小学生の夏休みと春休みを合計1週間ほど削って、授業にあてたらどうかという、教育再生なんとかの答申が出たらしい。勘弁してほしい。夏休みくらいのんびり、学校と違うことをする時間にさせてやれよと思う。今、娘が通っている小学校も、昨年から二学期制になり、夏休み中にも「必要な生徒のための」補習の日が設定された。これ以上休みを削って、しかも宿題やら「自由」研究やら、あれこれ出したら、「休み」という用語の使い方の問題にもなってくる。
そもそも、どうして、減らすか増やすかという話しか出てこないのか本当に不思議だ。いわゆるゆとり教育も、教える項目数を減らして、星座は一つか二つだけ教えればOK、とか、円周率は小数点以下はあまり詳しく憶えさせなくてもいいよとか、わけのわからない話だった。「教えること」=「記憶させること」という考えだから、「星座の名前を沢山憶えてもしかたないか、じゃ、一つか二つにしておく?」というようなことになり、円周率など憶えても意味がないかな、ということになる。おそらく、大学入試がふるい落とすための試験になって久しく、歴史や国語のどうでもいいような瑣末な記憶で合否がわかれるような形ができてしまったことが問題の大元なのだろう。正答率が低い設問はいい問題とはいえないはずだが、実際にはそうした問題で選別が行われていて、「こんなことまで受験勉強で憶えました」という子が結果を出すようになっている。最終学府の入試がそんな調子だから、そこに至る過程の学校教育が試験対策になっていき、「どこからどこまで憶えればいいのか」「必須事項は何か」ということばかりが問題になり、該当範囲をめぐって減らしたり増やしたりという話になるのだ。少しはどう教えるべきか、質を問う話をしてほしい。