ティム・ハーディンを初めて聴く

Tim Hardinという既に亡くなって久しいアメリカのシンガーの「Painted Head」なるアルバムを昨年末に聞いてなかなか良かったので、続けて「Bird on the Wire」「Suite for Susan Moore and Damion」と二枚ほど聞いてみる。主に60年代後半から70年代前半に活動したフォーク・シンガーで、マイナーながらも熱心なファンが多いようだが、アメリカのフォークをほとんど聴かなかったために知る機会がなかった。
フォークといっても、私が聴いた3枚のうち最初の2枚はむしろジャズやブルース寄りで、これだけ聴くとフォークシンガーという分類には入れにくい感じがある。エリック・クラプトンも歌っているブルースの名曲Nobody Knows You When You're Down and Outなどもカバーしているのだが、これが真に迫るというかどこか骨身に浸みてるような歌いっぷりで、驚きつつ、このアルバムに先立つ二枚を買ってみたのだった。

PAINTED HEAD
Nobody Knows You When You're Down and Outは72年のアルバム「Painted Head」の最後に入っているのだが、このアルバムを出したときの本人の状況はというと、ドラッグ依存が原因で最愛の妻子に出て行かれ、さらに舞台恐怖症でまともに音楽活動ができなくなっていたらしい。これは失意のなかアメリカを離れてイギリスで出したカバー曲集なのだった。真に迫っているのも当たり前だったわけだ。当時イギリスにファンが多かったのだという。初めて知ったが、ロッド・スチュアートがソロの3枚目「Every Pictures Tells a Story」の最後で切々と歌う「Reason to Believe」も、このティム・ハーディンの曲だった。ナイス、エルヴィス・コステロなども彼の曲をカバーしたらしい。彼はIPainted Head」の後に9枚目を出し、故郷に戻った後、ドラッグのオーバードーズで80年に亡くなっている。
バード・オン・ア・ワイヤー(紙ジャケット仕様)
「電線にとまった一羽の鳥のように 真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように 僕は僕なりに自由になろうとしたんだ」と、アルバム「Bird on the Wire」はレナード・コーエンの同名の有名な曲から始まる。バックはウェザー・リポートのジョー・ザヴイヌルなどのジャズプレイヤーたちで、これはもうフォーク・シンガーのアルバムとはいえない印象だ。全体にブルース一色、寂しい歌でいっぱいだが、詞も歌声も味わい深く、どこか決意(いや、諦念か?)を経た晴れ晴れした感じもある。アレンジもシンプルでクリアな美しさがある。これは名盤だ。
アルバムの最後の曲で、最愛の奥さんが出て行っちゃったことが明かされる。でも、「僕には息子のダミオンがいるから」と歌い、内ジャケットは全面そのダミオン君が野原で花を持っている明るく無邪気な写真なのだった。対照的に裏ジャケットは暗い部屋の窓辺に抜け殻のように座る虚ろな表情のハーディンの横に大きな鳥が羽ばたいている写真で、ハトなのかもしれないが、どこか絶望にくれる男の元に一羽の大鴉が舞い込んできて「二度とない」と言い続けるポーの詩を連想させるのだった。
スイート・フォー・スーザン・ムーア・アンド・ダミオン:ウィー・アー・ワン、ワン、オール・イン・ワン
その一つ前の「Suite for Susan Moore and Damion」は、なんだかきついアルバムだった。大名盤と言われているようなのだが。奥さんのスーザンと息子のダミオン君に捧げた壮大な聖歌のような世界だが、なぜか奥さんに出て行かれた後のアルバムよりもずっと心細く、どこか既に夢破れている感じがするのだった。生身の人について歌っているというよりも、奥さんと息子との関係を精神的に純化しようともがいているような感じで、なんとなく私には聴いていて閉塞感がある世界なのだ。あんた、なにもそんなにつきつめて歌わんでも.....とつい思ってしまう。
彼にとってこのスーザンさんの存在はとてつもなく大きかったようで、別れた後、「Bird on the Wire」の最後の曲でも彼女の素晴らしさを歌いあげ、「500万回に一度というような幸運に恵まれた出会いだったんだ」という。でも同曲の一節「彼女は僕を裏切って他の男の元に行ってしまった」というのはどうも脚色であって、ドラッグ依存が激しくなっている彼ととても暮らせなくなって、ベビーシッターと一緒に出て行ったのだとか。うーむ、いかんよ、自分本位に脚色しては。裏ジャケットは木立の中にうつむき加減で佇む奥さんの姿で、内ジャケも奥さんのアップと息子を抱く自分の写真。近々再発される初期のアルバムにもお腹の大きな奥さんと一緒の写真が使われていて、もう、これだけやってしまうと、歌う歌が無くなってしまうのも無理ないよなと思うのだった。
たまたま彼のキャリアを年代を遡るようにして聴く形になったが、初期の歌がどのようなものか、もう少し軽やかな感じもあるんだろうか、それとも、「僕にとっての彼女の存在」をつきつめ続けてきたのか、さらに遡りつつ聴いてみたいと思う。