久慈川周辺で瑪瑙採取

冬の貝拾いシーズンが終わり、今度は山に石拾いに行く。
茨城県久慈川周辺は瑪瑙の産地なのだ。瑪瑙といっても、無色透明で模様にも乏しい、カルセドニー、玉随なのだが、有名な産地なので前から一度行ってみたいと思っていた。ネット上で詳しい場所を記している方があり、『鉱物採集フィールドガイド』にも多くの頁が割かれている。

先ず、常陸太田市の玉川で転石拾いに。川岸近くの農家に車を停めさせてもらうが、「石を拾いに来た」というと、「石? 砂利かな?」という返事。「いいえ、瑪瑙です」というと、「そんなのあるの?」という感じの反応だった。この辺は古く立派な造りの農家が多い。

川岸に降りると、無色のものは結構簡単に見つかる。オレンジ色がついたものもそれなりにある。いずれも薄い板状のものだ。中には、ささやかな縞模様が入った、十分に「瑪瑙」と呼べるものもある。木目のしっかり残った珪化木も多い。



河岸の草地には雨蛙がたくさん跳ねている。子どもの頃は国分寺の自宅周辺にも結構いたのだが、実に数十年ぶりに見た。東村山周辺にもいないので、娘も初めて見た。
ツボカビ病の大流行などで、世界中のカエルが凄まじい勢いで死んでいるらしい。エクアドルなど、ごく近年で十数種が絶滅したと聞く。
周囲の田んぼはカエルの大合唱で、卵がそこら中にあった。


この後、山に向かい、北富田の瑪瑙の産地を探す。
『鉱物採集フィールドガイド』に地図が載っているが、もう20年以上前の本だ。どうも周辺の様子も変わっているし、道がよくわからなくなってしまった。本には、庭先に見事な瑪瑙を並べた民家が複数あるとあり、楽しみにしていたのだが、やはり車で行くと、細い道の途中で停めるわけにもいかず、叶わず。残念だった。80年代の出版と知っていても、どうも「そんなに昔のことじゃないでしょ」という、感覚になってしまう。よく考えると20年以上前だということに気づく。60歳の人が80代になっているはずなのだ。当然、地図に載っている店も無くなっていたりする。
次回は歩いてみよう。
すれ違う地元の人に尋ねつつ細い道を進むと、目的の産地ではなく、もう少し北の篭岩という山の山腹にある別の採掘所に着いてしまった。(このへんも北富田というようだが)。
坑道は立ち入り禁止になっていたが、入り口近辺でもそれなりに拾えるものがある。切り立った壁面は一面玉随の脈になっている。ごく最近割り採った跡もあるが、この脈はとても綺麗なので、壊してしまうのはもったいない。部分的にかなり赤い色がついているところがあった。




帰りは久慈川に注ぐ沢沿いで少し探す。玉川よりも大きな塊があるが、色のついたものはほとんどない。そのかわり、白いフェザー状のインクルージョン(なのかよくわからないが)が入ったものがあり、それはそれで面白い。

久慈川の河原で米を炊き、カレーを食べる。持参したガスボンベの残量が少なく、危うく生煮えになるところだった。

最後にやはり久慈川支流の山田川にちょっとだけ寄る。かなり遅くなっていたが、名前が名前なので、やはり寄るべきだろうと。
ここは大きな石英塊がごろごろしていて、瑪瑙の転石も大きなものが多い。最後に娘が、今日一日で最も綺麗な縞模様が見えるものを拾い、大いに満足して帰宅。

持ち帰った瑪瑙を洗い、並べてみる。
ちょっと拾い過ぎたと反省。団塊は切ってみたら、少し面白いものもあるかもしれない。
やはり、玉川の瑪瑙が、色も模様も面白い。どのへんから流れてきているのだろうか。
無色透明なものも、透明度が高いものは、なかなか綺麗だ。