ベン・シャーン「ここが家だ」

lithos2006-12-26

アメリカの画家ベン・シャーンの「ここが家だ」という絵本が出版された。絵本といっても、シャーンが残した絵にアーサー・ビナードという現代の作家が言葉を添えたものだ。1954年にアメリカのビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸と亡くなった無線長・久保山愛吉の物語で、第五福竜丸関連の連作「ラッキー・ドラゴン(福竜)シリーズ」に、絵本として仕立てるために、本来、第五福竜丸事件とは無関係な絵も二点加えている。元はこうした形でまとめられることを前提にした絵ではないが、絵本としての流れも良くできているし、言葉もシンプルで、力強く、シャーンの絵に合っていると感じた。
第五福竜丸事件は中学生時代に夢の島(今はこういう言い方はしないか?)にある展示館に見学に行った。いわゆる課外授業だ。それに先立って、学校で映画を見たのだが、これが今調べてみたら、監督・新藤兼人で、久保山愛吉の役は宇野重吉だったようだ。こうしたテーマに熱心な若い社会科の教師がいたので、おそらく彼の企画だったのだろう。
展示館で、もしビキニ型水爆と同じものが東京の中心に投下されたらどうなるかという解説パネルに、私の家のある国分寺あたりは「蒸発」と書いてあり、いい知れぬ恐怖をおぼえた。この船がなぜ夢の島に展示されることになったのか。検査が終わったあと、東京水産大学練習船に改造され、廃船となったあとは、埋め立て地に放棄されていたらしい。これが67年に再発見され、その後、都立の展示館がつくられたのだそうだ。67年は美濃部都政が始まった年だ。保守系の知事であったら、都立の施設というわけにはいかなかったかもしれない。
この課外授業を企画した社会科の教師はいわゆる団塊世代で、かなり熱心に学生運動をしたようだったが、誠実な人で、あまり教条主義的な印象はなかった。自分が担任したクラスでは、山陽地方を回る学年旅行の日程に広島の原爆記念館の見学を盛り込んでいた。卒業後に一度だけ会ったが、ある頃からこうした企画が「偏向」であると生徒や親から批判されるようになって、続けられなくなったとこぼしていた。確かに、生徒にとって楽しい企画ではないし、選挙で自民党議席を減らして良かった良かったというような発言もしていたので、嫌う向きもわからなくない。だが、教師が生徒の人生のためになると信じて、熱心に企画していることなのだから、いちいち親が細かく口を挟むこともないだろうと思う。それくらいの裁量を与えないと、教師の仕事など、カリキュラムをこなすだけになってしまう。私が中学1年だったときに新任だった彼もそろそろ定年だ。
ベン・シャーンの話に戻ると、私が積極的に美術に興味を持つきっかけになったのが、この画家の「赤い階段」という絵だった。壁だけが残った海辺の廃墟にかかる鉄製の真っ赤な階段を片足の無い人物が松葉杖をつきながら背を丸めて上って行く場面だ。階段は上って降りるだけで、どこにもつながっていない。先には海が見え、空は鈍色の雲が怪しく重く広がっている。不安感をかき立てるような、時間が一瞬凝固してしまったような、不思議な空気感のある絵だ。この絵を知ったのがやはり中学時代で、美術の教科書の片隅に、ごく小さく載っていたこの絵にひきつけられ、切り取って下敷きか何かに挟んでいたように思う。あまり中学生が下敷きに挟むようなものではないと思うが....。

ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