南アフリカ岩絵撮影行 1日目

東京から約27時間かけて南アフリカの東側の沿岸の町ダーバンに着く。エミレーツ航空でドバイ経由。ここのところドバイ経由が多い。ブラジル、アルゼンチン、アルジェリアとドバイ経由だった。感じも悪くない。夜のトランジットには無料のホテルがついてくる。空港は延々とブランドの免税店が続いてギラギラだ。人はそんなにもブランド品が好きなのか?

エミレーツは映画もいろんな国の言葉の吹き替えだけでなく、いろんな国の映画を上映している。インド映画、アラビア映画、タガログ語吹き替えのコーナーなんてのもある。ハリウッドで話題になった映画などでも必ずしも日本語の吹き替えがあるわけではない。中国語はほぼそろっている。このへんも、日本から出る旅行客の数がそれほど多くなくなっていることの証左か。

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ドバイ空港

 

ダーバンはそれほど大きな空港ではない。あらかじめ予約していたレンタカー屋でトヨタSUVを借りる。オートマ車は少ない。レンタカーはとても安く、1週間借りても小型車のマニュアルであれば、1万円強で借りられる。ただ、舗装されていない道に入るし、マニュアルはしんどいので、SUVでオートマで、保険も車両保険もかけてとなると4万以上になるが。それでも安い。ぼろぼろのランクルを1週間借りると20万円かかるオーストラリアとはえらい違いだ。もっとも本格的な四輪駆動車はもっと高いのだろうけど。

レンタカー屋のカウンターの女性がとても親切なのが印象的だった。カーナビも借りたし、あとはちょっと走って寝るだけだなと思っていたが、これが大変だった。

先ず、主要幹線道が通行止めになっていて、迂回しようにもカーナビはひたすら元に戻れと言う。ガソリンスタンドの兄ちゃんにおおまかに道をきいてある程度走って、ようやくカーナビもあきらめてくれた。カーナビは位置情報は正確なようだが、日本のもののように俯瞰で見るようになっていないので、自分がどのへんにいるのかが全くわからない。

宿は市街地にすると一通やらなにやらで、いきなりレンタカーで入ると大変なので、外れた場所にしたが、宿のあるエリアに入ってみると完全に金持ちの住宅街だ。家はみな堅牢な門で閉じられている。ゲート&守衛付きの住宅地のようなものもある。カーナビは「着きました」と言うのだが、その場所には何の看板もサインもなく、ただ鉄のシャッターが閉まっている。付近を回ってもそれらしきものは無し。完全に暗くなった。何度かあちこち入っては引き返しを繰り返してもわからない。あまりうろうろしていると通報されかねない。宿に電話をすることにした。電話は使わないで済むだろうと思ってモバイルwifiだけで来たのだが、仕方ないので、金のかかるローミングを。しかし、留守番電話になっている。

どうにも手詰まりで、近所に一軒B&Bの看板を出している家があったので、呼び鈴を鳴らして尋ねるも、インターホン越しに、わからない、もっと上じゃないかな?と。上に上がってみたが、やはりそれらしきものは無し。もう一度、B&Bの呼び鈴を鳴らして、ちょっと助けてもらえませんかと頼むと、男の子が出て来た。金持ちが自分の別荘を貸しているが、接客などはバイトがやっているのだ。彼もこの付近は全く知らないと。見つからなかったら、泊めてくれる?と尋ねるも、満室だと。

もう一度番地を細かく見ながら道を行くと、ようやくどうやら同じ番地らしき家が見つかった。小さな呼び鈴もある。そこだった。何度も前を通ったのだが、看板も何も無し。呼び鈴に名前も書いてない。そんなもんわかるか!

出て来た女性に、電話したんだけど、と言うと、ごめんなさい、おととい携帯盗まれちゃったのよ、と。何にしても見つかってよかった。疲れ果てた。

ボルネオ島をあきらめて、南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行きます。

明日から南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行く。

サン人はブッシュマンの呼称で知られた人たちで、かつてはアフリカ南部に広範囲に住んでいた狩猟採集民だ。南東部の都市ダーバンの北、南アフリカの中の独立国レソトの東側に南北に延びるMaloti-Drakensberg公園の中の岩絵と、ケープタウン北部のCederberg Wildernessエリアの岩絵をレンタカーで巡る。

サン人はオーストラリア先住民とならんで、最も長く岩絵をかき続けた人たちで、動物画、シャーマンの姿などは、他の先史時代の岩絵を解釈するうえで大きなヒントをあたえるものになっている。

