南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行きます。

明日夜から南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行きます。サン人はブッシュマンの呼称で知られていた人たちで、かつてはアフリカ南部に広範囲に住んでいた狩猟採集民です。南東部の都市ダーバンの北、南アフリカの中の独立国レソトの東側に南北に延びるDrakensbergの中の岩絵と、ケープタウン北部のCederberg Wildernessエリアの岩絵を巡ります。

当初、インドネシアボルネオ島カリマンタン)に、洞窟壁画の撮影に行く予定でした。世界最古の動物の絵などを見に、ジャングルを丸4日歩くつもりでしたが、現地の文化財保護局の人とやりとりするなか、雨期で激しい雨が降るため、遺跡までたどり着けない可能性もあるとのことで、急遽キャンセル、行き先を南アフリカに変更しました。

12月1日の浅草石フリマに参加します。

12月1日、「浅草石フリマ」に参加します。イタリアはフィレンツェ近郊で採れるパウル・クレーの絵のような模様の石「アルノーの緑」、インドネシアのイリース・アゲート、また著書などを販売します。

http://takama.ne.jp/isi_fleamarket/?fbclid=IwAR09MsVgoYnTYqZZ9F_ZxINOYrrRT-ryHHHV8D3zddroixMhgdqLaFJLi5U 

 

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ルノーの緑 Verde d'Arno

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イリース・アゲート Iris Agate



 

風景の石 パエジナ (不思議で奇麗な石の本)

風景の石 パエジナ (不思議で奇麗な石の本)

 

 

新刊が出ます。

11月15日、イタリア、主にトスカーナ地方で採れる風景画のような模様をもつ石パエジナの写真集を出します。ほぼ全て私が持っている石の写真ですが、イタリアで長年パエジナを採っている人から貴重な原石の写真もお借りしています。既刊『不思議で美しい石の図鑑』『奇妙で美しい石の世界』に掲載されていない石が満載です。パエジナだけでなく、同じエリアで採れる幾何学模様の石「アルノーの緑」やオレゴンのピクチャー・ジャスパーなど、世界各地の風景石の写真も収録しています。

創元社刊。

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アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その11(最終日)

現地滞在10日以上という、私にとって最近では長めの旅行もこの日で最後。海外に自分でテントを持っていくのも、1週間以上キャンプするのも初めてで、新鮮な経験だったが、あっという間だった。
昨夜は久しぶりにシャワーも浴びて、すっきりして寝た。砂漠は乾燥していて、しかも気温も低かったので汗をほとんどかかず、さほど不快ではなかったが、やはり髪の毛など、全体がごわごわしてくるので、レナータも「うわーって、かきむしりたくなるわね」と言っていたがまさに。
私にとってこの日は最終日だが、ドイツの女性2人はあと5日ある。男性陣はその後12日間のトレッキングに出る。トレッキングは車で行ける所まで行き、一日歩いて車まで戻るということの繰り返しのようだ。要するに車で行けない場所に徒歩で行き、岩絵のサイトを見て歩くもので、これを12日間続けるのは結構な体力が必要だろう。ロバートはおそらく70歳ほどなので、かなり体力に自信があるのかと思う。今の私にはちょっとしんどいかもしれないが、試してみたくはある。

今日はジャーネットの北に向かう。
厚い砂岩の層が連なるエリアはこの近辺で最古の地層だという。カンブリア紀後期だという。Tadrartの岩とちょっと印象が違って重厚。



先ず、Aït Talawatenというサイトに行く。岩場の中にシェルターというよりも大きな岩の隙間のような空間があり、素晴らしい絵があった。Round Headと呼ばれるタッシリでは最も古い部類の絵とされる、名前の通り頭の丸い人物のシルエットと動物の絵だ。シンプルだがフォルムが実に洗練されている。
丸まげをゆっているような形の人物もいる。頭に長い房飾りのようなものを付けている人もいる。そして、牛の絵がない。牛がこのエリアに持ち込まれる前なのだ。オリックスやガゼル、バーバリーシープのように見える動物ばかりだ。キリン、ゾウ、ライオンなども見当たらない。







頭に角のついた人物像も多く見られる。仮面を付けた祭りなどの場面だろうか、それともシャーマンだろうか。もしかすると動物霊に憑依された状態を示してるのか。角のついた人物はどれも子どものような体形にも見える。





