと聞きましたけど、本当ですか?」と。
電通で過重労働を強いられた女性の自殺が世界的に報じられているので、おそらくそれを耳にしたのだろう。行きの飛行機の中で見たニュースのヘッドラインでも取り上げられていた。
「本当なんだよ。もっと働いている人もいる」というと、「そんな体に悪いことを何故?」と。「何故」と思うのも無理ない。おっしゃる通り、おかしいんです。

ホテルは真ん中にプールのある、古い風情のホテルだった。悪くない。


7月16日、朝早くホテルを出て、セテ・シダデスSete Cidades国立公園に入る。Sete Cidadesは英訳するとSeven Citiesという意味。侵食と風化によって出来た塔のような奇岩が並ぶ場所で、それが都市の廃墟のようだというので、この名がついた。それほど有名な場所ではないが、私は子どもの頃から知っていた。エーリヒ・フォン・デニケンの本に出てくるのだ。溶けたような岩肌が何か超古代の核戦争の痕跡ではないかというような話で。

カピバラ渓谷の岩も同じように表面の溶けたような風化の仕方をしているものがあったが、セテ・シダデスのものはよりユニークだ。特に、亀甲状にひび割れた岩肌が独特で、以前写真で見ていたときはてっきり、玄武岩の柱状節理かと思っていたが、堆積岩のひび割れなのだった。ドーム状のものは亀の石、もうひとつは象の姿に見えると言われている。


アーチ状になっている岩もある。「凱旋門」と呼ばれている。

セテ・シダデス国立公園のもうひとつの特徴は岩絵があることだ。カピバラ渓谷のものよりは新しいようだが、やはり数千年前まで遡るもののようだ。明確に年号を記したものはなかった。いくつかの様式はカピバラ渓谷のセハ・ブランカにも見られるものだ。手のひらの部分が渦巻き模様になっている手形など。



小高い岩山の上に登る。カピバラ渓谷の広大な景観を見てきたせいか、ややスケールがこぢんまりして感じる。デニケンが「岩が溶けている」と感じたのも無理ないような不思議な造形が見られる。





この岩絵のパネルはかなり大きかった。記号的な表現が多い。















ガイドをしてくれた男性は公園の敷地のすぐ横で生まれ育ったまさに地元出身の人。帰りに自分の土地に案内してくれた。彼の弟は大工仕事や工芸が上手く、いろんな廃品などを上手く使ったツリーハウスや岩山の上の小屋を案内してくれた。樹型模様の入った木の実を買った。


今回のブラジル取材旅行、これで終わり。岩絵に特化しきった、あまりにストイックな旅行だったが、折角地球の裏側まで来てそれもどうだったのかと少し反省する。

ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記6

カピバラ渓谷最終日。この日はまず市場に連れていってもらった。毎日、朝早くから公園に入ってしまい、日暮れ時に戻ってくるので、暮らしぶりのようなものがよくわからない。市場で売っている食材なども見てみたかった。海外で市場を覗くのは楽しいものだ。
廃タイヤを加工して大きな器にしてあるものがある。動物の餌などを入れるにもいいんだよ、と。ラテンアメリカの国の市場などに行くと、気安く写真を撮らせてくれ、明るく笑ってくれることが多いのだが、どうもこのへんのブラジルの人は意外にもシャイな感じで、あまり積極的に写ってくれない。廃タイヤの店のおばさんに「あなたが入っている写真が撮りたいンです」というと、とたんにガチガチに緊張して、直立不動になってしまった。

粉ものや豆などの乾物を打っている店が並んでいる。マニオックの粉を売っているのが特徴か。こちらの人は豆もよく食べる。必ずといっていいほど付け合わせで出てくる。果物や野菜はそれほど見慣れないものは無かった。パッション・フルーツをジュースにして飲むのだが、これが日本で見るすべすべの紫色の皮のものと違って、黄色でゴツゴツした肌だ。酸っぱいので、そのまま食べることはしないという。肉屋には半身に割いた肉が吊るされていたが、尻尾がついたままになっていた。何の肉かわかりやすいようにということだった。



