地震-17

「あぶら残すは20年〜〜」というのは、30年前、敦賀原発の広報館に置いてあった「原電音頭」のイントロだ。今、この状況において、ブラックとしか言いようがないが、ラストは「あソレ、原子だ、原子だ〜」だった。

敦賀の1号機は日本最初の商業炉で、70年の万博に電気を送ったことが、「未来のエネルギー」の始まりだったのだが、60年代初頭、商業用の原発の建設に関しては専門家や電力会社内でも議論があり、十分に検討されていなかったところ、強力に建設への道筋をつけたのは一部の「政治力」で、中心にいたのが中曽根康弘だった。まだご存命なので、是非この事態を受けてどういう心持ちか伺ってみたい。

「あぶら残すは20年」というのは、当時の石油の確認埋蔵量を厳し目にみた数字で、その後30年とか、35年とかいう数字が継続することになる。確認埋蔵量は掘削技術の進歩や損益分岐などによって左右されるが、最近は何年という言い方はあまり聞かない。いずれにしても中国やインドなどの消費量が劇的に増えていることも考えると、遠からず枯渇するのは目にみえているんだろう。
だから、化石燃料に左右されない効率の良いエネルギーとして原発を、というのが当初も今も推進のお題目になっているが、実はウランの資源としての寿命は化石燃料よりもずっと短いとも言われている。原発に使われるウラン235は天然に存在するウランの0.7%ほどにすぎない。圧倒的に多いウラン238中性子を受けるとプルトニウムに変わる。今回これが漏れてしまったわけだ。

プルトニウムは核燃料に使うウランよりもずっと少量で臨界に達してしまうし、体内に入れば最悪の毒物になるという厄介な物質だ。日本でどんどん増え続けている。半減期は万年単位なので、永久的に厳しく管理しなくてはならない。ボロボロになってしまった3号機で使っていたモックス燃料はこのプルトニウムをなんとか利用すべくひねり出した苦肉の策だ。

六ヶ所村で使用済み燃料を再処理し、プルトニウムと燃え残りのウランを分け、プルトニウム高速増殖炉もんじゅで使用する、これを再び再処理し、取り出したプルトニウムを再びもんじゅで使用すれば、あら不思議、延々と再利用できる夢のサイクルが完成する、と言っていたのがやはり約30年前。その後、もんじゅは事故続きでとても使い物にならない。もんじゅは冷却剤としてナトリウムを使っているので、これが漏れ出て水と反応したら大惨事になる、と、稼働前に大いに批判されていたのだが、例によって「そんなことはありません。全然大丈夫です」と言いつつ、あっという間にナトリウム漏れ事故を起こして停止してしまった。その後再稼働を試みたが、大きな部品が炉心内に落っこちるという事故が起き、そのまま膠着している。ネジを止め忘れていたそうだ。今どうやってこれを取り出したらいいか検討中らしい。信じがたい体たらくだ。「夢の燃料サイクル」はもう幻想でしかないのだが、プルトニウムが大量にあるかぎり、「幻想であった」と認められないというのが現状だろう。しかも、今、民主党がせっせと海外に営業している原発の輸出が現実になれば、使用済み燃料を再処理するのは日本なので、プルトニウムはさらに増え続ける。

日本は資源の少ない国だから、原発がなければ安定した電力供給が得られない、という30余年にわたるキャンペーンによって、原発は、輝かしい未来のエネルギーから、「仕方ないね」という存在になって定着した。だが、本当に「仕方ない」のか、ほとんどまともに議論されていない。原子力行政は完全に官僚主導ですすめる仕組みが出来ていて、政治家が関与する場もほとんど無くなっている。河野太郎でも誰でもいいから、今すぐに代替エネルギーを真剣に検討する議連でも作ってほしい。でないと、官僚、電力会社、東芝・日立、重工業者という「腐のエネルギーサイクル」ともいうべき利権の回し合いシステムは変えられない。「原子の火」を万博に強引に持ち込んだのが中曽根大勲位だったように、今、少しでもましな政治家たちに働いてもらわないことには仕方ない。


ウランの資源としての寿命、プルトニウム利用の虚妄などについては、京都大学・原子炉実験所の小出裕章氏が以下にわかりやすく書いている。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/dentist.htm

小出氏のセミナーの映像も以下にある。
http://www.youtube.com/watch?v=a6sVZA1wMRU

この動画のコメントに「じゃあ、お前は電気使うな」というようなものがあるが、この言い方も日本特有の「電気はお上から黙って頂くもの」という思考停止を象徴するものだ。消費者であるはずの人が、なぜか突然スイッチが入って、「お上」の代弁者のようになるという、奇妙な公私混同の罠が日本人にずっとついてまわる。

つい先日報道されたように、日本は今主要国中でも自然エネルギーに最も消極的な国になっていて、中国やアメリカが風力だけで4000万kw(日本の原発の総出力数に迫る数字だ)の発電をまかなっているところ、日本はたった200万kwにすぎない。国土の広さという違いもあるだろうが、全く代替エネルギー開発に真剣に取り組もうという態度がなく、技術的にもかなり立ち後れている。
原子炉の寿命は当初30年とされてきた。これをだましだまし40年使ってきたわけだが、今後、続々と廃炉になる原発があり、巨大な放射性廃棄物となる廃炉の処理にはおそらく全部で兆単位のコストがかかる。さらに高濃度の廃棄物の処理方法は未だに決まっていない。素晴らしく効率の良いエネルギー源として始まった原子力発電は今後とんでもない金食い虫になる可能性が高い。テレビでは「専門家」たちが、「この事故で原子力の可能性を貶めることのないように、注意深く再検討しよう」というような言い方をしている中、軌道修正は今すぐに始めなければ、今後再び長く機会を失いかねない。