撮影時にはわからなかったが、獣の頭をした人物像も。ヘルメット型仮面だろうか。どこかコートジボワールに住んでいるセヌフォ族の仮面に似ている。見どころのとても多いサイトだった。



この後、ゲルタ(水場)に寄る。ゲルタの周囲にはジャスミンのような良い香りの白い花がたくさん咲いていて、ハチ、チョウ、そして赤いトンボがいた。サハラでトンボを見るとは思わなかった。生き物を見るとちょっとほっとする(ハエは別!)。




私にとって最後のガサガサの昼食をとるが、アブドゥラがみんなに野菜のたっぷりはいったピラフをふるまってくれた。圧力鍋で作ったものだ。ずっと旨そうなものを食べてるなと思いつつ見ていたが、かなり薄味だった。コーラや砂糖のたっぷり入ったお茶を飲むので、料理も濃い味付けかと思いきや、ちょっと意外だった。
再び道路に戻ってジャネットの空港に近いサイトへ。ゴミが大量に捨てられている場所を通る。
この旅で、結局野生動物はほとんど見られなかったが、岩の隙間を走るハイラックスの親子を見た。これでも象の親戚なのだ。



旅の最後に見たのは岩山に彫られたあまりにも見事な牛の彫り物だった。Terarartの「泣く牛」と呼ばれているものだが、これまでに見た岩の彫り物とは洗練の度合いもテクニックもレベルが違う。牛の目の下にある窪みが涙のように見えるというので、この名がついている。これはいつごろのものなのだろう。上手い。あまりに上手すぎる。右端の牛の体には模様が彫り込まれているが、この模様がとてもナチュラルというか、岩肌に馴染む感じで無理なく彫られているという印象だ。他の牛にここまで深い模様が刻まれていないことを考えると、もしかすると、これは元々岩肌についていた窪みで、これが彫る者に「牛の姿」を見せたのかもしれない、と考えてみた。







これで今回の旅は終わり。ジャネットの宿泊所に戻り、フランス人の団体と一緒に夕食をとって、部屋で仮眠し、空港に深夜に向かう。
怪我した足もだんだんと良くなっていたレナータとお別れすると、「クゥローシしないように気をつけてね」と。過労死のことなのだった。エレーナは毎年エジプト南部の砂漠に深く入っていくツアーを主催しているので、こんど計画するときは教えてと言うと、「来る気あるの? いいわよ。」と言ったあと、「食事はこのツアーよりずっと美味しいから」と小声で。レナータも笑っていた。

ジャーネットの空港を出るときもカードに「旅の目的」やら「滞在先」やら書き込まねばならなかった。ここまで手続きが多い国は初めてだ。
私と入れ替わりでアンドラスの奥さんがジャーネットに着いたのだが、挨拶はできずに入れ違いで飛行機に。
アルジェの空港で半日時間をつぶして帰路についた。
次回は是非、タッシリ・ナジェールの中心、台地に行ってみたいと思う。

アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その10

キャンプを出て、舗装道路に戻る。1週間滞在したTadrartから離れることになった。
道路に戻ったが、初日にキャンプしたTin Aressouの15キロほど東で再びオフロードに入り、南へ向かう。Tadrartは奇岩地帯だったが、この付近には限りなく平坦な風景がある。



先ず、Tin Akahamaというサイトに向かう。ここは当初の日程には含まれていなかったため、行くことは現地の代理店と少し議論になったようだ。役所に提出してある予定表から外れて行動することは禁じられているからだ。ただ、今回はこの後向かう場所とさほど離れていないため、問題無いだろうということになった。
Tin Akahamaはやはり古い記録からアンドラスがサイトを探している場所だ。非常にざっくりした報告しかなかったようだが、Google Earthで地形を見て、ここに違いないというあたりをつけて来ていた。それがドンピシャで当たったのだからすごいなと思ったが、絵のあるシェルターは雨風をしのぐに適した場所が多く、長い間、ここを通過する様々な人々が使ってきた。目印の意味もあるのか、シェルターの周囲に岩を円形などに配置した場所も多い。解像度が高いGoogle Earthで、この円形に配置した岩が見えたのだという。すごい時代だ。サイトは枯川をはさんで二つあった。最初に入った大きなシェルターは周囲に大きく円形に配した岩がある。絵は多くなく、比較的素朴なものだが、キリン、牛、弓をもった狩人たち、そして頭に触覚のようなものが付いている、不思議な人物像など。この触覚のようなアンテナのようなものがついた人物は他でも見かけたが、何だろう。「古代の宇宙人」好きが大きく反応しそうなモチーフだが。





