ガレージ・セールの鹿

仕事場のすぐ近くのビルの一階で、2週間前くらい前からおかしなガレージセールをやっている。売られているものは実に雑多で、こんなものを一体どこで手に入れたのかと思うような、他で見たこともない妙なものも多い。女のワニがセクシーに仰向けになっている置物とか、メキシコのプロレスのマスクマンの頭部の置物とか、何のキャラなのかよく分からない坊主頭の東洋人の顔の置物とか......。ピカソのサインを印刷した額縁に入ったアネモネの絵を「ピカソ 2800円」と書いて売っていたりする。かと思うと、古いジャポニカ学習帳とか、いろんな形の消しゴムが山のように出ている。
これは皆、ビルのオーナーが個人的に持っていたものらしい。
そもそも、バーが10数店ほど入るビルなのだが、ここのところ、ほとんどテナントがない状態が続いている。
道に迫り出したガレージセールは妙な雰囲気を醸し出しているが、そもそもビルのデザインがまた、金ぴかの柱が立っている正面玄関の上に馬鹿でかいペガサスが飛んでいるような凄い趣味のものなのだ。一部分を見る限り、パチンコ屋としかいいようのないセンスなのだが、これは池袋に複数のビルを持つという、オーナーの趣味らしい。彼は独特な「趣味人」のようで、ビル建設の際に、鎧兜や江戸時代の籠(!)のコレクションの写真を集めたアルバムを、挨拶ついでに亡くなった義母に見せに来たらしい。義母が「これはまあ、大変なご趣味ですわね」というような適当な愛想を言ったところ、「どうぞどうぞ、しばらくお貸ししますから、ゆっくりご覧ください」と、アルバムを置いて帰ってしまったと、閉口していた。

私が今の場所に仕事場を開いたのは14年前で、バブルが崩壊した後だったが、本格的な不況まではまだ猶予があった。件のビルはバブル崩壊後に出来たが、当初はカラオケバーでにぎわっていて、深夜に二、三の店から漏れる歌声が重なって大変な騒音だった。「うるさくて仕事できないし、年寄りが眠れないんだよ」と、何度文句を言いに行ったかしれない。店は防音しているが、夏場になると厨房が暑いのか、裏窓が全開で、音がダダモレになっていた。重たい防音ドアを開けて、一斉に視線が集まる中、「うるさいから、ちゃんと窓を全部閉めてくんない?」と言いに行くのも面倒だった。。
楽しく歌っているならまだしもなのだが、あまり筋のよくない店も多く、外国人ホステスに店を閉めた後、延々と「銀座の恋の物語」など、二、三の定番のデュエット曲を練習させる店があり、これをエンドレスに聞きながら夜なべ仕事をするのが苦痛だった。酷いときは早朝までやっていた。
その頃は近辺のアパートに多くの外国人女性が住んでいて、夕方になると数人でバンに乗って店に出ていく様子を良く見かけた。深夜になると客を送り出してタクシーに乗せるホステスの声が道のそこここで響いていて、昼間よりも夜の方が騒がしいような印象があったくらいだ。アジア系のホステスを見かけなくなったと思ったら、次はスラブ系の女性が多く行き来するようになり、それも最近はあまりみかけない。
夜中の路上で喧嘩する声も少なくなかったし、すぐ近くで、人殺しが二件あった。
このような喧噪も随分前のことで、今は昼夜しんとして静かなものだ。ようするに寂れている。

カラオケバーが全て閉まった後、件のビルに、「タナトス(!)」なんていう物騒な(?)名前のホストクラブなども入ったことがあるが、このような場所で流行るわけもなく、あっという間に、ビルは空っぽになってしまった。ミャンマー家庭料理店がオープンしたこともあるが、いかんせん、店のつくりがカラオケバー仕様なので、窓のない分厚い扉を開けて入る店というのは、お昼ご飯を食べに入るような雰囲気ではない。どうなるんだろうと思っていたところ、このおかしなガレージセールだ。まさか消しゴムを売らなきゃいけないほど困ってはいないだろうが....。

このガレージセールに、先週まで、角の立派な、大きな鹿の剥製が売りに出ていた。博物館でもなければ、まして路上ではなかなか見かけることもないような物だ。週に二度、プールに通いに来る娘に「鹿がいる店があるぜ」というと、早速ビルの中まで入ってあれこれと見たようだ。どこか駄菓子屋的な面白みがあったようで、興味津々だった。
鹿は25万くらいだった。もしかすると、これほど立派な鹿の剥製にしては安いのかもしれない、というと、「じゃあ買ったらどうか」と。そんなものを置いたら、ただでさえ、時々「ちょっと怖い」とか言われる古い家が、ベイツ・モーテルみたいになっちゃうじゃないか.....。
屋上の端に置いて、ふと上を見ると鹿が見下ろしている、というのは面白いかもしんないな、と冗談で言うと、やっぱり是非買え、と。
しばらくして、気がつくと鹿は店頭から消えていた。売れたんだろうか? 売れたとしたら、どんな人が買ったんだろう。

そういえば、向田邦子のエッセイに、通りすがりの家の屋上かなにかにライオンがいたのを見たという、おかしな記憶を巡る話があったように思い出した。
もしこの鹿を買って、屋上に置いておいたら、10年くらいして、「私が通った道すがら、屋上で鹿を飼っている家がありました。いつも端に立って下を見ていました」と、どこかに書く人がいたかもしれない、などと思ってみたのだった。