アルゼンチン岩絵撮影行その3

朝4時台に目が覚め、その後なかなか眠れなかったため、暗闇の中で延々と時間をもてあますことになった。電気がないので本も読めない。東京と時差は12時間。真裏だ。
夜は9時過ぎまで明るいのに、日の出は7時くらいというのが、ちょっとバランスがおかしい。そもそもアルゼンチン全体がブラジルの最東部と同じ時間帯にあるというのは無理がある。ここはエリアの西の端なので、ブラジル東部とは正味1時間以上のズレがあるんではないだろうか。日の出が6時、日没が7時半くらいと考えれば納得がいく。
明るくなって、宿の外に出てみると昼間見なかった馬が数頭いる。牧場の馬ではなく、野生化したもののようだ。

今日は旅の最大の目的であるCueva de las Manos=手のひらの洞窟に行く日だ。ここまで遠かった。
朝10時半に他のツアー客と一緒に宿を出る。宿にはスイス人の夫婦がいたが、今日は皆、アルゼンチン人のようだ。今日のガイドであるトニーからクラウディオの手紙を受け取った。「今日は他の客との一般的なツアーに参加してもらうけど、壁画の場所ではトニーと一緒に別行動してもらうように計らってもらうので、一般客よりも長く撮影の時間がとれるはず。心配なく」とのこと。よくわからないが、成り行きにまかせるしかない。

まず、宿の近くの「色の谷」に寄る。パステル調のピンク味を帯びた赤、硫黄を含む明るい黄色の土が露出している場所だ。壁画に黄土、赤土は欠かせないが、黄色がとても明るく彩度が高いことに驚く。明るい赤と混ぜればオレンジ色になる。これらの色のついた土を獣脂などと混ぜ合わせて壁画の顔料にしたのだ。この地層は昨日訪れた「化石の森」の遠くに見えた色づいた山と同じ時代のものだ。


さらに40号線を南下する。まっすぐ南下してパタゴニア最大の観光地エル・カラファテまで続いている道だ。しばらくしてCueva de las Manosへの枝道に入る。砂利道が延々と続く。これは地図で見た距離の印象よりもはるかに時間がかかる。ペリート・モレーノの町から距離でいうとそれほど遠くないのに、ツアーが丸一日かかるというのも納得がいった。

途中、谷の手前で車を停めて、ここから谷= Rio Pinturas (絵の川)に降りて歩く。Cueva de las Manosはこの Rio Pinturasとセットでユネスコ世界遺産に認定されている。トニーが「ヒディ、歩く?」というので、ここに来て歩かないという選択肢があるのか?と思ったが、ツアー客の大半は歩かずにそのまま壁画サイトに車で向かうらしい。
トニーはあまり英語は上手くないので、言葉が少なくどういう行程なのかよくわからないのだが、ともかく行ってみよう。

谷に降りるとわずかに水があり、野菊やアザミが咲いていて、平地とはかなり趣が異なる。雪解け水が流れてくる春先にはもっと水量が多いはずだ。刺のある植物が多い。カラファテという青い実のなる低木が生えているが、実は濃厚な甘さがあっておいしい。ブルーベリーくらいの大きさで、干しぶどうのような味だ。「カラファテの実を味わった者は皆、もっと食べたくなって引き返す」と言うらしい。種が多いのが難点だが。リンゴなどの木も生えているが、これはヨーロッパ人が持ち込んだものらしい。荘園などに植えていたものが、種が運ばれて川沿いで育っていったものだ。




野生化した馬が数頭で歩いている。からからに乾いた平原と比べ、潤いのある景色だ。谷の両側は切り立った火山岩の岩壁が迫っている。この地形は1億5千年前、ジュラ紀の火山噴火によるものだ。岩絵のある場所も高い岩壁の中腹に開いた洞窟だ。谷底から88メートルの高さにある。


谷底から壁画の入り口まで急坂を一気に登ると、すぐに壁画見学ツアーの開始。ハイシーズンなのでグループごとに1時間ほどのガイドツアーが割り当てられている。なんとか多く時間をとってほしい。トニーが職員に話をした後、きまり悪そうに言うには、やはり単独で動くのはちょっと難しいので、なんとか急いで写真を....。とのこと。それだけはなんとかしてとずっと頼んでいたし、クラウディオも何とかなると言っていたのに、困った。が、ともかく行くしかない。

切り立った岸壁沿いに作られた細い歩道を進み、いくつかの岩絵スポットをめぐる。絵のあるエリアの全長は600メートルほどだ。
ルートの最初にある、最も大きな洞窟は深さ24メートル、高さ10メートル、幅15メートルだ。ここの手形は美しい。洞窟の入り口右手の、岩塊が崩落した跡のような窪みいっぱいにステンシルの手形がついている。色がとても9000年も前のものとは思えないほど鮮やかだ。また、重なり具合がなんともバランスよく、手のひらが踊っているような不思議な躍動感がある。洞窟の壁一面に手形が押してあるというと、生々しいというか、どこかホラー映画のようなイメージを抱く人が多いようで、今回も行く前に話すと、たいていの人は「怖いですね」という反応だったが、そんな印象は全くない。ここの手形はどこか優雅なのだ。