公園のメインのゲートを入り、西へ移動した。Baixao das Mulheres Trailに入る。
先ず、Toca dos Coqueirosに。ここは岩絵は風化してしまっていて鮮明なものはあまり無いのだが、1996-97年の発掘で公園内最古の人骨が出たことで知られている。9870年前という年代測定値が出た女性の骨(ズズと名づけられた)は、平たい石を敷き詰めた上に埋葬されており、この場所が谷を一望する場所であることからも、有力者であったことが伺われた。頭蓋骨が「アメリカ人博物館」に展示されている。ブラジル(南北アメリカ)最古の人骨はLuzia womanと名づけられた、ミナスジェライス州で発見された女性の人骨で、これが11500年前のものとされている。ズズはそれに次いで古い人骨だ。




さらに、Toca do Baixao das Mulheres II, I, IIIの順で回る。

IIは大きな鹿の絵が印象的だ。角も繊細に描かれている。このサイトは1978年に大雨が降った際、それまで入り口付近を覆っていた大岩が水に動かされて発見されたのだという。絵はかなり高い位置にあり、これは絵が描かれたときにも高い位置にあったと考えられている。付近には大木があり、木の上から描かれたのではないかとも考えられている。





Iは1973年に発見された。大きく翼を広げた鳥の絵は公園のあちこちに見られるものだが、北米のサンダーバードとの関連も指摘される。何か丸いものを二人の人物が一緒に持っているような、受け渡しているような、あるいは奪い合っているような絵もある。これもあちこちでみかけるモチーフだが、何かの遊びなのか、生首である可能性も否定できないのでは。




IIIは絵はこれといったものは無いが、シェルターの壁面に独特な流紋があり、面白い。



さらに、Toca da Roça do Clóvisに。小さなサイトだが、ジャガーの絵で有名だ。非常に素朴なタッチなので、ジャガーと言われなければわからないが。




さらに南東の公園の入り口方向に車で移動し、水場のある岩山に登る。乾期でも枯れない天然の水場の横を通り過ぎると、ツバメが水浴びしていた。
Toca do Caldeirâo de Bernardina、Toca da Igrejinha do sitio do Mocóという小さなサイトを見ながら、公園のメインゲートに近い村Sítio do Mocóの西の、村を見下ろ岩山の上に。Sitio do Mocoにはメキシカンな感じの教会があるが、ちょうどその裏山になる。






ここまで見て、Sitio do Mocoの町のレストランで昼食。ごく小さな村だが、このレストランは内装も新しく、美味しいので評判がいいようだ。

昼食後はSitio do Mocoから南西のGuarita Jurubeba門から公園に入りなおし、さらに西へ。Serra dos Caldeiröes Trailと呼ばれるエリアに。Toca da Ema do Sítio do Brás Iに。ここは規模の大きい、絵のバリエーションも豊富なサイトだ。壁画の一部は崩落して堆積物に埋まっていた。埋没していた地層の年代は9200年前。絵はもっと古いということになる。









Toca da Ema do Sitio do Bras IIには比較的新しい住居の跡がある。人を殺してしまったことで集落に住めなくなった男が住んでいた家だ。近代のものだが、歴史的遺物として修復されて保存されている。






さらに、Toca do Mangueiroに。



Toca da Roça do Sitio do Bras 2から1へ。2は、長い蛇のようなうねる線が特徴だ。



Toca da Roça do Sitio do Bras 1の方は絵よりも石彫=ペトログリフが多く残っている。形は所謂アステリスクタイプの星形、樹型、絵の中にもしばしば描かれる三本指の形などだが、意味はわかっていない。





カピバラ渓谷の岩絵見学はこれで終わり。54サイトを巡ったが、これでも全体の半分も見ていないことになる。似たものが多く、モチーフが非常に小さい場合が多いので、オーストラリアの岩絵のようなダイナミックなところがないが、人間の所作などに具体性があり、面白かった。

ジャガーなどの肉食獣は難しいとしても、アルマジロかアリクイが見たかったと言うと、ペドロがアルマジロの殻を拾って見せてくれた。ジャガーに食われたあとなのだそうだ。

最後に、Historic Jurubeba Trailを通り、古い農家の廃墟などを見ながら移動し、Museu do Neco Coelhoに。これは20世紀前半までここに住んでいた農園主コエーリョ家の跡で、建物は残っていないが、土台とかまど跡、遺品類が展示されている。