もうひとつのサイトはすぐ近くで、あまり状態の良いものがない様子だったが、アブドゥラが丸い穴の窪みの奥の方に人物像が描かれているのを発見した。彼は客たちがサイトで写真を撮ったりしている間に付近をあちこち探索しているのだ。この穴の中の絵はおそらく新発見だろうとアンドラスが。




この後、Tin Hanakatenというサイトへ向かう。ここは1974年に発掘調査が行われた場所だ。それ以来、誰も訪れていない可能性が高いということだった。タッシリできちんとした発掘調査が行われたのは、この場所を含む二ヶ所しかないという。
ラクダが描かれているので、それほど古いものではないようだが、家を示す丸いマーク、戦車と見えるものなど、状態の良い絵が残っている。





この発掘が行われたシェルターのすぐ近くにもう一つ、絵のあるシェルターがあった。ここにあった絵がちょっと驚きだった。アフロヘアの人物が複数、牛の周囲に描かれている。髪形もさることながら、人物のポーズのちょっと大げさな表現の仕方がなんともモダンというかポップというか、60年代末-70年代初頭のソウルのレコードに使われるイラストのようで、とても数千年経過した絵には見えないのだ。髪形は明らかにチリチリであることが強調されている。これは本当に千年、二千年というような時間が経過した古い絵なのかとアンドラスに尋ねると、もちろんだと。
この絵の左にはシルエットで描かれた全く違うタイプの人物像がたくさん描かれている。長い行列をつくっているようにも見える。そして、その行列の先頭の方に、アフロヘアの人物が入り込んでいる。シルエットの人物像はよく見るタイプの描き方なので、アフロヘアの人物たちと違う時代に描かれたものかと思いきや、この行列に入り込んでいるアフロの人は明らかにシルエットの人物たちと同時に描かれている。重ねて描かれたものではない。これは面白い。この二種の人たちの異質さを絵のタッチの明確な違いが表現しているように見えるのだ。
ヨナスがアフロの人物像を「アンジェラ・デイビス」と呼んだが、いや、これはむしろジャクソン・ファミリーでしょ、と私。
ジャクソン・ファミリーはどこから来たどんな人たちだったのだろう。また、この人たちと黒いシルエットで描かれ、行列をなしているように見える人たちは何をしているところなんだろうか。






人物の様子を細く見ると、前かがみで、両手を顔の近くにもってきている、泣いているかのように見える人たちがいる。このアフロの人物は胸の膨らみがあり、女性のようにも見えるが、腰みののようなものだけつけているようだ。黒い人物たちも腰に紐のようなものが描かれていて、腰回り以外ほぼ裸のようにも見える。やはり女性とみられる人物像も多い。これは葬列だろうか。それにしてはジャクソン・ファミリーがリラックスしているように見える。もしかして、ジャクソン・ファミリーにシルエットの人たちが何か恐ろしいことでもされたのだろうか。男たちが殺されたとか.....。興味がつきない。







これで砂漠でのキャンプは終わり。予定ではこの日もジャクソン・ファミリーの絵の近くでキャンプする予定だったが、全体に予定よりも数時間ほど先に進んでいたため、ジャーネットに戻ることになったのだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、さっぱりした。


ところで、ヨナスはキャンプ中いくつか動物のサンプルをとっていた。サソリ、小さなネズミなど。サソリを見せてもらったが、ブラックライトで蛍光するということを初めて知った。ヨナスは日没後ブラックライトで地面を照らしながらサソリを探していたがなかなか見つからず、ジャーネットに戻る少し前にたまたまロバートが夕食後に座っていた岩のすぐ近くにサソリがいて捕まえたという顛末だった。



アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その9

夜明け前に星空の撮影をした。着いたときはとても細い月だったが、今はちょうど半月くらいで夜遅くまで月が出ているため、月が沈んだ後でないと小さな星は見えない。



Oued In Djeraneへ戻る途中、いくつかのサイトを見る。有名なアーチ状の岩も見た。ここは観光ルートになっているので複数の観光客とすれ違う。タッシリ観光が盛んだった90年代にはもっとたくさん人がいたんだろうね、と言うと、ヨナスが「だから僕はここに来なかったんだ」と。アーチ状の岩のすぐ近くに激しく風化した岩があり、根元にダチョウの群れが描かれていた。