当初、この時期にインドネシアボルネオ島カリマンタン)に、洞窟壁画の撮影に行く予定だった。ボルネオ島北東部のカルスト地形には多くの洞窟があり、夥しい数の4万年以上前に遡る岩絵が残っている。シンボルマークのようなものを書き入れた手形が数多くある洞窟Tewetはロープでクライミングしないと上がれない場所にあり、また、一作年、世界最古の動物の絵として『ネイチャー』に発表されたSalehの岩絵は、ジャングルを片道2日歩いた場所にあるなど、アクセスが難しく、素人には無理だろうと思っていたが、BBCの番組で明らかに経験のなさそうな女性スタップがロープで上がっていく様子を見て、これは行けるのでは?と現地の文化財保護局の人とやりとりし、OKをもらった。日程もほぼ決まっていた。

が、打ち合わせ最終盤になって、12月は雨期のまっただ中で激しい雨が降り、道はぬかるみ、増水して遺跡までたどり着けない可能性もあると聞かされ、急遽キャンセルした。どうも最初にやりとりしていた人とあまりコミュニケーションがうまくいってなかった。そういう事情であれば、もっとアクセスが容易な乾季に行きたいと思うけれど、いいですかという要望に快く応じてくれたので、行き先を南アフリカに変更したのだ。

普通であれば、航空券のキャンセル料がかかるか、チケットが全く無駄になってしまうところだったが、行き先のSamarinda空港が修復かなにかで使用できなくなり、先方都合で到着空港を変更してきたため、全てキャンセル料無しで済んだ。そうでなければ、運を天にまかせてボルネオに行っていただろう。

ということで、大慌てでいろいろと調べて、もろもろ連絡をして、なんとか出発することに。

 

南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行きます。

明日夜から南アフリカにサン人の岩絵の撮影に行きます。サン人はブッシュマンの呼称で知られていた人たちで、かつてはアフリカ南部に広範囲に住んでいた狩猟採集民です。南東部の都市ダーバンの北、南アフリカの中の独立国レソトの東側に南北に延びるDrakensbergの中の岩絵と、ケープタウン北部のCederberg Wildernessエリアの岩絵を巡ります。

当初、インドネシアボルネオ島カリマンタン)に、洞窟壁画の撮影に行く予定でした。世界最古の動物の絵などを見に、ジャングルを丸4日歩くつもりでしたが、現地の文化財保護局の人とやりとりするなか、雨期で激しい雨が降るため、遺跡までたどり着けない可能性もあるとのことで、急遽キャンセル、行き先を南アフリカに変更しました。

12月1日の浅草石フリマに参加します。

12月1日、「浅草石フリマ」に参加します。イタリアはフィレンツェ近郊で採れるパウル・クレーの絵のような模様の石「アルノーの緑」、インドネシアのイリース・アゲート、また著書などを販売します。

http://takama.ne.jp/isi_fleamarket/?fbclid=IwAR09MsVgoYnTYqZZ9F_ZxINOYrrRT-ryHHHV8D3zddroixMhgdqLaFJLi5U 

 

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ルノーの緑 Verde d'Arno

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イリース・アゲート Iris Agate



 

風景の石 パエジナ (不思議で奇麗な石の本)

風景の石 パエジナ (不思議で奇麗な石の本)

 

 

新刊が出ます。

11月15日、イタリア、主にトスカーナ地方で採れる風景画のような模様をもつ石パエジナの写真集を出します。ほぼ全て私が持っている石の写真ですが、イタリアで長年パエジナを採っている人から貴重な原石の写真もお借りしています。既刊『不思議で美しい石の図鑑』『奇妙で美しい石の世界』に掲載されていない石が満載です。パエジナだけでなく、同じエリアで採れる幾何学模様の石「アルノーの緑」やオレゴンのピクチャー・ジャスパーなど、世界各地の風景石の写真も収録しています。

創元社刊。

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アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その11(最終日)

現地滞在10日以上という、私にとって最近では長めの旅行もこの日で最後。海外に自分でテントを持っていくのも、1週間以上キャンプするのも初めてで、新鮮な経験だったが、あっという間だった。
昨夜は久しぶりにシャワーも浴びて、すっきりして寝た。砂漠は乾燥していて、しかも気温も低かったので汗をほとんどかかず、さほど不快ではなかったが、やはり髪の毛など、全体がごわごわしてくるので、レナータも「うわーって、かきむしりたくなるわね」と言っていたがまさに。
私にとってこの日は最終日だが、ドイツの女性2人はあと5日ある。男性陣はその後12日間のトレッキングに出る。トレッキングは車で行ける所まで行き、一日歩いて車まで戻るということの繰り返しのようだ。要するに車で行けない場所に徒歩で行き、岩絵のサイトを見て歩くもので、これを12日間続けるのは結構な体力が必要だろう。ロバートはおそらく70歳ほどなので、かなり体力に自信があるのかと思う。今の私にはちょっとしんどいかもしれないが、試してみたくはある。

