冬至とメーズ・ホウ

lithos2006-12-14

『巨石』の出版を機にブログを始めました、と言っておきながら、なかなか巨石文化のことを書いていないので、久しぶりに。
スコットランドの北端の沖合に点在するオークニー諸島には非常に規模の大きな巨石遺構が残っている。ブリテン島周辺でも最も大きな規模で、巨石と呼ぶにふさわしい見上げるほど大きな石板が、湖畔の見晴らしの良い平地に立ち並ぶ様は壮観だ。巨石群のすぐ近くには、やはり規模の大きなマウンド状の墳墓がある。これがメーズ・ホウ Maes Howeと呼ばれる墳墓で、入り口から石室まで廊下が続いている、通廊付石室墓とよばれるタイプだ。アイルランドの有名なニューグレンジと共通する様式のもので、オークニーではアイルランドのニューグレンジの入り口に設置された渦巻き模様を彫りつけた岩と非常に良く似たものが出土している。また、ニューグレンジで出土するフリント(石器などに使う硬い石)は全てオークニーから運ばれたものだといわれている。両者はかなり離れているし、オークニー周辺の海域は決して優しい海ではないのだが、5000年前頃、頻繁に行き来があったことが伺われる。メーズ・ホウの石室は非常に精緻な石組みで作られている。この島では板状に割れる砂岩が多いのだが、これらをさながら木材のようにして組み上げた堅牢な作りだ。石室内にはノルウェーから十字軍に参加する途中のヴァイキングたちの落書きがたくさん残されている。ルーン文字だ。墓には財宝があると言われていたらしい。「宝なんて無いじゃないか」「ホーコンの奴が独り占めしたな」とか、「インギゲルドほどの美人は見たことないよ」「●●はあいつと寝たんだぜ」等々、なかなか面白い。彼らが彫ったと見られるドラゴンの絵もある。オークニーヴァイキングの侵入を受け、長くスカンジナビア人の植民地だった。地元の風習にも北方起源のものが多く残っている。
メーズ・ホウには仕掛けがある。冬至の夕日が地平線に沈む前、日の光が通路を真っ直ぐに通り、石室内を照らすように作られているのだ。アイルランドのニューグレンジには冬至の朝日が入るようになっているが、両者は何らかの信仰において対をなすようになっていたのかもしれない。『巨石』では冬至の陽という一年で最も力の無い太陽が沈む方向が、黄泉の国を指す方角ではなかったかと書いたが、ニューグレンジやメーズ・ホウといった施設が、本当に埋葬用の墓だったのか、疑問視する人も少なくない。いずれもわずかな人骨しか出ておらず(メーズ・ホウからはほとんど見つかっていない)、所謂「埋葬」といえる形での出土はないからだ。埋葬のためかどうかは別として、構造からして太陽を迎え入れるための、あるいは石室内の何かを太陽に「迎えに来てもらう」施設であったのではないかと思うのだが。
メーズ・ホウのオフィシャル・サイトでは、石室内に設置したカメラに写る映像をライブで中継している。過去の冬至の日の様子もアーカイブで残っているので、興味のある方は是非。今年の冬至の日は晴れるだろうか。

http://www.maeshowe.co.uk/

左からリング・オ・ブロガー、ストーン・オ・ステンネス、オークニーのジュエリー工房Ola Gorieの、ヴァイキングの動物組紐模様をモチーフにした銀のブローチ。ケルト文化の華として名高い「ケルズの書」などに登場する動物の体を引き延ばして編み上げた模様はケルト起源ではなく、北方起源のものだ。オークニーには織物や銀細工など、非常に質の高い手仕事の伝統がある。