なんとも慌ただしく、ハードな滞在だった。体力の低下を痛感したが、それにしても疲労感が半端でない感じだったので、もしかすると黄熱病ワクチンの副反応の影響もあったのかもしれない。このエリアの黄熱病について質問したら、患者が出たという話は聞いていないという。接種しない方が万全の体調で来れたかもしれない。

ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記5

公園に入って4日目。この日は岩山を登って越えていくルートだ。ビジターセンターのある公園の正面玄関から入り、穴の開いた岩Pedra Furadaの横を通ってさらに北に進み、Caldeiräo dos Rodrigues, Canoas e Esperança Trailsと呼ばれるエリアに向かう。公園のゲート近くの水場に蛇と鹿がいた。蛇は毒蛇も多いようだが、この蛇には毒はない。




先ず、岩山を40メートル一気に登る。岩山を迂回していくルートはかなり長く歩く必要があるからだ。岩の隙間に鉄棒のはしごが打ち込んであり、ほぼ、真っ直ぐ登って行くような形だ。


岩山の上はなかなかの絶景だった。皆、深い谷にせり出した岩の端に立つ。私も行ってみたが、高所恐怖症がかなり緩和されていたとはいえ、足をそろえて端に立つのは無理だった。ドーム型の岩山の中にパゴダのような形のものがある。





Caldeiräo dos Rodriguesのエリアに入って、最初のサイトはToca da Entrada Caldeiräo dos Rodrigues。ここの絵は数はさほど多くないが、非常に面白い。初日に訪れたBoqueirao do Pedro Rodriguesのものに似ているし、描かれている動物にも共通性がある。カピバラ、そして大小のアルマジロが印象的だ。網を動物を捕獲しようとしている姿もある。のけぞるような形で踊っている人たちの絵も楽しい。









続いてToca do Caldeiräo dos Rodrigues Iに。岩山が大きく削れたようなダイナミックなサイトだ。ここは体に亀甲模様のようなものが描かれているカピバラの絵で知られている。もうひとつ知られているのは、杭に手を縛られている人物を処刑しているような場面の絵だ。これが戦争の捕虜か何かなのか、あるいは「罪人」なのかはわからない。ペドロによれば、移動を繰り返す狩猟採集社会において老いて歩けなくなった者を殺している場面ではないかとも言われているらしい。そうした事例が実際、ブラジルの部族にあるという。非常に生々しい場面だ。また、そうした場面を絵に残すということはどういう意味があるのか。過去にあった出来事を記録する意味なのか、それとも大人が子どもに何か教えるためのものなのか。












さらに、Toca de Cima do Fundo do BPFという小さなサイト、Toca do Caldeiräo dos Rodrigues IIも見る。

再び鉄はしごで岩山を少し上り、Canoas e Esperança Trailsに入る。
Toca do Caldeiräo dos Canoas I, II, IIに。いずれも小さなサイトだ。





岩山の上を少し歩き、Pedra Furada Trail に入って、Toca do Fundo do Baixäo da Pedra Furadaに。ここは非常に大きなサイトだ。かなり深く発掘調査されている。並んで歩くレアの絵が印象的だ。ヒゲの生えた猫科の動物も描かれている。





続いてToca da Fumaça Iに。様々な動物と人が描かれているが、面白いのは人間が列になって踊ったり宙返りしたりしているように見える絵だ。列になっているのか、それとも一連の動作を説明したものなのかわからないが。赤い鉄分の多い岩肌に白い塗料でかかれたレアの絵も印象的だ。








次にToca do Cajueiro da Pedra Furadaに。大きな岩が二つ、互いにもたれ合う形でゲートのような空間をつくっている。




盛りだくさんだったが、ここで一度公園を出て昼食をとる。
再び、メインの入り口から入り、Moco村の南西のエリア、Hombu Trailに入る。少し高い場所にあるToca do Martilianoに。ここは絵は風化していてほとんど見るものが無い。糸巻きのような形に抽象化された人物像が並んでいる。