Oued In Djeraneの入り口前で、シェルターの床面の平板な岩の表面に様々な動物の足型がリアルサイズで彫られたサイトに寄る。ライオン、ガゼル、牛、サル、そしてサンダルをはいた人の足型もある。さながら足型図鑑といったところだ。ヨナスにどれが何の足型か解説してもらう。こうしたものはサハラではここだけだということだ。ハンターにとって足型は重要だが、これは何のためのものだろうか。若い男の子に教えるための教材のようなものだろうか。だが、それならば実際に狩りに同行させることで実物を見せながら説明した方が有効だろう。この岩に刻まれた足型はひとつずつで、歩幅も何もわからない。








足型の岩の横にはライオンを刻んだ岩もある。とても面白いサイトだった。



細長い人が描かれたシェルターがあったが、しゃがんだ大人(母親?)と子どもと見られる絵があった。





次第に砂丘エリアを離れ、砂というよりも泥っぽいエリアに入る。

魚を彫った岩があった。魚だけ複数彫られている。石彫に魚が登場するのはとても珍しいという。ナマズだろうか、顔の描かれたかわいいものも。




さらに大きな牛の彫り物がある岩を見る。線刻ではなく、内側を丁寧に彫り込み、体の模様も浮き彫りのような形で表現されている。右向きの牛が三頭。左向きの牛が一頭で、この左向きの牛は制作途中で止めてしまった印象がある。





大きなキリンと人物が彫られた岩壁があった。これはアンドラスによれば、新しいものである可能性があると。なぜなら、このエリアを調査した古い記録に記載がなく、これだけ目立つものを見落とすとは考えられないと。トゥアレグの文字が彫られているが、同時期に彫られたものかもしれないと。完全に新しく彫られたものでなければ、古く不鮮明なものを削り直した可能性もあるというのが彼の見立てだ。



ゾウの群れの線刻画が彫られた岩、キリンが彫られた岩も見る。どうも今回はゾウの線刻画サイトで光線の加減に恵まれていない。



二色に色分けされた牛の群れを描いたものを見る。昨日見たものと同じ様式だ。模様が交じり合ってどこか錯視効果をねらったような感じにも見える。この牛の描き方を見て、どこかアフリカ南部で見られるサン族(ブッシュマン)の絵に似ているなと思っていたが、サン族の岩絵との共通性については専門家でも指摘する人はいるようだ。


下の絵の白い丸は小屋、家を示している。牛の描き方も人の描き方もさまざまだ。






大きな岩に二酸化マンガンの見事なデンドライトが入っている所があった。立体感のある、立派な樹状結晶だ。
化石もたくさんある。一件ウミユリかなと見えるが、アンドラスによれば、ワームの一種だと。




例の三つ葉のような形の頭の人物像が色も鮮やかに残っている絵があった。これを見ても三つ葉型が何なのかよくわからない。帽子だろうか。



この日の最後は座るキリンの絵。子どもを産んでいるところだと言われる。漫画のような顔だ。イヘーレン様式だろうか。

アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その8



砂漠で1週間も過ぎると一日がはやく感じられる。あまりに淡々としているからか。さっきテントを畳んだと思ったら、もう設営、また解体、また設営....そんな印象だ。
アンドラスとロバートはテントは面倒だからと気温の高い日は地面にマットを敷いてその上に寝袋に入って寝ていたが、明け方5度、6度となるとさすがに寒いのでテントに入っている。それにしても白人は丈夫だなとあらためて思うのだった。冷えに強い(日本人が弱いのかも)。

この日はQued Sirikという名のOued In Djeraneの北にある大きな枯川に入り、90年代にFalestiniというイタリアの研究者が記録して以来、おそらく誰も入っていないいくつかのサイトを巡る。これほど岩絵で有名な場所で、こんなにほとんど人が見ていない場所があるということが驚きだ。アンドラスもほとんど初見の場所なので、皆で見落としの無いように注意深く絵を探す。さほど大きなシェルターでなくとも、意外に絵を見落とすものだ。



赤と白の2色で描いた、よく肥えた牛がたくさん描かれている、規模の大きな放牧が行われていたことが伺われる。「後期放牧期」と呼ばれる時代のもののようだ。頭が三つ葉のクローバーのような形で描かれている人物があちこちで見られる。髪形なのか、こうした形の帽子なのか。こうした特徴的な様式からもいつ頃描かれたものか特定できるのかもしれない。





