ブラジル・ピアウィ州、カピバラ渓谷探訪記3

朝6時半に朝食。ビュッフェだが、マニオック(キャッサバ)から抽出したでんぷんを薄くのばして表面を焼いたもの──丸くないタピオカというか──が、パンといっしょに出ているのが特徴。味はなく、自分でつけるようになっている。こちらの食事にはマニオックを切って蒸かしたものや、でんぷんを固めたものが添えられることが多い。消費もインドネシアに次いで多いという。

7時過ぎに出発。ブラジルの人はもっとのんびりしているに違いないと思っていたが、全く印象が違う。実に仕事熱心だし、7時といったら、7時前に集まるのだ(!)。
「ブラジルは資源も豊富だし、皆勤勉なんだ。政治が悪すぎる」とエルビオ。五輪直前に罷免された前大統領に代わって新たに就任した大統領がもう汚職疑惑で訴追されようとしている。

この日は先ず、昨日夕方と夜に訪れたToca do Boqueirao da Pedra Furadaに再び。重要なサイトなので、もう一度自然光で撮っておきたかった。岩絵の下は大きく深く発掘されているが、未発掘のエリアが残されていた。後に検証のため再発掘できるようにだ。実際、当初発掘物の年代測定をめぐって北米の考古学会から総すかんをくらった。現在、残された部分を再発掘している。
ゲートのすぐ内側に野ブタの群れが来ていた。小ぶりな豚で、中南米に分布するペッカリーという種らしい。






前日はDesfiladeiro da Capivara TrailとBoqueirao da Pedra Furada Trailの二つのエリアに入ったが、この日はSitio do Meio Trailに入る。低い岩山を越える道だ。
先ず、Boqueirao do Pedro Rodriguesに。
このサイトは比較的小さなサイトで絵もあまり多くはないが、層の変わり目の細長い平面に行列して踊るような人びとの姿が描かれているのが面白い。これは踊りの振り付けの説明なんじゃないかという人もいるよ、とペドロ。

指の数が多い人物像。

ここから小高い岩山を越えて行く。高校生くらいのグループに遭遇した。こちらに来て、公園内で花を見ることがほとんどなかったが、濃いピンク色の花が満開の木が見えた。


岩山を降り、大きな岩絵サイトToca do Sitio do Meioに。大きな岩塊が転がり落ちているダイナミックな形のシェルターだ。フランス・ブラジルの考古学チームが発掘作業を行っていた。このサイトは1973年に発見された。1978年の調査では、絵に使われたオーカー片などが大量に発掘され、12200年、13900年前という年代測定値が出ている。その後も発掘調査は続けられ、石器など様々なものが発見されたが、8960年前の土器片、9200年前の磨製石器片と、それぞれ南北アメリカ大陸最古のものが出土している。遺跡の奥には近代にマニオックの粉を焼いた円形の土釜が残っている。つまり、この場所は約20000~12000年前の更新世の時代から完新世の時代を経て、近代に至るまで人間の活動の痕跡が残っているという非常に重要な場所なのだ。
岩絵からは細かな人物が様々なことをしている様子が見てとれるが、解釈は難しい。特に、今回太陽光が上から壁面を舐めるようにして当たっている所が多かったため、判然としなかったが、一人の人物が槍のようなものをもう一人に突き立てているような場面も見える。これは帰国後に写真を細かく見て気づいたのだが、かつてBBCの「最初のアメリカ人」という番組で紹介されていた、異民族間(オーストラリア・アボリジニに近いDNAを持つ先住民と新たに北米から南下してきたモンゴロイド)の闘いを示すものではないかという説明をされていた絵だ。気づいていたら、光を遮るなどして撮影を工夫したのだが、残念だ。










この後、一度公園から出て、再び別の入り口から入り直す。Baixao do Perna Trailと呼ばれるエリアに入り、Toca do Baixão do Perna IVに。ここにはグループ・セックスの場面らしきものが描かれている。




さらにToca do Baixao do Perna IIに。とても細かい人物像がたくさん描かれているが、よく見ると普通の人間ではないような、奇怪な像もある。人の肩の上にもう一人が乗っているような絵もあり、これが何段にもおよぶものもあちこちに見られるが、どういう状態を絵にしたものかよくわからない。ムカデのように列になっている様子を上から見た形を表しているのかもしれない。手先が蜘蛛のように伸びている人物像、カエルのような姿の人間など、細かく見ていくと非常に面白い。













次にToca do Baixao do Perna Iに。壁面が襞状に風化している印象的なシェルターだ。ここにも蜘蛛人間がいる。
発掘調査では10000年前から3000年前までの数千年間、この場所が人に使われてきた痕跡が見つかっている。





陽が傾いてから、最後にBaixao das Andorinhasに向かう。夕暮れ時、侵食で上面がドーム状になって連なる奇岩の谷底にツバメの群れがダイブするように入っていくというので、カピバラ渓谷の名所の一つになっている。岩絵が少しあるシェルターもある。ここの岩絵は幾何学的な意匠の抽象化された人物像などを特徴とするもので、8000年前くらいからのものだ。それ以前のものと大きく特徴が異なり、この二つの絵の書き手が異なる文化的背景をもつ集団なのかなど、わかっていない。



大勢でツバメを待ったが、この日は来なかった。どこか他にもねぐらがあるのだろう。