国分寺市・エックス山

『こころのふるさと エックス山の植物たち』という冊子があることを知った。市販はされていない、NPOに寄付をした人に配布しているらしい。

私は東京都国分寺市日吉町育ちだ。通った小学校の校歌の歌い出しが「緑の森に囲まれて」なのだが、60年代から70年代初頭は周囲は文字通り雑木林と野原と畑ばかりだった。雑木林は何故かそれぞれ「山」と呼ばれていて、「寺山」「牛山」「化け山」などという名が付けられていた。一番大きく、深い森が「エックス山」で、これは他の雑木林と違って針葉樹の多い森だった。深く暗い森だったので、低学年のころは一人で入るのは気が引けるような怖さがあった。当時、ちょっと不気味な、謎めいたものには「エックス」の名がつけられがちだったのだ。
これらの「山」の中で、子どもたちはクワガタやカブトムシをとり、木に登って桑や栗の実をとり、銀玉鉄砲やクラッカーで遊んだ。地域には50年代後半から60年代初頭生まれくらいの子どもが大勢いたが、雑木林は大人が入ってこない子どもたちの解放区、学校や家とは別のもうひとつの国のようなものだった
私が小学校に上がった時分は、地域の子が集団で遊ぶことも多かった。上級生は小さな子の面倒をみながら遊んだが、私が低学年生だったころ、上級生のKちゃんに「俺に許可なく化け山でカブトムシを捕るなよ」と言われていた。「化け山」は「エックス山」に隣接する小さな雑木林だったが、クヌギが多く、クワガタやカブトムシが多く育つ環境だった。私より二つ三つ年上だったKちゃんは乱暴なところがあり、何かと年下に威張る子だった。私は買ってもらったばかりのメンコをごっそり取り上げられたのを憶えている。悔しくて家に帰って泣いた。あまり好きではなかった。
ある日、私は通りかかった化け山に一人で入り、大きなノコギリクワガタを捕まえた。それまで見たことがないくらい大きく立派なクワガタだった。すぐに噂はKちゃんの耳に入り、「化け山に一人で行ったんじゃないだろうな」と、何度か詰問されたが、しらを切りとおした。ばれるんじゃないかとドキドキした。
ある日、高学年になったKちゃんが「俺はもういらないから」と、ブリキ缶いっぱいのビー玉をくれた。彼にとって、それは子どもの世界への別れのしるし、置きみやげのようなものだったにちがいない。意地悪ではあったが、考えてみれば、彼にはいろんなことを教わったのだ。石蹴りやメンコやビー玉だけでなく、竹藪から竹を切り出してきて弓矢を作ったり、落とし穴をつくったり、自転車に乗る練習をした時も、後ろで支えてくれたような気がする。新兵をいびりながら一応面倒をみる一等兵、といった感じだったろうか。

小学校の校歌はあいかわらず「緑の森に囲まれて」なのだろうが、今、周囲に残っているのはエックス山くらいだ。規模も四分の一くらいになって、かつての雰囲気はほとんど無い。冒頭に書いた冊子は、今でも珍しい植物が残っているというエックス山の保護を呼びかけるNPOが作ったもののようだ。表題を読むかぎり、私と似たような少年時代を体験した人たちが中心になっているのだろう。確かに、私にとっても「こころのふるさと」に違いない。
現在私が住んでいる東村山にも、武蔵野らしい雑木林が少し残っている。林を歩くと、体内に眠っていた何かが目を覚ますような、独特な感覚を覚える。