オーストラリア岩絵撮影行・8日目(アーネムランド)

今日も朝から一日岩絵を見て歩く。宿泊したキャビンは網戸しかないので、明け方はかなり寒かった。ヒートテックを持っていって正解だ。
一般の客は釣りとか、クルーズとか、いろいろメニューがあるのだが、私はひたすら岩絵を見せてほしいと頼んである。

最初に訪れた大きなシェルターは複雑に入り組んでいて、まるで迷宮のようだった。どれだけ長く居住用に使われたのかわからないが、巣穴といった趣だ。


最後に出た場所がやはり虹ヘビと並んでこのエリアでは有名な壁面いっぱいに手形が押された場所だ。一番上の層にある絵はかなり新しいものだろう。ごく部分的にだが入植者が持ち込んだ青い漂白剤を使っている、初めて青い絵が登場したわけだ。


バッファローを狩っていたブッシュマンたちが使っていたとおぼしきライフルや短銃もかいてある。頭が大きく広がったようなおかしな人物像は中国人かもしれないと言われているようだ。手形は単なるステンシルではなく、綺麗に整えられていて、中に模様がかかれている。これはグローブのデザインを模したものかもしれないらしい。壮観だ。


天井にはカニやウニのような丸いものも描かれている。

近くの小さなシェルターに卵を産んでいるエミューの絵があった。体に綺麗に模様が描かれている、現在のアートと直結するタッチだ。面白いのは、エミューの口から小さなアワのようなものがいくつかでていて(右端の部分)、もしかすると何かしゃぺって(鳴いて)いるということを表しているのではないかと。エイも描かれている。ここは海からそれほど遠くない。



午後はボラデール山にボートで向かう。このエリアの岩絵が語られるとき、「ボラデール山の」と表現されることが多いので、てっきり山の中のシェルターが多いのかと思ったが、そうではなかった。この山は聖地であった可能性が高いので、入山しないことにしたという。登ったことがあるのはデイヴィッドソンや人類学者など、ごく数人だけだ。ボラデールというのは、かつてこのエリアに入った探検家の名だ。行方不明になり、後に彼の腕時計をアボリジニがしていたことで、殺されたのではないかと言われている。

山のふもとのシェルターをいくつか見て歩く。コンタクト期のものが多い。蒸気船が丁寧に描かれている。できるだけリアルに描こうとした形跡がある。アルファベットを真似して書いたもの、手形の横に数字も入っていたりする。文字は珍しかったに違いないし、何か特別な力があると考えられていたかもしれない。


88♢という字がある。「エイトエイトダイヤモンド」と読む。ルイスいわく、こういう名の有名な牛泥棒がいたらしい。白人で、投獄されたり脱獄したりしていてこの付近にもいた可能性はあるというが、自分で書いたものなのか、アボリジニが書いたものなのかはわからない。

このエリアは女性像が多い。特に背中合わせでペアで描かれているものがあり、これはドリームタイムの登場人物である姉妹ではないかとも言われている。

ひとつのシェルターの前に見慣れない様式の手形があった。岩の上に一抱えほどの白い岩が意味あり気に置いてあり、そこに手形が押してある。
「これは、チャーリーの手形なんだ。そして、その奥の壁のもね。15年くらい前にここでドキュメンタリー番組が撮られて、チャーリーも来たんだけど、番組側がチャーリーが壁に手形をつけるところを是非撮りたいと言い出した。彼は自分はやったこともないし、気がすすまないと言ったけれど、是非というので、その壁のやつを押したんだね。でも、カメラが回る前につけちゃった。番組側はもう一度やり直してと言う。マックス(・デイヴィッドソン)がチャーリー、もうやらなくていいよと言ったけれど、チャーリーは壁につけるんじゃなくてこれでもいいだろ、と、白い岩に押して、それをここに置いたわけ」と。

無神経な連中だなと思ったが、チャーリーはここで生まれて暮らしたことのある最後の人で、彼が手形を押したことで、岩絵の歴史に明確な終止符が打たれたといえるかもしれない。
チャーリーの手形は水気が少なかったとみえて、形があまり綺麗に出ていない。多くの手形は押した後で綺麗に形を整えられているものだ。このエリアものは、単純なステンシル、いちど赤い地色を塗ってその上から白いステンシルをつけて、手形が赤くなるようにしたもの、それと、赤い手形を押して形を整えたものの三種あるように見える。
すぐ近くの別のシェルターには水気が多すぎて輪郭がぼけ、染料が下に垂れてしまっている手形があった。あまり美しくない。おそらく最晩期の手形だろう、とルイス。手形ひとつとっても、それなりに技術的な継承が必要なのだ。この手形の横には家の絵が描いてあった。家、それはアボリジニにとって最も縁の無いものであったかもしれない。狩りをしながら移動する生活を止めることを意味し、ミッションなどで服を着て洋式の生活をすることを意味した。だが、オエンペリなどでは今でも政府が支給する、ベッドルームのある洋式の戸建てが彼らにとっては使いにくく、外に寝ている人も少なくないのだそうだ。この家の絵もアボリジニの伝統的な生活様式の終焉を象徴しているように思えた。

ボラデール山は上部が大きな岩盤が二つに折れて左右に落ちているような、逆V字型のようになっている。まるで、山頂部分にアーチ状の入り口があるようにも見え、印象的だ。この形に数日前ローラで見たクゥインカン・ギャラリー奥のスペースに入る逆V字型の入り口を思い出した。ボラデール山はこの地域で一番高い山というわけではない。すぐ隣の山の方が高いのだが、この印象的な形が、何か特別な意味合いをもっていたのかもしれないと漠然と思った。中腹には大きな洞窟がある。ルイスはあの洞窟はきっと反対側まで抜けているところがある、というが、確かではないらしい。今後も人を入れる予定はないという。
船で離れていく際、山の上の壁面に絵があるのがぼんやりと見えた。望遠で撮影してみたが、判然としない。が、少し古いタイプの絵に見える。山頂部の逆V字型の奥にも何かあるのだろうか。

これで二日にわたるボラデール山周辺の岩絵撮影はあっという間に終わり。内容の濃い二日間だった。