アルゼンチン岩絵撮影行その2

朝8時20分の飛行機で2時間強かけて大西洋岸の地方都市コモドーロ・リバダビアに。チュブ州の最南の都市だ。
空港にクラウディオが迎えにきていた。ペリート・モレーノという小さな町にあるツアー会社のオーナーで、彼とメールやFacebookでやりとりしてきた。
「君のことは全部分かってるから」と、少し意味深な表情。無理な注文をあれこれして、返事の催促もずいぶんとしてきたから、ちょっと面倒な客だなと思っているに違いない。

そもそもアルゼンチン行きを決めるのが遅すぎた。航空券も1月に入ってからとったので、国内便の安いチケットなども終わっていた。
さらに、行く場所がなかなか決まらなかった。最初はパタゴニア観光のメッカであるエル・カラファテの氷河なども見たいと思い、Cueva de las Manosからずっと南に下って、そこから帰路につく、あるいはその逆で考えていた。Cueva de las Manosとエル・カラファテは500キロほどの距離だ。6-7時間もあれば着くだろうと思っていた。場合によっては自分で運転してもいいかなと。だが、よくよく調べると、一部未舗装の場所などもあり、夜行バスで12時間かかることが判明。それに、肝心のCueva de las Manos周辺の岩絵サイトを見て回るのに何日必要かなかなかわからなかった。Cueva de las Manosはアクセスも容易なので、自分でレンタカーなどで行くこともできるが、周辺にあるマイナーな岩絵のサイトは場所を記したものが何もない。案内してもらうしかないのだ。それに、Cueva de las Manosはハイ・シーズンはグループツアーだけなので、なんとか少し長く時間をとる方法がないか考えていた。最初に相談していたツアー会社は、はじめはOK、OK、希望通りにできるといい返事だったのだが、連絡が途切れがちになり、話もどんどんおかしくなっていった。そこで、見切りをつけて、かなりぎりぎりになってクラウディオの会社に乗り換えたのだ。
彼が組んだスケジュールでは、とてもエル・カラファテなどに回る余裕はない。「他のツアー会社から提案されたプランでは、もう少し効率のいい日程だったけど」と連絡すると、「そんなわけにいかないんだ」と。結局、彼を信用することにして、今回はCueva de las Manos周辺に限ることにした。はるばるパタゴニアに行って、氷河を見ないで帰る観光客は少ないだろう。自分でもどうなのかと思う。

コモドーロ・リバダビアからさらに6-7時間ほど車に乗り、チュブ州最南部を西に向かう。
コモドーロ・リバダビア周辺は油田地帯だ。ごく小さな採掘機がたくさん動いている。面白いことに山の中腹にも採掘場がある。完全に石油で成り立っている町なのだ。
出発前に町で果物やパンを買った。昼食だ。「何でも食べたいものを買って」とクラウディオ。彼は細身の、声も小さな、穏やかな男だ。40歳くらいだろうか。
「僕は都会はあまり好きじゃないんだ」と小さな声で言う。コモドーロ・リバダビアは都会というほど大きくもないし、人も多くはないんだが。
果物は日本でも見慣れたものばかりだった。プラム、ソルダム、ネクタリン、リンゴ、バナナ。


途中、サルミエントという町のすぐ南にある「化石の森」に寄る。珪化木が点在している場所だ。深く浸食された地形がなかなか面白い。露になった山肌は、堆積層に含まれるミネラルの違いによって、カラフルな縞模様を見せている。谷底(立ち入れないが)は白っぽい土が積もった柔らかい起伏のある地形で、「月の谷」とよばれている。
南米には「月の谷」がたくさんある。ボリビア、チリのアタカマ砂漠、アルゼンチンではイシワラスト国立公園の丸いコンクリーションがある場所が「月の谷」と呼ばれているが、ここは知らなかった。太古の川を流れて来て堆積した丸石がごろごろしている。火山岩や堆積岩やいろんなタイプの石があり、みな表面が滑らかに磨かれている。真っ黒い玄武岩が美しい。糸魚川の薬石風の「風景石」もある。




珪化木は約1億2千年前のものだという。パタゴニアの「化石の森」というと、コモドーロ・リバダビアの南、大西洋に近い場所にもっと大規模なものがある。そこの珪化木は12億年前のものらしい。
化石の森があるサルミエントという町の近くには瑪瑙が取れる場所があるらしい。出発前、パタゴニアのメノウを市場に初めて持ち込んだリカルド・バーニーが、ずっと前にパタゴニアのメノウの産地にマーキングした地図を送ってくれたのを思い出した。開いてみると、今回行くルートの近くにいくつかマークしてあるが、サルミエントにも印がついている。出発前に彼に尋ねたが、今は地主が立ち入りを許可していないから採取はできないのだそうだ。羊を盗んだやつがいて、それがメノウを取りに来た者の仕業だと思っているのだと。それに、入れたとしても大した瑪瑙はないという話だった。彼の瑪瑙の産地についての情報は嘘がたくさん含まれているので本当かどうかわからないが。
「近くにメノウが採れる場所があるって、聞いたことある? 地図で見ると今回のルートの近くにいくつかそれらしいものがあるんだけど」とクラウディオに言うと、知らないな、と。そしてしばらくして、「地図で近くに見えても、実際はそうでもなからね。パタゴニアは広いんだよ。今回のスケジュールに寄り道する余裕は一切無いから。」と。はい、おっしゃる通りです。

さらに数時間かけてペリート・モレーノの町に着く。Cueva de las Manosのツアーはここを起点にする場合が多い。ペリート・モレーノという地名は、もっと南のペリート・モレーノ氷河と混同されることが多く、紛らわしいのだが、ごくごく小さな町だ。が、町外れに金と銀の鉱山があり、この鉱山の敷地の中には数千人の労働者がいて、通信などのインフラも町よりもずっと近代的なものがあるらしい。

さらに1時間ほど車に乗って、Cueva de las Manosの北にある宿エスタンシア・クエバ・デ・ラス・マニョスに。広大な牧場の中に一軒だけぽつんと建っている宿だ。昔は地主が経営していたようだが、十数年前にクラウディオの会社が借りて運営するようになり、現在は国立公園の一部になったため、国に賃貸料を払っているようだ。
周囲数十キロ四方、民家は無い。インターネットもテレビも無い。さらには夜10時頃から朝10時頃まで電気が消える。充電が必要なものばかり持ち歩いている者にとってはちょっと困ったことになるし、眠れないと暗闇の中で何もすることがない。町に泊まるより趣があるだろう、夜は星がきれいなのではと思ったのだが、疲れてそれどころではなかった。