『人類はなぜUFOと遭遇するのか』

オンラインで表題の文庫本を買った。届いた本をざっと見たところ、UFO史ともいうべきもので、想像していたものとはちょっと違った。私が興味があるのは「なぜ」のところだったのだが、これは出版社が付けた上手い邦題だったようだ。
子どもの頃は完全に「水曜スペシャル」的少年だったので、UFOの話は大好きだったが、10代半ばにもなればそれなりに客観性というか、分別のようなものが身に付く。なので、空に向かって手を広げたりするような大人にはならなかったのだが、UFO映像という分野には未だに興味がある。明らかにねつ造されたものも含めて興味がある。特に初期の写真の、粒子の粗いUFO写真は面白い。一般家庭がフィルムカメラを持つようになった時代に生まれた、素人が写した曖昧な写真の中に写った影や光をめぐって大勢であれこれ考える「写真の中のリアリティー」をひどく気にする文化に興味がある。東欧諸国が量産した政治的写真も含め、初期のUFO写真や宇宙人・イエティー・妖精・心霊写真などはかつて絵画が持ち得た力以上の影響力を持っていたと思うが、このジャンルはデジタル技術の普及によって一気に変質しつつある。
そういえば「欲望」という映画が好きだったが、この映画もまた、「現実感」を巡って、偶然写真に写っていた影が大きな役割をもっていた。
昔読んだ赤瀬川原平の漫画に、円盤に乗っている宇宙人が、自分たちが写した「目撃者」の写真を巡って、「この人は本当に我々を目撃しているのか?」「この人間は一見、こちらを見ているように見えるが、微妙に視線がずれている。これは真の『目撃写真』とは言えないのでは?」などとあれこれ判定する話があった。写真の向こうに「もう一つのリアリティーがあるかもしれない」という感覚をもう一度ひっくり返したような、ばかばかしくも可笑しい話だった。