パティー・スミスのカバーアルバム/電車に頭を挟まれる駅員

5月はもっと爽やかな季節だったように思うが、何だこの暑さは。

ニュースで、日本人の魚食離れが際だっていると言っていた。特に子供は食べないのだと。食べるのが面倒くさいという理由も大きいようだ。確かに面倒くさいにちがいない。それに、最近は魚の方が肉よりも割高なのだと。
確かに、近海ものの魚は激減しているようだし、海外から来る魚も、世界的な魚食の増加で値段が上がっているらしい。でも、仕事場の近くのスーパーには冷凍シシャモが20匹くらいで100円とか、解凍した鮭の切り身が80円とか、結構安いものはあって、最近ずっと自炊している私は重宝している。今日も結構立派なアジが一尾80円だった。肉が安すぎるんではないか? だいたい、牛を一頭育てるのに使われる飼料はとんでもない量であって、このままアジアで肉食中心の食生活が広まっていくと、大変な食糧不足になると言われている。穀物だけ餌にしているとコスト的に合わないので、この際、牛にも羊の屑肉とか骨の粉とか食べせちゃおうか?という発想から、狂牛病が広まったのだ。チーズバーガーが100円というのが異常なのだ。


ティー・スミスのカバー曲集を聴いている。この人が歌うと、どこか原曲と少し意味的に違った響きがあって面白い。元々、ジミ・ヘンドリクスの「ヘイ・ジョー」とか、ヴァン・モリスンの「グローリア」とか、デビュー当時からカバーの多い人だった。スタジオ録音はされていないが、初期のライブではヴェルヴェット・アンダーグラウンドのPale Blue Eyesをよくやっていて、これが原曲の女々しきチリメン声は何処に?というような透徹した世界で実によかった。ヴァン・モリスンの「グローリア」では、「キリストは誰かの罪のために死んだらしいけど、私の罪じゃないわ」など、冒頭に付け加えていた。「冒頭に付け加え」は、最近日本でも問題だったけど。この付け加えで、原曲でグロリアという名の女の子の歌だったものに、さながら「聖歌」のようなニュアンスが与えられていた。バーズの「ロックン・ロール・スター」も元々はロック・ビジネスを自嘲するような歌だったが、カバーはまるで聖地に赴く戦士を鼓舞するような感じだった。今回のアルバムでカバーされている曲は聞き慣れた曲が多いが、それぞれに新鮮な響きがある。本人は歌い変えているつもりはないと思うが、やっぱりいずれも「私のロックの聖堂」に捧げられている聖歌なんだな、という印象だった。ジョージ・ハリソンの「Within you without you」も、これまで一度も面白いと思ったことがなかったが(ラットルズのパロディー「にもかかわらず」は好きだったが)、なんだかとても深みのある曲に聞こえるではないか。


ベビーカーに乗った子供の頭を挟んだままで、電車が発車してしまったらしい。最近は人件費節約で、ホームに駅員がいないのだ。思い出すのは、1年前ほどの我が西武池袋線秋津駅での出来事だ。結構、夜遅かったと思うが、車椅子の乗客を降ろすために車両とホームの間に渡し板を設置していた駅員が、乗客を降ろして、板を外そうとした時、車掌がいきなりドアを閉め、駅員の頭がドアにモロに挟まれていた。駅員は最後尾の車掌を睨みつけていたが、そこで酔っぱらいが「はははぁー、見てないんだよなぁー、全然」と。仲間の頭も挟んじゃうのね、と、大声で言ったので、挟まれた駅員は真っ赤になっていたのだった。