タッシリ・ナジェール壁画紀行 その9

3泊したTissoukaï のキャンプをたたみ、この日から3日かけて南のOuan Benderへ向かう。歩く距離が長いため、ガートルード、ヘルムート高齢夫妻はラクダに乗ることに。ラクダはかならずしも乗り心地はよくない。縦に揺れるし尻も痛くなる。

 

 

しばらく行くと、ジェリコのバラがたくさん生えているエリアに入る。形の良いものを探すが、雨が降ったためか開いているものが多い。

ジェリコのバラは復活草とも言われているが、生き返るわけではなく、種がついて枯れた後で雨が降ると、硬く閉じていた茎が緩んで種が落ちるようになっているようだ。アンドラスは、それはもう枯れているから開かないと言っていたが、しっかり種がついているものも少なくない。ネットで動画など見ると、ここから開いていくものが多くある。メキシコ産の復活草には本当に生き返るものがあるようで、それにジェリコのバラと名前をつけて紹介しているサイトなどもあるが、全く別の植物だ。一度水に浸けて実験してみたい。

 

 

起伏の無い平地を歩いて、Emin Telekoutという場所に出る。狩猟採集民時代の奇妙な絵がある。植物のような、一部山羊の頭がついているような。その左には細長い、端に山羊の頭がついて、反対側が半月型になっているものが対象形で合わせてあるものが。

 

 

植物のような絵をDStretchにかけると狩猟採集民時代特有の丸い頭の両手を前に出す人物とウサギ耳の人物が浮かび上がる。

 

 

これらの太い線のラウンド・ヘッド時代の絵が赤い牛の絵と重なっている部分があり、どちらの線が上になっているかで、ベルギー人の小児科医師エルスとドイツ人のバウアーが議論に。エルスは太い線が赤い牛の上にあるので新しい絵だと。バウアーは逆だと。私も逆だと思った。絵の様式の時代考証的にもその方がしっくりくる。ただ、使っている絵の具などの問題もある。消えやすい色もあるし、風雨で流されやすいかどうかの密度の問題もある。薄く消えている方が古く、残っている方が新しいとはかならずしも言えないだろう。こういう判断は難しい。

後脚で立ち上がる印象的な馬の絵もあった。

 

 

さらに南へ。このルートはラクダ隊も知らないため、離れないように注意しながら進む。キャンプ地に着く少し前、小高い丘へガイドのブーバカーが誘う。平らな岩場があり、たくさんの刻画が彫られていた。象、キリン、サンダルの足型もある。ここはアンドラスも知らなかったようで、ベテランのガイドならではの知識だった。

 

 

キャンプ地に着くと空模様があやしくなってきた。これまで連日午後に雲が出てきて、軽く降ることはあったが、少し顔が濡れる程度だった。これが、テントを張ってすぐに降り出した雨はかなり激しかった。テントにこもって打ちつける雨音を聞き、ようやく少し弱くなってきたかなと思って外に顔を出すと、なんとテントが川のような水の流れのど真ん中にあるではないか。トゥアレグたちが見に来て、「あぁー、もうちょいで中に入るな。テントもたいへんだな」と(言葉はわからなかったが、そう言ってるに違いない感じだった)。彼らはマットの上で毛布をかけて寝ているので、降っている間は退避すればいいし、岩場でも寝られる。

だいたいテントを張るのは少し低い砂地なのだが、そういうところは当然水も集まってくるのだ。日本であれば、そういう場所にテントを張るのは危険というのは常識かもしれないが、ここは砂漠で年間降雨量はごくわずかだ。そんなことは誰も気にしないし、そういう所じゃないとテントが張れない。

運悪く私のテントは水が集まって流れるライン上に位置していた。水流がテントにぶつかって激しく泡立っている。防水処理を施した部分を越えそうだ。あわてて砂を掘り、岩を置き、水の流れる方向を変えるべく工事をする。一本目の支流を作ったがそれを越えてくるので、さらにもう一本、なんとかなりそうだが、これ以上激しく降ってきたらどうなるかわからない。最終ラインともいうべき溝を掘り終わった頃、なんとか雨が止んだ。サハラ砂漠でこんなことで苦労するとは。

アンドラス・マグディ夫妻のテントももろに水の流れに直撃されて、マグディはテントの中の水を必死にかき出していたようだ。アンドラスはそれを見ながら、「こういうこともある」と平然としていたと。ハンス・ペーターはテントを張ろうとしていた所があっという間に水たまりに。雨が止んで夕食をとるときには皆苦笑いするしかなかった。

 

これは翌朝撮影した「最終ライン」。幸い夜間に雨は降らなかった。水が激しく流れているときに写真を撮っておけばよかったが、それどころじゃなかった。