今日はジャーネットの北に向かう。
厚い砂岩の層が連なるエリアはこの近辺で最古の地層だという。カンブリア紀後期だという。Tadrartの岩とちょっと印象が違って重厚。



先ず、Aït Talawatenというサイトに行く。岩場の中にシェルターというよりも大きな岩の隙間のような空間があり、素晴らしい絵があった。Round Headと呼ばれるタッシリでは最も古い部類の絵とされる、名前の通り頭の丸い人物のシルエットと動物の絵だ。シンプルだがフォルムが実に洗練されている。
丸まげをゆっているような形の人物もいる。頭に長い房飾りのようなものを付けている人もいる。そして、牛の絵がない。牛がこのエリアに持ち込まれる前なのだ。オリックスやガゼル、バーバリーシープのように見える動物ばかりだ。キリン、ゾウ、ライオンなども見当たらない。







頭に角のついた人物像も多く見られる。仮面を付けた祭りなどの場面だろうか、それともシャーマンだろうか。もしかすると動物霊に憑依された状態を示してるのか。角のついた人物はどれも子どものような体形にも見える。





撮影時にはわからなかったが、獣の頭をした人物像も。ヘルメット型仮面だろうか。どこかコートジボワールに住んでいるセヌフォ族の仮面に似ている。見どころのとても多いサイトだった。



この後、ゲルタ(水場)に寄る。ゲルタの周囲にはジャスミンのような良い香りの白い花がたくさん咲いていて、ハチ、チョウ、そして赤いトンボがいた。サハラでトンボを見るとは思わなかった。生き物を見るとちょっとほっとする(ハエは別!)。




私にとって最後のガサガサの昼食をとるが、アブドゥラがみんなに野菜のたっぷりはいったピラフをふるまってくれた。圧力鍋で作ったものだ。ずっと旨そうなものを食べてるなと思いつつ見ていたが、かなり薄味だった。コーラや砂糖のたっぷり入ったお茶を飲むので、料理も濃い味付けかと思いきや、ちょっと意外だった。
再び道路に戻ってジャネットの空港に近いサイトへ。ゴミが大量に捨てられている場所を通る。
この旅で、結局野生動物はほとんど見られなかったが、岩の隙間を走るハイラックスの親子を見た。これでも象の親戚なのだ。



旅の最後に見たのは岩山に彫られたあまりにも見事な牛の彫り物だった。Terarartの「泣く牛」と呼ばれているものだが、これまでに見た岩の彫り物とは洗練の度合いもテクニックもレベルが違う。牛の目の下にある窪みが涙のように見えるというので、この名がついている。これはいつごろのものなのだろう。上手い。あまりに上手すぎる。右端の牛の体には模様が彫り込まれているが、この模様がとてもナチュラルというか、岩肌に馴染む感じで無理なく彫られているという印象だ。他の牛にここまで深い模様が刻まれていないことを考えると、もしかすると、これは元々岩肌についていた窪みで、これが彫る者に「牛の姿」を見せたのかもしれない、と考えてみた。







これで今回の旅は終わり。ジャネットの宿泊所に戻り、フランス人の団体と一緒に夕食をとって、部屋で仮眠し、空港に深夜に向かう。
怪我した足もだんだんと良くなっていたレナータとお別れすると、「クゥローシしないように気をつけてね」と。過労死のことなのだった。エレーナは毎年エジプト南部の砂漠に深く入っていくツアーを主催しているので、こんど計画するときは教えてと言うと、「来る気あるの? いいわよ。」と言ったあと、「食事はこのツアーよりずっと美味しいから」と小声で。レナータも笑っていた。

ジャーネットの空港を出るときもカードに「旅の目的」やら「滞在先」やら書き込まねばならなかった。ここまで手続きが多い国は初めてだ。
私と入れ替わりでアンドラスの奥さんがジャーネットに着いたのだが、挨拶はできずに入れ違いで飛行機に。
アルジェの空港で半日時間をつぶして帰路についた。
次回は是非、タッシリ・ナジェールの中心、台地に行ってみたいと思う。

アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その10

キャンプを出て、舗装道路に戻る。1週間滞在したTadrartから離れることになった。
道路に戻ったが、初日にキャンプしたTin Aressouの15キロほど東で再びオフロードに入り、南へ向かう。Tadrartは奇岩地帯だったが、この付近には限りなく平坦な風景がある。