すぐ隣にあるToca da Pedra Caidaはその名の通り、大きな岩が傾いて隣の岩山に倒れこんでいる。地形はとても面白いが岩絵はほとんど判然としない。



次に、丸い大きな岩がカエルのように見えるToca da Boca do Sapoに。絵はカエルの口の中にある。素朴な線画がいくつか描かれている。


最後のサイトToca da Invençaoはこれもダイナミックな景観の場所だ。岩絵は白い塗料で描かれた鹿の絵が印象的だ。線も繊細で、比較的新しいものに見える。




ところで、オーストラリアのカカドゥなどと同じく、礫岩から転がり出した方解石の丸石がたくさん落ちているが、中にはなかなか綺麗なものがある。ペドロが透明な方解石のかけらを拾った。ガラスのようだ。初日に訪れた博物館に透明な鏃があり、私は最初水晶だと思ったが、方解石だったようだ。


この日は文字通り山あり谷ありの盛りだくさんの日だった。訪れたサイトは17、岩絵も面白いものがあったが、カピバラ渓谷のダイナミックな景観を満喫した。

ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記4

この日は一日公園内を歩くことになっていた。昨日までは昼どきに一度公園から出て、近隣の村や陶器製造所にある食堂で昼食をとっていたが、この日はかなり奥まで行くため、弁当持参ということになった。昨日の夕方、3人でスーパーに寄って材料を買っておいたのだ。
パンとパンに挟む具を、というので、ハムとチーズかと思いきや、エルビオはツナ缶を物色し始めた。ツナをマヨネーズで和えて味付けがされていて、そのままパンに塗れるようなものが何種類も売っている。チリ味とか、ペッパー風味とか──。結局ツナを3缶も買っていた。どんだけツナ好きなのか。ツナはヘルシーだというので、世界中で需要が高まっているという話をニュースなどで耳にしていたが、納得した。

公園の北西に位置するSerra Branca Trailに入る。Serra Brancaは白い山地という意味だが、赤い鉄分を含んだ層のない、全体がグレーっぽい岩山が連なる場所だ。公園の中でも端の方に位置するので、21世紀に入ってから道などが整備された、比較的新しく公開されたエリアだ。道もラフ・ロードが続く(といっても、通常の車で走れるが)。


先ず、Toca do Caboclo da Serra Brancaという小さなサイトに。大きな砂岩の巌の下が風化して素通しになっている、面白い形のサイトだ。
12000年前まで遡る最古のタイプの絵と、後の幾何学的な様式の絵(この地域に多いのでセハ・ブランカ様式とも言われるようだ)が混在しているが、石斧で人を倒しているシーンが印象的だ。これがタッチは素朴ながら打たれた人の姿勢など非常にリアルなのだ。撮影中、ごく近くからコンゴウインコのつがいが飛び立った。
このエリアは、岩の表面がまるで溶けたような、シワシワの姿になっているのが印象的だ。岩の表面を少量の水がちょろちょろ流れ続けた跡だ。どれだけ時間が経つとここまでの姿になるのか。








次に、谷底にあるToca da Extrema IIというサイトに。1973年に発見されたこのサイトは一面にびっしりと絵がかかれているが、一部壁面が崩落している。また、かつて地元の猟師が絵をターゲットにして銃を撃った形跡があり、さらに下に落ちていた絵のある岩の上で獲物の肉に塩をふって乾燥させるなどしたため、それらもかなり痛んでいる。印象的なのは木の周辺で男たちが手を挙げて踊るような、あるいは伏して祈るような姿の絵だ。同じようなモチーフはあちこちで見かけられるが、この絵が一番、「信仰」を感じさせるものになっている。いくつかの岩絵から紀元前約1000年という比較的新しい(?)年代測定が出ているが、絵全体がその年代ということではないだろう。同じ場所で1万年以上の長きにわたって絵がかかれているというのは、オーストラリアとここくらいではないだろうか。





かすれていてはっきりしないが、戦闘の場面らしきものもある。この下の人物は腹に槍が刺さっている。



続いて、Toca do Joao Arsenaというサイトに。人間や動物など様々なモチーフが描かれているが、動物も上から見たような、四肢を広げたような姿で描かれているものが多く、一見人間と動物の見分けがつきにくい。絵には動きがあまりない。こうした平板な描き方は人や動物の動作を描いた時代の後の時代のものだという。印象的なのは闘いらしき場面で、頭に飾りをつけた人物が棘のついた槍など複数の武器を持っている。





