空堀川

久間防衛大臣が米国批判をしたとかで、あれこれ騒がしいけど、別に大したことは言ってない。イラクに関しては、ありもしない大量破壊兵器の存在を理由に開戦したことが誤りだったということではなくて、それがそもそも意図的な「誤り」だったのかどうかということくらいしか、この「誤り」に関しては議論の余地はないと思うのだが。沖縄の基地問題に関して、米国は「偉そうに言うな」という発言も、「省」になって少しは主体的に発言できるようになってるんですよ、沖縄のみなさんの困難に関してもちょっとは理解してるんですよ、という気分程度のものだろう。さらに気に入らないのは「米国が不快感」という「雰囲気」的な反応で、この雰囲気を援用しつつ、今の内閣に対して「閣内不一致」とか「指導力不足」とか言って何がしかの批判をしているような気になっている新聞などだ(惰性でとりつづけている朝日新聞は「ジャーナリスト宣言」らしいが、ほう、じゃあ、今までは何だったの?と言いたい)。



自宅の近くを流れる空堀川に最近白鷺が頻繁に来るようになった。というと、「清き水辺」というイメージを持たれるかもしれないが、そうではない。ほとんど水の涸れた川に、ごく小さく残った水たまりに集まった小魚目当てに来るのだ。空堀川は川というより、雨が降ったときに水を流すための大きな排水路のような感じだ。私は川のある風景は好きなので、今の住処を選んだ理由のひとつに空堀川の存在もあったように思う。下見をしていた頃はそれなりに水量もあったし、引っ越して最初の春には河川敷に一面菜の花が咲いて綺麗だった。が、住んでみると、梅雨時以外は川底も露わで、全く枯れてしまっているときも多く、一度市役所が春先に河川敷を根こそぎ草刈りしてしまったので、菜の花もすっかり少なくなってしまった。涸れた砂利が露わになった川というのは雰囲気の悪いものだ。
引っ越して早々に遊びに来たかつての職場の後輩で、現在大学で歴史地理学を教えている男が、「空堀とか、水無しとかいう名前のついた川は、結構、水害が多いんですよ。気をつけた方がいいですよ」と、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて言っていた。「気をつけろ」って言われてもなあ、だいたい川幅も河川敷もかなり広いし深さもあるから、氾濫はないでしょう....と思っていたのだが、最初の夏を迎えて、台風が来たり集中豪雨があると、一時的にとんでもない水量になることがわかってギョっとした。あと50センチくらいで溢れ出るのではという時もあった。これを「空」というのは、何だ? 一種の忌み言葉みたいなものかしら。どうも、我々が引っ越す数年前に上流で治水工事があり、その結果、水の多いときと少ないときの差が激しくなって、環境が悪くなったと言われているらしい。
雨が降って増水した時は、上流から魚が沢山流れて来るようで、その後水が涸れてくると、取り残された魚が狭い水たまりに集まってアップアップしている。これをどうやって知るのか白鷺が来て、「入れ食い」状態になる。子どももバケツで簡単に魚が採れたりするので楽しい。今朝は遠目に見てでかいカラスがいるなと思ったら、なんと川鵜が来ていた。どうやって聞きつけるんだろうか。鳥だけではない。日頃見かけないオッサンが釣り糸を垂らしている。釣り堀よりも浅いので、浮きでなくて、直接魚を見ながらやってるんだろう。そんな釣り方で面白いんだろうか?
後数日雨が降らなかったら、おそらく魚とともに水たまりは無くなる。鷺も鵜も、オッサンも現れなくなるだろう。