手のひらのモチーフ以外はほぼグアナコの絵だ。群れで走っている。投石で倒す場面がある。この時代は弓は使っていなかったのだろうか。ブラジルのカピバラ渓谷の岩絵にはさまざまな種類の鹿や巨大アルマジロが狩猟の対象として描かれていたが、絵を見るかぎり、狩りの対象はほぼグアナコに限られていたようだ。パタゴニアにも生息していた巨大アルマジロナマケモノはもう絶滅した後なのだ。
この洞窟が利用されていたのは、ユネスコのサイトには年代は9300年前頃から1300年前頃とある。ヨーロッパ人が到来したときにパタゴニアに住んでいたテウェルチェ族、さらにはセルクナム族の祖先だろうと考えられているが、はっきりしたことはわからないようだ。岩絵の大部分は最も古い時代のものであるように考えられている。渦巻き模様とジグザグ模様などもあるが、これは比較的新しい部類に入るらしい。そうしたシンボルは少ない。ほぼ、手のひらとグアナコとそれを狩る人間の絵だ。






壁画を初めて写真撮影し、紹介したのはサレジオ会の伝道師ディアゴスティーニだそうだ。この名前は昨年編集した『ハイン 地の果ての祭典』で何度も目にしてきた。1920年代のことだ。彼は登山家であり、探検家だった。その後ずいぶんと時間が経って、1970年代に初めて本格的な考古学的な調査が行われたという。

見ごたえがあった。が、グループツアーは10人以上でまとまって動くし、さっさと進んでしまうので、写真を撮る時間はとても短い。少し遅れて写真を撮っていると説明を聞く余裕もなく、ガイドの女性が「ちょっと聞く気ないの?あんた」という顔をしていて辛い。また、岩絵の場所は高いフェンスに囲まれていて、下の方はフェンス越しにしか見えないというおかしな設備になっている。昔は一日に来る人がいるかいないか、という程度だったので、見学者をフェンスの中に入れていたらしいのだが、世界遺産になって来訪者が急増したので中に入れられなくなった。ハイシーズンには日に300人ほどの見学者がいる。ガイド付きでないと入れないように厳重に管理しているのだから、もうこんなに高いフェンスは必要ないはずなのだが、要するにフェンスを作り直す予算がないのだろう。
仕方ないので、グループの最後に遅れてついていって、最後は帰り道で人がいなくなったところで撮影しようと思ったが、トニーがなにかと「ヒデ、もう戻らないと」とせっつく。
どうも皆でランチ(といってももう4時半なのだが)をとるので、ということらしいが、私の分は置いておいてくれればよかったのだが。

結局、大慌てで写真を撮ることになり、普通のグループツアーと全く同じ条件になってしまった。これでは何のために事前に何度も連絡をとってきたかわからない。
撮った写真を見返すと、手のひらをアップで撮影したものが全く無いことに気付いた。これは痛い。
落胆しているとクラウディオが迎えに来た。「後は何か希望は?」というので、壁画の撮影が全然時間なかった。なんとかもう一度入りたいと言うと、「うーん、難しいかも」と。グループツアーに参加する中、私はトニーと別行動にして、昼食なども他の人たちは先に済ませてもらうようにということが、肝心のトニーにきちんと伝わっていなかったようだ。
「10分、10分でいいから。最初の洞窟だけでいいから」と、食い下がると、「頼んでみよう。うちのオフィスはいつもスタッフにたくさん差し入れしているし、今日もいろいろ持って来た。あれこれ世話しているからダメとは言わんだろう」と。
クラウディオが女性スタッフに「あのさ、この人をもう少しだけ連れて入りたいんだよ」と言うと、「私にはいいと言えないからボスに話してくれない?」と。結局、責任者と建物の裏でちょっと長めに話をした後で、「大丈夫、行けるよ」と。良かった。大慌てで撮影しなくてはならなかったので、後で見直して、最初の洞窟の手のひらのアップを撮っていなかったことに気づいたのだ。本当は全行程歩き直しておきたかったが、さすがにそこまでは頼めなかった。が、なんとかこれならいいだろう、というところはクリアできた。
最後にクラウディオが来てくれて本当に助かった。でないと、はるばる地球の裏側から来て、わずか1時間強ほどしか滞在できなかったことになる。できれば3時間くらいはいたいところだ。



撮影が終わるとほぼ同時に強い風が吹いてきた。パタゴニアの最大の特徴は強い風なんだとクラウディオが言っていたが、なるほどちょっとよろけそうになるほどだ。事務所の外で再び責任者とクラウディオが話している。雰囲気的には「あんただから認めたけれど、今回は特別だ。まあ、いつもいろいろ世話になっているからな」という感じのことを言っている雰囲気。クラウディオは借りをつくる形になったかもしれない。丘の上から谷を見下ろして、宿に戻って、シャワーを浴び、ビールを飲んでぐったり。時差ボケがきつい。
風がどんどん強くなる。一晩中、台風が直撃したときのような凄まじい風だったが、夜明けと共にピタリと止んだ。