次はToca do Veadoに。印象的な形の岩山の下の比較的小規模なサイトだ。一部、岩絵を保護するために覆いがついている。Veadoは鹿の意だが、名前の通り、非常に大きな鹿の絵が印象的だ。人物像は細長く、胴体が角張っていて、中に幾何学模様が描かれているものと、小さく、線で表現されたものと二種ある。幾何学模様のタイプはカリフォルニアのCosoなど、北米のネイティブ・アメリカンのものによく似ている。





次いで、Toca do Pinga do Boiに。ここは広く平滑な壁面が50メートル続き、ほぼ全面に絵がかかれているなかなか壮観なサイトだ。はがれ落ちた部分も多かったようだが、修復してある。ガイドのペドロも修復とクリーニングの作業に加わったのだという。ここで印象的なのは、鹿を高々と掲げ、「獲ったぞ!」といわんばかりの絵。また、人が手を伸ばした先に白と黒の丸いものが描いてある絵だ。これは猟に石を使って(投石)いたことを示すものだと言われているが、石だとすると、どうして白と黒の二つの石が描いてあるのか、やや疑問が残る。何か天体に関わる絵だと言われても頷けるものがあるのだが。すぐ横には棘のある槍が刺さった鹿が描かれているので、全体が狩りの絵なのかもしれないが。古代宇宙人論者が喜びそうなロケットのような絵もある。





掌に渦巻き状のデザインを施した手形がある。


ここで昼食。木のテーブルがある。これだけ広大な公園だが、公開されているサイトのかなりの部分に車椅子で入れる道が付けてあることに驚く。
パンと昨日買ったツナ缶やチーズ。マンゴーやカシューのジュース。カシューカシューナッツカシューだが、実は赤いピーマンのような形で、実の先っぽに例の半月型の種がついている。それがカシューナッツだ。淡い甘さだが、これに砂糖を加えて飲むことが多い。二人ともよく食べる。


次に、Toca do Giordanoという岩山の上のサイトに。黄色い縁取りのある赤い鹿の絵がある。ここは岩絵は少ししかないが、眺めが素晴らしい。モコモコしたセハ・ブランカの岩山並みを一望できる。



さらにToca do Sobradinho Iというサイトに。デザイン化された鳥の絵、ちょっと変わったセックスの場面など。長い槍が鹿らしき動物に刺さっている絵も印象的だ。





さらに近くのToca do Caldeirao da Vacai、Tocas do Solという小さなサイトに。Solの名前はせり出したシェルターの天井部に描かれた太陽のような絵からつけられている。


次にToca do Conflitoに。綱場のある、岩山の上にあるサイトだが、その名の通り、闘いの場面が描かれている。棘つきの槍が飛び交う激しい戦闘の様子だ。部族内の闘争なのか、異部族間、もしくは異人種間なのか──。
サイトから緑色のこぶりなインコの群れが飛ぶ様子が見えたが、サイトから降りて車で移動中、比較的近くから目にすることができた。一本の木にすずなりになっている。わが家にいるウロコインコよりも少し大きい感じだろうか。インコやオウムはけたたましく鳴きながら移動するので見つけやすい。


この日最後のサイトはToca do Ventoという大きなシェルターだ。Ventoは風、このサイトがセハ・ブランカの広い谷底にあり、風の通り道になっていることから付けられた名だという。カピバラの絵がある。現在、カピバラは棲んでいないし、骨も見つかっていないようだが。
ここには1970年代半ばまで家があり、マニオクを栽培し、粉とでんぷんを市場で売っていたという。また、1980年代に火事があり、熱で岩絵の一部が失われたらしい。
ここはかつて川のほとりにあった。発掘調査により、上部の堆積層は約8500年前のものとわかった。それから、10000年から9000年前に大きな気候変動があり、乾燥化していったことが示唆された。岩絵が描かれた壁面の下部は堆積層に埋もれていて、絵の多くも埋もれていた。そのため、埋もれていた絵の年代も推定できた。少なくとも、埋もれる前に描かれたのだという単純な話だ。
これはカピバラ渓谷の岩絵全般に言えることだが、岩絵のあるサイトの多くは、かつて川や湖などの水場のすぐ近くだった。





最後に湧き水のある場所に連れて行ってもらった。澄んだ水場に青々と苔が生えていて、全く別世界だった。