炬燵/石宝殿

灯油が高いということもあって、数年ぶりに掘り炬燵を出してみる。予想通りあっという間に眠くなるのだった。子供の頃下諏訪の母の実家に炭の掘り炬燵があったことを思い出した。昔は炭の炬燵で眠ってしまい、布団の中に入ってしまった子供が一酸化中毒で亡くなる事故が結構あったようだ。練炭自殺がポピュラーになっているので、洒落にならないが、練炭の匂いというのは結構悪くない。子供の頃、近所でも方々で冬になると燃え尽きた練炭の灰が家の外に水をかけられて出されていたが、その匂いが好きだった(家の前で物を燃やすのは珍しくなかったが、今ではキャンプ場でも勝手に焚き火のできないところが多い)。アイルランドスコットランドで使われる泥炭=ピートも、ブスブスと少し不完全燃焼っぽい燃え方だから、おそらくかの地でも似たような事故があったのではないだろうか。

兵庫県高砂市にある不思議な巨石モニュメント「石宝殿」について書かれた『石宝殿――古代史の謎を解く』(間壁忠彦/間壁葭子、神戸新聞総合出版センター)を読む。石宝殿は実際に見たことは無く、松本清張の『火の路』で初めて知った。100トンともいわれる巨石が加工途中で放棄されたような形をしているが、用途を巡っては定説といえるものがないと理解していた。飛鳥の益田の岩船に良く似ているのだが、松本清張はこれを、日本に伝播した拝火教の拝火殿ではないかという仮説を小説中で出した。が、『石宝殿――古代史の謎を解く』を読むかぎり、石宝殿も益田の岩船も、本来横に倒して使用すべく作られ、制作途中で放棄された家形の横口式石槨(棺を入れる穴が横向きに空いているタイプの墳墓)というところで、落ち着くように思った。益田の岩船には古代の天文台であるとか、様々な仮説があって面白いモニュメントなのだが、著者の考察はとても論理的で説得力がある。著者はこれを蘇我氏によるものと考えて、『日本書紀』で飛鳥にわけのわからない大規模な石の宗教施設を造り続けて、多くの犠牲者を出したと記されている斉明天皇に関する記述などは、『日本書紀』に書かれている石垣などが発見されていない以上、あまり字面通りに受け止める必要はないのではとしている。だが、改訂版が出た3年後の2000年に飛鳥で『日本書紀』の記述にかなり近い姿の酒船石遺跡――道教思想に傾倒したともみられる特異な信仰に基づく施設が現れ、『日本書紀』で「狂心」と表現された斉明天皇の話の信憑性が高まったことを考えると、「誰が作らせたものか」という点においてはもう少し議論があってもいいのかもしれない。
個人的には、摩訶不思議な雰囲気の益田の岩船は結局お墓だったのか、と、ちょっと残念な気分でもあった。諸星大二郎の『暗黒神話』では、武内宿禰が人工冬眠していたカプセルが入っている、巨大なタイムカプセルだったのだが。

石宝殿は以下に素晴らしく雰囲気のいい写真とともに解説されている。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/stone/021_houden/021.htm