ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記4

この日は一日公園内を歩くことになっていた。昨日までは昼どきに一度公園から出て、近隣の村や陶器製造所にある食堂で昼食をとっていたが、この日はかなり奥まで行くため、弁当持参ということになった。昨日の夕方、3人でスーパーに寄って材料を買っておいたのだ。
パンとパンに挟む具を、というので、ハムとチーズかと思いきや、エルビオはツナ缶を物色し始めた。ツナをマヨネーズで和えて味付けがされていて、そのままパンに塗れるようなものが何種類も売っている。チリ味とか、ペッパー風味とか──。結局ツナを3缶も買っていた。どんだけツナ好きなのか。ツナはヘルシーだというので、世界中で需要が高まっているという話をニュースなどで耳にしていたが、納得した。

公園の北西に位置するSerra Branca Trailに入る。Serra Brancaは白い山地という意味だが、赤い鉄分を含んだ層のない、全体がグレーっぽい岩山が連なる場所だ。公園の中でも端の方に位置するので、21世紀に入ってから道などが整備された、比較的新しく公開されたエリアだ。道もラフ・ロードが続く(といっても、通常の車で走れるが)。


先ず、Toca do Caboclo da Serra Brancaという小さなサイトに。大きな砂岩の巌の下が風化して素通しになっている、面白い形のサイトだ。
12000年前まで遡る最古のタイプの絵と、後の幾何学的な様式の絵(この地域に多いのでセハ・ブランカ様式とも言われるようだ)が混在しているが、石斧で人を倒しているシーンが印象的だ。これがタッチは素朴ながら打たれた人の姿勢など非常にリアルなのだ。撮影中、ごく近くからコンゴウインコのつがいが飛び立った。
このエリアは、岩の表面がまるで溶けたような、シワシワの姿になっているのが印象的だ。岩の表面を少量の水がちょろちょろ流れ続けた跡だ。どれだけ時間が経つとここまでの姿になるのか。








次に、谷底にあるToca da Extrema IIというサイトに。1973年に発見されたこのサイトは一面にびっしりと絵がかかれているが、一部壁面が崩落している。また、かつて地元の猟師が絵をターゲットにして銃を撃った形跡があり、さらに下に落ちていた絵のある岩の上で獲物の肉に塩をふって乾燥させるなどしたため、それらもかなり痛んでいる。印象的なのは木の周辺で男たちが手を挙げて踊るような、あるいは伏して祈るような姿の絵だ。同じようなモチーフはあちこちで見かけられるが、この絵が一番、「信仰」を感じさせるものになっている。いくつかの岩絵から紀元前約1000年という比較的新しい(?)年代測定が出ているが、絵全体がその年代ということではないだろう。同じ場所で1万年以上の長きにわたって絵がかかれているというのは、オーストラリアとここくらいではないだろうか。





かすれていてはっきりしないが、戦闘の場面らしきものもある。この下の人物は腹に槍が刺さっている。



続いて、Toca do Joao Arsenaというサイトに。人間や動物など様々なモチーフが描かれているが、動物も上から見たような、四肢を広げたような姿で描かれているものが多く、一見人間と動物の見分けがつきにくい。絵には動きがあまりない。こうした平板な描き方は人や動物の動作を描いた時代の後の時代のものだという。印象的なのは闘いらしき場面で、頭に飾りをつけた人物が棘のついた槍など複数の武器を持っている。





次はToca do Veadoに。印象的な形の岩山の下の比較的小規模なサイトだ。一部、岩絵を保護するために覆いがついている。Veadoは鹿の意だが、名前の通り、非常に大きな鹿の絵が印象的だ。人物像は細長く、胴体が角張っていて、中に幾何学模様が描かれているものと、小さく、線で表現されたものと二種ある。幾何学模様のタイプはカリフォルニアのCosoなど、北米のネイティブ・アメリカンのものによく似ている。





次いで、Toca do Pinga do Boiに。ここは広く平滑な壁面が50メートル続き、ほぼ全面に絵がかかれているなかなか壮観なサイトだ。はがれ落ちた部分も多かったようだが、修復してある。ガイドのペドロも修復とクリーニングの作業に加わったのだという。ここで印象的なのは、鹿を高々と掲げ、「獲ったぞ!」といわんばかりの絵。また、人が手を伸ばした先に白と黒の丸いものが描いてある絵だ。これは猟に石を使って(投石)いたことを示すものだと言われているが、石だとすると、どうして白と黒の二つの石が描いてあるのか、やや疑問が残る。何か天体に関わる絵だと言われても頷けるものがあるのだが。すぐ横には棘のある槍が刺さった鹿が描かれているので、全体が狩りの絵なのかもしれないが。古代宇宙人論者が喜びそうなロケットのような絵もある。





掌に渦巻き状のデザインを施した手形がある。


ここで昼食。木のテーブルがある。これだけ広大な公園だが、公開されているサイトのかなりの部分に車椅子で入れる道が付けてあることに驚く。
パンと昨日買ったツナ缶やチーズ。マンゴーやカシューのジュース。カシューカシューナッツカシューだが、実は赤いピーマンのような形で、実の先っぽに例の半月型の種がついている。それがカシューナッツだ。淡い甘さだが、これに砂糖を加えて飲むことが多い。二人ともよく食べる。


次に、Toca do Giordanoという岩山の上のサイトに。黄色い縁取りのある赤い鹿の絵がある。ここは岩絵は少ししかないが、眺めが素晴らしい。モコモコしたセハ・ブランカの岩山並みを一望できる。



さらにToca do Sobradinho Iというサイトに。デザイン化された鳥の絵、ちょっと変わったセックスの場面など。長い槍が鹿らしき動物に刺さっている絵も印象的だ。





さらに近くのToca do Caldeirao da Vacai、Tocas do Solという小さなサイトに。Solの名前はせり出したシェルターの天井部に描かれた太陽のような絵からつけられている。


次にToca do Conflitoに。綱場のある、岩山の上にあるサイトだが、その名の通り、闘いの場面が描かれている。棘つきの槍が飛び交う激しい戦闘の様子だ。部族内の闘争なのか、異部族間、もしくは異人種間なのか──。
サイトから緑色のこぶりなインコの群れが飛ぶ様子が見えたが、サイトから降りて車で移動中、比較的近くから目にすることができた。一本の木にすずなりになっている。わが家にいるウロコインコよりも少し大きい感じだろうか。インコやオウムはけたたましく鳴きながら移動するので見つけやすい。


この日最後のサイトはToca do Ventoという大きなシェルターだ。Ventoは風、このサイトがセハ・ブランカの広い谷底にあり、風の通り道になっていることから付けられた名だという。カピバラの絵がある。現在、カピバラは棲んでいないし、骨も見つかっていないようだが。
ここには1970年代半ばまで家があり、マニオクを栽培し、粉とでんぷんを市場で売っていたという。また、1980年代に火事があり、熱で岩絵の一部が失われたらしい。
ここはかつて川のほとりにあった。発掘調査により、上部の堆積層は約8500年前のものとわかった。それから、10000年から9000年前に大きな気候変動があり、乾燥化していったことが示唆された。岩絵が描かれた壁面の下部は堆積層に埋もれていて、絵の多くも埋もれていた。そのため、埋もれていた絵の年代も推定できた。少なくとも、埋もれる前に描かれたのだという単純な話だ。
これはカピバラ渓谷の岩絵全般に言えることだが、岩絵のあるサイトの多くは、かつて川や湖などの水場のすぐ近くだった。





最後に湧き水のある場所に連れて行ってもらった。澄んだ水場に青々と苔が生えていて、全く別世界だった。