先ず、Tin Akahamaというサイトに向かう。ここは当初の日程には含まれていなかったため、行くことは現地の代理店と少し議論になったようだ。役所に提出してある予定表から外れて行動することは禁じられているからだ。ただ、今回はこの後向かう場所とさほど離れていないため、問題無いだろうということになった。
Tin Akahamaはやはり古い記録からアンドラスがサイトを探している場所だ。非常にざっくりした報告しかなかったようだが、Google Earthで地形を見て、ここに違いないというあたりをつけて来ていた。それがドンピシャで当たったのだからすごいなと思ったが、絵のあるシェルターは雨風をしのぐに適した場所が多く、長い間、ここを通過する様々な人々が使ってきた。目印の意味もあるのか、シェルターの周囲に岩を円形などに配置した場所も多い。解像度が高いGoogle Earthで、この円形に配置した岩が見えたのだという。すごい時代だ。サイトは枯川をはさんで二つあった。最初に入った大きなシェルターは周囲に大きく円形に配した岩がある。絵は多くなく、比較的素朴なものだが、キリン、牛、弓をもった狩人たち、そして頭に触覚のようなものが付いている、不思議な人物像など。この触覚のようなアンテナのようなものがついた人物は他でも見かけたが、何だろう。「古代の宇宙人」好きが大きく反応しそうなモチーフだが。





もうひとつのサイトはすぐ近くで、あまり状態の良いものがない様子だったが、アブドゥラが丸い穴の窪みの奥の方に人物像が描かれているのを発見した。彼は客たちがサイトで写真を撮ったりしている間に付近をあちこち探索しているのだ。この穴の中の絵はおそらく新発見だろうとアンドラスが。




この後、Tin Hanakatenというサイトへ向かう。ここは1974年に発掘調査が行われた場所だ。それ以来、誰も訪れていない可能性が高いということだった。タッシリできちんとした発掘調査が行われたのは、この場所を含む二ヶ所しかないという。
ラクダが描かれているので、それほど古いものではないようだが、家を示す丸いマーク、戦車と見えるものなど、状態の良い絵が残っている。





この発掘が行われたシェルターのすぐ近くにもう一つ、絵のあるシェルターがあった。ここにあった絵がちょっと驚きだった。アフロヘアの人物が複数、牛の周囲に描かれている。髪形もさることながら、人物のポーズのちょっと大げさな表現の仕方がなんともモダンというかポップというか、60年代末-70年代初頭のソウルのレコードに使われるイラストのようで、とても数千年経過した絵には見えないのだ。髪形は明らかにチリチリであることが強調されている。これは本当に千年、二千年というような時間が経過した古い絵なのかとアンドラスに尋ねると、もちろんだと。
この絵の左にはシルエットで描かれた全く違うタイプの人物像がたくさん描かれている。長い行列をつくっているようにも見える。そして、その行列の先頭の方に、アフロヘアの人物が入り込んでいる。シルエットの人物像はよく見るタイプの描き方なので、アフロヘアの人物たちと違う時代に描かれたものかと思いきや、この行列に入り込んでいるアフロの人は明らかにシルエットの人物たちと同時に描かれている。重ねて描かれたものではない。これは面白い。この二種の人たちの異質さを絵のタッチの明確な違いが表現しているように見えるのだ。
ヨナスがアフロの人物像を「アンジェラ・デイビス」と呼んだが、いや、これはむしろジャクソン・ファミリーでしょ、と私。
ジャクソン・ファミリーはどこから来たどんな人たちだったのだろう。また、この人たちと黒いシルエットで描かれ、行列をなしているように見える人たちは何をしているところなんだろうか。






人物の様子を細く見ると、前かがみで、両手を顔の近くにもってきている、泣いているかのように見える人たちがいる。このアフロの人物は胸の膨らみがあり、女性のようにも見えるが、腰みののようなものだけつけているようだ。黒い人物たちも腰に紐のようなものが描かれていて、腰回り以外ほぼ裸のようにも見える。やはり女性とみられる人物像も多い。これは葬列だろうか。それにしてはジャクソン・ファミリーがリラックスしているように見える。もしかして、ジャクソン・ファミリーにシルエットの人たちが何か恐ろしいことでもされたのだろうか。男たちが殺されたとか.....。興味がつきない。







これで砂漠でのキャンプは終わり。予定ではこの日もジャクソン・ファミリーの絵の近くでキャンプする予定だったが、全体に予定よりも数時間ほど先に進んでいたため、ジャーネットに戻ることになったのだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、さっぱりした。


ところで、ヨナスはキャンプ中いくつか動物のサンプルをとっていた。サソリ、小さなネズミなど。サソリを見せてもらったが、ブラックライトで蛍光するということを初めて知った。ヨナスは日没後ブラックライトで地面を照らしながらサソリを探していたがなかなか見つからず、ジャーネットに戻る少し前にたまたまロバートが夕食後に座っていた岩のすぐ近くにサソリがいて捕まえたという顛末だった。