牛の群れは高い写実性で描かれ、躍動感がある。家畜化された動物だけではない。白地に赤い斑点をつけたキリンの絵やサイ、ダチョウの石彫もある。







大きな丸く深い穴の空いた岩があり、すり鉢など、道具として使われてきた形跡がある。ヨナスは人が作ったものだと言うが、私はポットホールではないかと思う。ポットホールの空いた岩を割り出してシェルターまで運んだか、この形のまま落ちていたかどちらかだろう。これだけ深く岩を彫り込むのは並大抵の労力ではないし、すり鉢などに使うにしてもここまで深くする必要はない。



アブドゥラが「シャルトル」と呼ぶ洞窟に入る。深く広く、しかも天井がものすごく高い。確かにまるで聖堂の中のようだ。しかも入り口が三角で本当に聖堂の入り口のように見える。外からはこれだけ大きな空間が内部にあるとはなかなかわからない。中にはコウモリがたくさんいるようだったが、天井が高くよく見えない。こうした暗い場所には絵はない。




弓をひく複数の人物がアクロバティックな構成で描かれている場所があった。この絵は傑作だ。上が自然光で撮った写真で、下が自然光を遮ってフラッシュで撮影したもの。フラッシュで撮るとフラットな絵が得られるが、これだけ凹凸のある面にこれだけ繊細な絵を書き、光を平均化すると完璧な形で見えるということがすごい。岩絵に関して、絵が上手いと(現代的な鑑賞眼で感じられる)ことをあまり重視したくはないが、ときどき、本当に「上手い!」と感心するものがある。




もう少し素朴な絵もあるが、下の絵の左下の動物の頭をした人のようなものが面白い。頭つきの毛皮をまとった人のようにも見える。これをtweetしたところ、これは単に動物を後ろから見た姿でしょ、というコメントがあったが、それはまず考えにくい。動物を後ろ、上、前から描いた絵や石彫はこのエリアの岩絵の写真で見たことがないし(他の場所でも無いように思うが)、もしあったとしても、右上の牛の形を見ても、後ろから見た牛の体をこんなに四角い、抽象化した形で描くとは考えられない。



カップルの絵がまたあった。女性らしき人が赤い腰巻きをしている。



キャンプ地は大きな尖った岩の横だった。
夕食の後、アブドゥラに「砂漠の幽霊話とかあるの?」ときくと、「many, many....」とニヤニヤしながら言うので、ひとつ話してと頼む。サハラでは魔物や精霊のようなものはジンと呼ぶのだ。話してくれたのは、こんな話。

ある谷にジンが住んでいた。ジンは谷に来る人間を次々に襲い、99人殺した。ある夕暮れ、一人の老人が谷に降りて来た。老人が寝る場所を決めるとジンが近づいていき、「お前がここに来た100人目」だと言う。ジンは老人がする全てのしぐさを真似してみせた。老人が荷物をほどけば、自分も同じようなものを取り出して同じようにしてみせる。老人が火をおこせば同じように火をおこす。老人が鍋を出して食事の用意をすると、ジンも自分の鍋を出し、同じようなことをしてみせる。こうしたことを繰り返した後、老人が火のついた燃えさしをもって長く延びた顎ヒゲの先を焼き始めた。これを見たジンも同じようにたき火の中から燃えさしを取り出して顎にあてたが、全身毛に覆われていたジンはまたたく間に火だるまになってしまい、逃げていった、という話。サトリの話に良く似ている。

もうひとつ、現代版の話もしてくれた。
ある外国の旅人がリビアから車で旅してきて、砂漠の中の小さな村に着いた。滅多に外国人を見ない村人は彼を大いに歓迎し、今日はちょうど結婚式があるので、是非参列していってくれと言う。宴たけなわで、すっかり気分良くなっていた旅人だが、花嫁のドレスの下から毛むくじゃらの動物の足がのぞいていることに気づく。よく見ると、村人みな、動物の足だった。驚いてその場を飛び出し、車に乗って逃げた...。──という話を、たまたま乗せたヒッチハイカーにすると、ハイカーが「それはこんな足だったかい?」と見せる、という話。これもまたよくある構造の話だ。日本でも似た話あるよ、と、「こんな顔でしたかぁ?」の、むじなの話をして、大いに笑って皆寝た。